紀元前539年

ペルシャ国王キュロス2世が新バビロニア王国の首都バビロンを占領。

紀元前539年10月12日、ペルシャ王キュロス2世がバビロンを攻略し、新バビロニア王国を滅ぼした歴史的出来事です。ペルシャ帝国の領域拡大を決定づけました。
ペルシャ帝国のキュロス2世が主導したバビロン征服戦です。新バビロニア王国のナボニドゥス王を退けて首都を掌握しました。バビロンは当時メソポタミア文明の重要拠点でした。この勝利によってペルシャ帝国の版図は西アジア全域に広がりました。また、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放にもつながりました。以後、キュロスは占領地の宗教と風習を尊重する政策を採用したと伝えられています。
紀元前539年 ペルシャ キュロス2世 新バビロニア王国 バビロン
1492年

クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初上陸。(ノルマン人以外のヨーロッパ人による「アメリカ大陸の発見」)

1492年10月12日、クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初めて上陸し、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸「発見」の端緒となりました。
スペイン女王イサベル1世とフェルナンド2世の支援を受けて航海が開始されました。サンタ・マリア号、ニーニャ号、ピンタ号の3隻で大西洋を横断し、目的地をインドと考えながらバハマ諸島に到達しました。現地ではタイノ族と接触し、交易や情報交換が行われました。この航海は以後の新世界探検や植民地化の契機となりました。ヨーロッパ中心の世界観を一変させる歴史的転換点とされています。
1492年 クリストファー・コロンブス スペイン 西インド諸島 アメリカ大陸の発見
1654年

デン・ハーグの南に位置するデルフトで弾薬庫の火薬が爆発。市街の4分の1が破壊され、100人以上が死亡。

1654年10月12日、オランダのデルフトで弾薬庫が爆発し、市街地の約4分の1が破壊され、100人以上が死亡しました。
17世紀のオランダ共和国デルフト郊外にあった弾薬庫で大規模な火薬爆発が発生しました。爆風と火災で市街地の約25%が倒壊し、多数の建物が損壊しました。死者は100人以上、負傷者も多数にのぼったと伝えられます。爆発の原因は保管方法の不備や火花の引火が一因と考えられています。この惨事を契機にオランダ各地で火薬庫の安全基準が見直され、被災地は数年かけて復興作業が行われました。
1654年 デン・ハーグ デルフト
1792年

ニューヨークで初めてのコロンブス・デーが祝われる。

1792年10月12日、ニューヨークで最初のコロンブス・デーが祝われ、アメリカ独立後の祭日文化の一端を担いました。
アメリカ独立後20年目に当たる1792年に創設された祝祭日です。イタリア系移民を始めとする多くの市民が行列やパレードを楽しみました。当初はコロンブス到達300周年を記念する行事として開催され、次第に国民的な祝日へと発展しました。後にアメリカ合衆国の公式祝日に制定され、多文化共生や移民の歴史を象徴する行事となりました。しかし20世紀後半には先住民との対立を巡る議論も生じています。
1792年 ニューヨーク コロンブス・デー
1810年

ミュンヘンで第1回オクトーバーフェストが開かれる。

1810年10月12日、ミュンヘンで最初のオクトーバーフェストが開催され、後の世界的ビール祭りの原点となりました。
バイエルン王ルートヴィヒ1世の結婚式を祝うために始まった国王主催の祝典です。競馬や音楽、料理など多彩な催し物が市民を魅了しました。翌年以降も恒例行事として定着し、徐々に規模を拡大していきました。現在では毎年100万人以上が訪れる世界最大級のビール祭りとなっています。オクトーバーフェストはバイエルン文化や伝統衣装、音楽を世界に発信する場となっています。祭り期間中には専用のビアテントで地元醸造所のビールが振る舞われます。
1810年 ミュンヘン オクトーバーフェスト
1822年

ペドロ1世が初代ブラジル皇帝に即位。

1822年10月12日、ペドロ1世が初代ブラジル皇帝に即位し、ブラジル皇帝制の礎を築きました。
ポルトガル王室の一員としてブラジルに派遣されていたペドロが独立運動を指導しました。同年9月7日にブラジル独立宣言を行った後、皇帝として即位を果たしました。即位は帝国憲法制定への布石となり、君主制下での近代国家建設を始動させました。ペドロ1世の統治は政治的混乱や反乱と隣り合わせでしたが、文化振興も推進しました。1840年に退位し、ポルトガル王位を継承した後も南米の歴史に影響を残しました。ブラジル帝国時代は1860年代まで続き、共和国移行へとつながりました。
1822年 ペドロ1世 ブラジル皇帝
慶応4年8月27日

明治天皇の即位の礼を挙行。

1868年10月12日(慶応4年8月27日)、明治天皇の即位の礼が挙行され、日本の近代国家の始まりを象徴しました。
明治維新後、新政府が天皇中心の統治体制を内外に示すために計画された式典です。京都御所で行われ、西欧諸国の国王即位式を参考に執り行われました。天皇は神道と儀礼を融合させた新たな国家儀礼の象徴となりました。即位の礼を機に天皇親政が宣言され、江戸幕府以来の封建体系から転換しました。同時に五箇条の御誓文など近代憲法制定への動きが加速しました。日本はこの後、中央集権的な近代国家としての歩みを本格化させました。
1868年 慶応 8月27日 明治天皇 即位の礼
1881年

日本で1890年に国会を開設する旨の「国会開設の詔」を発布。

1881年10月12日、日本政府が1890年に国会を開設する旨を定めた「国会開設の詔」を発布しました。
明治時代中期における議会政治導入への第一歩となった詔勅です。明治政府は欧米列強に対抗するため近代的政治体制の整備を急いでいました。詔書では「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と国会設置を明記しました。この詔に基づき、憲法制定と立法機関の準備が進められました。1890年に大日本帝国憲法と帝国議会が発足し、立憲政治が始動しました。国会開設は日本の政治改革と近代化の象徴的出来事となりました。
1881年 1890年 国会 国会開設の詔
1901年

米大統領セオドア・ルーズベルトが大統領府を正式にホワイトハウスと命名。

1901年10月12日、米大統領セオドア・ルーズベルトが大統領官邸を正式に「ホワイトハウス」と命名しました。
当時は「大統領府(Executive Mansion)」と呼ばれていた建物の改称を決定したものです。改称は白い外壁にちなんだ通称を公式名称としたものです。ルーズベルト大統領は改築計画を進める一環として命名を実施しました。「ホワイトハウス」は以来、アメリカ合衆国政府の象徴となりました。建物自体は1800年にジョン・アダムズ大統領が最初に居住して以来の歴史を持ちます。現在では観光名所としても広く知られるようになりました。
1901年 セオドア・ルーズベルト 大統領府 ホワイトハウス
1919年

株式会社オリンパスが創設される。

1919年10月12日、光学機器メーカーの株式会社オリンパスが創業されました。
東京で写真機や顕微鏡の製造を手掛ける会社として設立されました。初代社長森田清によって小規模な工場でスタートしました。その後、医療用内視鏡や産業機器分野に事業を拡大しました。オリンパスは精密光学技術を背景に世界市場でのシェアを築きました。1970年代以降は内視鏡技術で医療機器メーカーとしても高い評価を得ました。現在はヘルスケア機器など幅広い製品を展開するグローバル企業となっています。
1919年 オリンパス
1924年

荒川放水路が完成し通水式。

The Arakawa Floodway, a major flood control channel in Japan, was completed on this day in 1924 and officially opened with a water conduction ceremony.
The Arakawa Floodway was created to reduce flood risks in the Tokyo metropolitan area by diverting excess water from the Arakawa River. Its construction involved major civil engineering work including excavation of a new channel east of central Tokyo. On October 12, 1924, authorities held a formal water conduction ceremony to mark the completion of the project. The floodway quickly proved its value by redirecting floodwaters during seasonal rains. It helped protect urban areas from severe flooding and supported regional development. The success of the floodway influenced later flood control initiatives in Japan. Today, the Arakawa Floodway remains a critical part of Tokyo's water management system.
1924年 荒川放水路
1928年

ボストンの病院で人工呼吸器「鉄の肺」が初めて使われる。

The first clinical use of the iron lung, a revolutionary mechanical respirator for polio patients, took place in a Boston hospital in 1928.
On October 12, 1928, physicians at Boston Children's Hospital employed the first Drinker respirator, known as the iron lung, to support a patient's breathing. The device, invented by Dr. Philip Drinker and Louis Agassiz Shaw, enclosed the patient's body in a sealed metal chamber and created negative pressure to stimulate lung expansion. This breakthrough provided critical respiratory support for victims of poliomyelitis, a disease that often paralyzed chest muscles. The iron lung became a symbol of hope during polio epidemics throughout the early 20th century. Its widespread adoption transformed home and hospital care for respiratory failure. Although later replaced by more advanced ventilators, the iron lung paved the way for modern mechanical ventilation.
1928年 ボストン 鉄の肺