1612年

ベルナルディーノ・ポッチェッティ

(1548 - 1612)

画家

画家
イタリア・ルネサンス期の画家で、ローマの装飾彫刻にも才を示した。
ベルナルディーノ・ポッチェッティは1548年にイタリアで生まれ、主にローマで活動しました。宗教画や装飾彫刻の依頼を受け、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会など多くの教会で作品を残しました。洗練された線描と優雅な装飾が特徴で、ルネサンス後期のイタリア美術を代表します。1612年に没するまで、彫刻家としての技量と画家としての感性を融合させた作品を多数制作しました。今日でも彼の作品は美術史研究の重要な対象です。
1612年 ベルナルディーノ・ポッチェッティ 1548年
1720年

アントワーヌ・コワズヴォ

(1640 - 1720)

彫刻家

彫刻家
ヴェルサイユ宮殿などで活躍したフランスのバロック期彫刻家。
アントワーヌ・コワズヴォ(1640-1720)はフランス宮廷を代表するバロック期の彫刻家です。ルイ14世の時代に多数の宮殿や庭園の装飾彫刻を手がけ、特にヴェルサイユ宮殿の噴水や天使像は有名です。繊細かつ躍動感のある表現で宮廷貴族たちに称賛されました。1710年代には王立絵画・彫刻アカデミーのメンバーとして、後進の育成にも力を注ぎました。1720年の死後も彼の作品はフランス美術の至宝として高く評価されています。
1720年 アントワーヌ・コワズヴォ 1640年
1726年

トマソ・レディ

(1665 - 1726)

画家

画家
イタリア・バロック期の画家。メディチ家に仕え、宗教画や肖像画で知られる。
1665年、フィレンツェに生まれる。 ローマでカロ・マッレッタ門下に学び、技術を磨く。 帰郷後、コジモ3世などメディチ家の庇護を受ける。 パラッツォ・ピッティのフレスコ画や肖像画を多数手がけた。 フィレンツェ美術学校(アカデミア・デレ・アルティ・デル・ディセーニョ)の総監督も務めた。 繊細なタッチと優美な色彩表現はバロック美術の典型とされる。 1726年に没し、その作品はイタリア絵画史に名を残している。
1726年 トマソ・レディ 英語版 1665年
1791年

クリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト

(1739 - 1791)

詩人、音楽家

詩人 音楽家
ドイツの詩人・作曲家。風刺的な詩作とフルート曲で知られたロマン主義の先駆者。
1739年、南ドイツで生まれる。 修道院学校で学び、詩作と音楽に親しむ。 政治や社会を風刺する詩は検閲当局と対立を招いた。 フルートとチェンバロのためのソナタなど音楽作品も多数残す。 1777年、体制批判により逮捕され長期の投獄を経験。 1787年に釈放後は内省的な作風へと変化した。 1791年、シュトゥットガルトで没。
1791年 クリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト 1739年
1806年

ルイ・フェルディナント

(1772 - 1806)

プロイセン王国の王族

プロイセン王国の王族
プロイセン王国の王族、将軍、作曲家。フリードリヒ大王の甥として活躍し、音楽と軍事で名を馳せた。
1772年、ベルリンに生まれる。 フリードリヒ大王の甥として幼少期から軍事教育を受ける。 若くして騎兵隊を指揮し、有能な指揮官として評価される。 ピアノソナタなどの作曲活動を行い、ロマン派音楽の先駆けとされる。 1806年、イエーナ・アウエルシュタットの戦いで戦死。 その勇敢さと音楽家としての業績は後世に語り継がれる。
1806年 ルイ・フェルディナント プロイセン王国 1772年
1825年

ドミトリー・ボルトニャンスキー

(1751 - 1825)

作曲家

作曲家
ロシア帝国の作曲家。オペラや声楽作品、宗教音楽で高い評価を受けた。
1751年、現在のウクライナで生まれる。 聖歌隊員として教会音楽に親しむ。 イタリアに留学しロッシーニらと交流し作曲技術を研鑽。 宮廷作曲家としてオペラ『アルミダ』などを発表。 帰国後は聖歌隊団長を務め、ロシア正教会の典礼音楽を刷新。 後進の育成にも尽力し、宗教音楽の発展に寄与。 1825年、サンクトペテルブルクで没。
1825年 ドミトリー・ボルトニャンスキー 作曲家 1751年
1889年

アドルフ・フォン・ヘンゼルト

(1814 - 1889)

作曲家、ピアニスト

作曲家 ピアニスト
ドイツ出身の作曲家・ピアニスト。繊細な抒情性と高い技巧を持つ作品で知られます。
アドルフ・フォン・ヘンゼルトは1814年にドイツのアンスバッハで生まれました。 幼少より音楽の才能を示し、ドレスデンやミュンヘンで研鑽を積みました。 彼の練習曲や幻想的な小品は高度な技巧と叙情性を兼ね備え、当時のピアニストに愛奏されました。 サンクトペテルブルクでは皇后の音楽教師を務め、ロシア皇室とも深い関係を築きました。 ロマン派ピアノ音楽の重要な一翼を担い、多くの後進に影響を与えました。 1889年に死去するまで、演奏家・作曲家として欧州各地で活躍しました。
1889年 アドルフ・フォン・ヘンゼルト ピアニスト 1814年
1916年

妻木頼黄

(1859 - 1916)

建築家

建築家
明治期に数々の公共建築を手がけた日本の建築家。
妻木頼黄(1859-1916)は東京帝国大学工科大学を卒業後、文部省営繕課に入省した。 奈良国立博物館、京都国立博物館表慶館など、多くの重要文化施設を設計した。 伝統的な日本建築の意匠と西洋建築技術を融合させた建築様式を確立した。 日本初の本格的美術館のひとつとされる表慶館は、今なお高い評価を受けている。 後進の育成にも力を注ぎ、多くの建築家を輩出した。
1916年 妻木頼黄 建築家 1859年
1927年

ジョルジュ・ビゴー

(1860 - 1927)

画家、漫画家

画家 漫画家
明治期の日本社会を風刺した漫画で知られるフランス人画家・漫画家。
ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)はフランス出身の画家・漫画家である。 明治時代に来日し、日本の近代化を題材とした風刺画や漫画を多数制作した。 当時の政治・社会情勢をユーモアを交えて描き、庶民の生活や時代精神を活写した。 雑誌『東京パック』への寄稿を通じて、大正初期の風刺文化に大きな影響を与えた。 日本国外でも評価され、国際的な風刺画家として知られる。
1927年 ジョルジュ・ビゴー 画家 漫画家 1860年
1934年

高村光雲

(1852 - 1934)

彫刻家

彫刻家
近代日本彫刻の先駆者として知られる彫刻家。
高村光雲(1852-1934)は日本の彫刻家である。 東京美術学校(現東京芸術大学)で洋彫刻を学び、日本の彫刻教育に貢献した。 『老猿』や『文殊菩薩像』など、写実的かつ力強い作品を多数制作した。 皇居や主要寺院の彫刻装飾を担当し、公共彫刻の発展に寄与した。 その影響は息子の高村光太郎などにも受け継がれている。
1934年 高村光雲 彫刻家 1852年
1936年

アントニオ・ホセ

(1902 - 1936)

作曲家

作曲家
スペイン内戦で命を絶たれた若き作曲家。
アントニオ・ホセ(1902-1936)はスペインの作曲家である。 ナバーラ出身で、フランスやスペイン各地で音楽を学んだ。 伝統音楽と近代技法を融合させた作品を多く作曲した。 内戦勃発後、共和国軍に協力したことから反乱軍に捕らえられ、処刑された。 生涯わずか34歳の短い活動期間ながら、高い評価を受け続けている。
1936年 アントニオ・ホセ 1902年
1944年

島崎鶏二

(1907 - 1944)

洋画家

洋画家
昭和前期に活動した日本の洋画家。
1944年 島崎鶏二 1907年