1945年

疎開学童の帰京が始まる。

戦時中に地方へ疎開していた学童が、終戦後の安全確認を経て東京への帰還を開始しました。
1945年に開始された疎開学童の帰京は、太平洋戦争末期に地方へ移された子どもたちが戦後の安全確認を経て東京に戻り、家族との再会を果たした出来事です。復興途上の都市部に子どもたちの笑顔が戻ることで、多くの人々に平和と希望を実感させました。また、この帰京は戦後教育の再開や社会復興の象徴となり、後の学制改革にも大きな影響を与えました。
疎開学童
1952年

昭和天皇の第四皇女・順宮厚子内親王と池田隆政が結婚。

昭和天皇の第四皇女・順宮厚子内親王が池田隆政氏と結婚しました。
1952年10月10日、昭和天皇の第四皇女である順宮厚子内親王と日本画家・岡山藩主池田家の当主池田隆政氏の婚儀が宮中三殿で行われました。皇室と旧華族の結びつきを象徴する伝統的な婚姻として注目を集め、国内外から多くの祝福が寄せられました。厚子内親王は結婚後、皇籍を離れ池田家に入籍し、新たな公的役割を担いました。この婚姻は戦後の皇室のあり方や宮家制度の変化にも影響を与えました。
1952年 昭和天皇 順宮厚子内親王 池田隆政
1966年

「体育の日」施行。

1966年、日本で「体育の日」が国民の祝日として施行されました。スポーツを通じて健康増進と体力向上を図る記念日です。
体育の日は1966年10月10日に制定され、1964年東京オリンピックの開会式を記念しています。 当初は体育振興と国民の健康増進が目的とされました。 制定当初は10月10日固定でしたが、2000年からハッピーマンデー制度により移動祝日となりました。 主にスポーツイベントやマラソン大会などが各地で開催されるようになり、国民的な行事として定着しました。 現在では健康意識を高める日として、多くの人々に親しまれています。
1966年 体育の日
1967年

新東京国際空港(現・成田国際空港)建設のための外郭測量用の杭打ち警護に機動隊が出動(成田空港問題)

新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設に伴い、外郭測量用の杭打ちを巡って機動隊が出動し、地元住民との対立が激化しました。
1967年10月10日、成田空港建設予定地で外郭測量用の杭打ち作業が強行され、警察機動隊が警護に当たりました。 これに反発した農民や学生が集まり、激しい衝突に発展しました。 1950年代から続く三里塚闘争の一環であり、空港問題の象徴的事件となりました。 その後も長期にわたる抗議活動と法廷闘争が繰り広げられ、空港完成まで混乱が続きました。 現在でも歴史的な社会運動として語り継がれています。
成田国際空港 機動隊 成田空港問題