1955年

宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で農家が全焼。現場で発見された住民の遺体頭部などに打撲傷が認められ、殺人放火事件として捜査開始(松山事件)。

宮城県松山町で農家が全焼し、住民殺害を伴う放火事件が発生した。
1955年10月18日、宮城県志田郡松山町の農家が全焼し、現場に残された遺体に殺人放火の痕跡が見つかった。 被害者は複数で、遺体には打撲傷や絞扼痕が確認された。 当初は事故とされたが、警察の鑑識調査により殺人放火事件と断定された。 松山事件として広く報道され、地域社会に大きな衝撃を与えた。 事件は長期未解決のまま時効を迎え、現在も謎が残る。
1955年 志田郡 松山町 大崎市 殺人 放火 松山事件
1963年

福岡県の山道で会社員と運転手の2人が殺害されているのが見つかる。(西口彰事件)

福岡県の山道で会社員と運転手の変死体が発見され、『西口彰事件』として報道された。
1963年10月18日、福岡県内の山道で、会社員とその運転手の2名が遺体で発見されました。 遺体には外傷があり、殺害されたことが判明。 現場には犯行手口を示す痕跡は少なく、捜査は難航しました。 報道で『西口彰事件』と命名され、周辺住民に大きな衝撃を与えました。 事件の背景や動機は明らかでないまま、未解決事件として語り継がれています。
1963年 西口彰事件
1968年

10月11日から連続して起こっていた射殺事件(永山則夫連続射殺事件)について、警察庁が広域重要指定事件108号に指定。

永山則夫による連続射殺事件が広域重要指定事件108号に指定され、全国的な捜査が展開された。
1968年10月11日以降、複数の都府県で発生した永山則夫による連続射殺事件。 被害者は合わせて4人とされ、銃器を用いた凶悪事件として社会に衝撃を与えました。 10月18日、警察庁はこれを広域重要指定事件108号とし、全国的な指名手配と捜査を開始。 事件の捜査は多くの警察機関を巻き込み、当時の報道は大きく取り上げられました。 その後永山則夫は逮捕され、死刑判決が確定。日本の犯罪史に残る事件となりました。
1968年 10月11日 永山則夫連続射殺事件 警察庁 広域重要指定事件
1970年

日本勧業銀行大森支店の宿直行員が殺害される。(大森勧銀事件)

日本勧業銀行大森支店で宿直中の行員が殺害され、『大森勧銀事件』として知られる。
1970年10月18日未明、東京・大田区にある日本勧業銀行大森支店で宿直行員が変死体で発見されました。 現場は銀行内で、被害者は当時の担当行員でした。 凶器や犯人像は不明で、捜査は難航。 社会に大きな衝撃を与え、銀行の警備体制強化の議論が高まりました。 事件は長らく未解決のまま、歴史的な銀行犯罪として語り継がれています。
1970年 日本勧業銀行 大森勧銀事件