680年

フサイン・イブン・アリー

(626 - 680)

イスラム教シーア派第3代イマーム

イスラム教シーア派第3代イマーム
イスラム教シーア派の第3代イマームで、カルバラの戦いで殉教した指導者。
フサイン・イブン・アリーは預言者ムハンマドの孫にあたり、シーア派で第3代イマームとして崇拝されます。680年のカルバラの戦いでは、ウマイヤ朝に対抗して少数の兵と共に戦い、最後まで降伏を拒否しました。彼の殉教はシーア派の信仰とアイデンティティの中心的な出来事とされています。毎年ムハッラム月のアーシュラーの際に彼の殉教を追悼する儀式が行われ、今日に至るまで広く信者に記憶されています。シーア派イスラムの歴史と精神に深い影響を与えた人物です。
680年 フサイン・イブン・アリー イスラム教 シーア派 イマーム 626年
治安2年9月12日

当子内親王

(1001 - 1022)

三条天皇第一皇女、伊勢斎宮

三条天皇第一皇女 伊勢斎宮
三条天皇の第一皇女で、伊勢斎宮として斎王の務めを果たした皇族。
当子内親王は平安時代前期、三条天皇と妃・藤原娯子の間に生まれました。成人後、伊勢神宮に奉仕する斎王(斎宮)に選ばれ、神事を取り仕切りました。斎王としての務めは即位権威の象徴とされ、朝廷内で重要な役割を担いました。治安2年(1022年)に若くして崩御し、その早すぎる死は多くの人々に惜しまれました。斎宮制度の歴史を語る上で欠かせない人物です。
1022年 治安 当子内親王 三条天皇 伊勢斎宮 1001年