1773年
シャルル・メシエが子持ち銀河を発見。
1773年10月13日、フランスの天文学者シャルル・メシエが子持ち銀河(M51)を発見した。
天文学者シャルル・メシエはヴェルサイユ天文台で観測中、淡い渦巻状の光を伴う天体を捉え、これを「子持ち銀河」と名付けた。後にM51としてメシエカタログに収録され、天文学史上初めて渦巻銀河構造が外観的に認識された事例とされる。子持ち銀河はおうちょう座に位置し、その隣に小銀河NGC5195を伴う相互作用天体としても知られている。この発見は銀河研究と宇宙構造理解の礎を築いた。現在も高解像度で観測される代表的な渦巻銀河として人気が高い。
1773年
シャルル・メシエ
子持ち銀河
1884年
国際子午線会議において、グリニッジ天文台を通る子午線(グリニッジ子午線)を経度0度とすることが決定。
1884年の国際子午線会議で、グリニッジ子午線を経度0度と定める国際的合意が成立した。
ワシントンD.C.で開催された国際子午線会議には25か国が参加し、世界の経度基準を統一する議論が行われた。会議の決議により、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線が経度0度に採用され、航海や地図製作の標準化が図られた。これにより時刻や航路の表記が国際的に整備され、グリニッジ標準時(GMT)への道が開かれた。一部の国は直ちに受け入れなかったものの、最終的に各国が段階的に新基準へ移行した。現代の世界時刻制度の原点となる歴史的合意である。
1884年
国際子午線会議
グリニッジ天文台
子午線
グリニッジ子午線
経度0度
1911年
徳川好敏大尉らが作った国産飛行機第1号機「臨時軍用気球研究会式1号」(会式1号)が初飛行に成功。
徳川好敏大尉らによる国産初の飛行機「臨時軍用気球研究会式1号」が初飛行に成功した出来事。
1911年10月13日、徳川好敏大尉らが設計・製造した国産飛行機第1号機「臨時軍用気球研究会式1号」が初飛行に成功しました。会式1号は日本初の国産飛行機として開発され、安定した飛行性能を示した点で大きな注目を集めました。陸軍技術本部の支援のもと製作され、以後の日本航空機開発に道を開く重要な成果となりました。初飛行の成功は日本の航空技術向上と自立への第一歩を象徴する歴史的事件です。この成功は後に航空産業の基盤形成にも寄与しました。
1911年
徳川好敏
臨時軍用気球研究会式1号
1968年
日本初の都市ケーブルテレビ会社・日本ケーブルビジョン放送網が新宿で放送開始。
1968年10月13日、日本初の都市型ケーブルテレビ会社・日本ケーブルビジョン放送網が新宿で放送を開始しました。
1968年10月13日、東京都新宿区で日本ケーブルビジョン放送網がサービスを開始し、日本初の都市型ケーブルテレビが誕生しました。
従来の地上波放送とは異なり、有線を通じて家庭に多チャンネル放送を提供する新しい試みでした。
当初は教育番組や映画、海外ドラマなど限られたコンテンツでしたが、視聴者の関心を集めました。
ケーブルテレビの導入はメディア環境の多様化を促し、その後のCATV網普及の先駆けとなりました。
放送開始は日本の通信技術と放送産業の発展に大きく寄与しました。
1968年
日本
ケーブルテレビ
日本ケーブルビジョン放送網
新宿
1981年
潜水調査船「しんかい2000」が熊野灘で日本最深記録2008メートルを記録。
1981年10月13日、潜水調査船「しんかい2000」が熊野灘で日本国内最深となる水深2008mの潜航記録を達成した。
海洋研究開発機構(当時の日本科学技術庁海洋科学技術センター)が開発した有人潜水調査船「しんかい2000」は、1981年10月13日に熊野灘で潜航試験を実施しました。
その結果、潜水深度2008mを記録し、日本国内の有人潜水艇による最深記録を更新しました。
本試験は深海生物採集や海底地形調査など、多岐にわたる海洋研究に新たな可能性を開きました。
「しんかい2000」はその後も多数の科学調査航海を行い、深海科学の発展に大きく貢献しました。
同機は高い耐圧性能と長時間滞在能力を備え、世界の深海探査技術の発展にも寄与しました。
1981年
しんかい2000
熊野灘