第77代天皇
第77代天皇
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて在位した第77代天皇。院政を行い、保元の乱・平治の乱を通じて強い政治的影響力を保持した。
1127年に生まれ、1155年に第77代天皇として即位。1158年に退位後は法皇となり、院政を開始。1156年の保元の乱と1159年の平治の乱では朝廷内の主導権を確立し、藤原氏や武家勢力と連携を図った。鎌倉幕府成立の背景を築き上げる一方で、文化・芸術の保護にも力を注いだ。1192年に崩御し、約37年間にわたり政界に大きな影響を与え続けた。
1127年
大治
9月11日
後白河天皇
天皇
1192年
儒学者
儒学者
南宋時代を代表する儒学者。理気二元論を唱え、『四書集注』により儒学の体系化を進めた。
1130年に福建省で生まれ、程頤・程顥兄弟に私淑して理気二元論を展開。官界にも身を置きつつ、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の注釈書を著し、後世の科挙や教育に大きな影響を与えた。学派は東アジア各地に広がり、日本や朝鮮でも朱子学として受容された。晩年には政治から離れ、学問に専念したまま1200年に没した。
1130年
建炎
9月15日
朱子
儒学者
1200年
ローマ教皇
ローマ教皇
第209代ローマ教皇(1458-1464)。人文主義者として教会改革や十字軍構想に取り組んだ。
1405年にピエモンテで貴族の家に生まれ、本名はエネア・シルヴィオ・ピッコロミーニ。教皇選出前は詩人・歴史家としても活躍し、枢機卿に任命された。1458年に教皇に選ばれ、腐敗した教会の改革や学問の振興を推進。オスマン帝国に対抗するための十字軍結成を構想し、欧州諸国に働きかけた。1464年のマンチュア会議出席中に逝去し、教会史に人文主義的潮流を残した。
1405年
ピウス2世
ローマ教皇
1464年
ポーランド女王
ポーランド女王
ヤギェウォ朝最後の女王(1575-1586)。ポーランド・リトアニア共和国の政務に関与し、貴族政治の安定に寄与した。
1523年にワルシャワで生まれ、ヤギェウォ家の一員として育つ。1575年の王位選挙で女王に選出され、ステファン・バートリと共同統治を開始。外交・内政双方で政策調整を担い、貴族勢力の対立を和らげた。1586年に政務を退き、晩年は修道院で過ごした。1596年に没し、女性君主として共和国政治への道を拓いた。
1523年
アンナ
ポーランド
1596年
文献学者、人文学者
文献学者
人文学者
16世紀フランドルの人文学者。古典研究を通じてネオストイシズムを復興した。
1547年にフランドルで生まれ、パリやパドヴァで古典文学を学ぶ。1570年代にルーヴェン大学の教授に就任し、タキトゥスやセネカの注釈書を出版。著作『De Constantia』ではストア哲学の実践的意義を説き、ヨーロッパ各地で共感を呼んだ。弟子たちとともに学問所を率い、人文主義研究の拠点を築いた。1606年に没し、後世のリベラルアーツ教育に影響を残した。
1547年
ユストゥス・リプシウス
1606年
与板藩の第3代藩主、小諸藩の初代藩主
与板藩の第3代藩主
小諸藩の初代藩主
江戸時代前期の大名。与板藩第3代および小諸藩初代藩主として領地経営に尽力した。
1677年に生まれ、父の後を継いで与板藩第3代藩主となる。1702年に小諸藩へ転封され、藩政に着手。領内の農地開発や藩士統制に取り組み、地域社会の安定を図った。幕府との関係維持にも配慮し、外様大名としての立場を守った。1723年に没し、子孫による藩政運営に礎を築いた。
1677年
延宝
9月22日
牧野康重
与板藩
藩主
小諸藩
藩主
1723年
作曲家
作曲家
18世紀イタリアの作曲家。ヴェネツィア楽派を代表し、オペラ・喜歌劇で名声を得た。
1706年にヴェネツィアのブラーノ島で生まれる。カルロ・ゴルドーニらと協働し、多数のオペラ喜劇を作曲して軽妙な音楽様式を確立。ロシア宮廷やウィーンでも招聘され、ヨーロッパ各地で活躍した。バロックから古典派への過渡期を象徴する作風は“ガルッピ効果”とも称される。1785年に死去し、後世の作曲家に影響を与え続けた。
1706年
バルダッサーレ・ガルッピ
作曲家
1785年
今尾藩の第6代藩主
今尾藩の第6代藩主
江戸時代中期の大名。今尾藩第6代藩主として藩政に携わった。
1738年に生まれ、家督を継いで今尾藩第6代藩主となる。藩財政の維持や領内の治安確保に努め、農政改革にも着手したと伝わる。幕府との交渉を重ね、地域の安定に寄与。1789年に没し、藩史に名を残した。
1738年
元文
9月6日
竹腰勝起
今尾藩
藩主
1789年
小説家
小説家
18世紀フランスの小説家。『危険な関係』で知られるエピストラリー形式の傑作を残した。
1741年にアミアンで生まれ、軍務に従事しつつ執筆を開始。1782年に匿名で発表した『危険な関係』は貴族社会の官能と策略を鋭く描き、文学界に衝撃を与えた。作品は多くの翻案や映画化を生み出し、今日まで高い評価を受け続ける。1803年に没し、フランス啓蒙文学の重要作家として記憶される。
1741年
ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ
小説家
1803年
劇作家、ジャーナリスト
劇作家
ジャーナリスト
18世紀後半のドイツ劇作家・ジャーナリスト。心理劇のパイオニアとして知られる。
1777年にプロイセンで貴族の家に生まれ、軍務を経て文筆に転向。『ミヒャエル・コルハース』や『竹ひごあるいは生涯の祝祭』などで人間の内面と葛藤を鋭く描写。新聞や雑誌で批評・記事執筆も行い、『クライストの日誌』を刊行。1811年に悲劇的な結末を迎えるが、その作品群はドイツロマン主義に大きな影響を与えた。
1777年
ハインリヒ・フォン・クライスト
劇作家
ジャーナリスト
1811年
久留里藩の第5代藩主
久留里藩の第5代藩主
江戸時代後期の大名。久留里藩の第5代藩主として藩政を担った。
黒田直方は江戸時代後期の大名で、久留里藩の第5代藩主として藩政を担当した。
1778年に誕生し、藩主襲封後は家臣団の統率や領地経営にあたった。
領内の年貢取り立てや治安保持など、藩政全般に関わった。
藩政の安定維持に努め、藩の存続に寄与した。
1832年に没し、その治世は久留里藩の歴史に名を残した。
1778年
安永
8月28日
黒田直方
久留里藩
藩主
1832年
米沢新田藩の第4代藩主
米沢新田藩の第4代藩主
江戸時代後期の大名。米沢新田藩の第4代藩主として藩政を担った。
上杉勝義は江戸時代後期の大名で、米沢新田藩の第4代藩主として藩政を担当した。
1792年に生まれ、藩主襲封後は家臣団の統率や領地経営にあたった。
年貢収入の管理や治安維持など、藩政全般に関わった。
藩政の安定維持に努め、領地の繁栄に寄与した。
1858年に没し、その治世は米沢新田藩の歴史に名を残した。
1792年
寛政
9月3日
上杉勝義
米沢新田藩
藩主
1858年