1871年

シカゴ大火。シカゴ中心部を焼失し、死者250人を出す惨事となる。

1871年10月8日、アメリカのシカゴで大規模な市街火災が発生し、中心部を焼失、250人が亡くなりました。
1871年10月8日に発生し、その翌日まで延焼が続いた史上有名な都市火災です。 焼失面積は約4平方キロメートルに及び、約100,000人が家を失いました。 原因は諸説ありますが、当時の木造建築密集地帯での脆弱性が要因とされています。 火災後、シカゴは近代的な都市計画と耐火建築の導入に踏み切り、再建を果たしました。 この事件は都市防災や建築基準の見直しを促し、近代都市の発展に大きく寄与しました。
1871年 シカゴ大火
1945年

大分県で暴風雨。33人が死亡、68人が負傷。流失家屋110戸、全壊家屋2368戸などの被害。

1945年10月8日、大分県を襲った暴風雨により33人が死亡、68人が負傷し、多数の家屋が被害を受けました。
この暴風雨は台風襲来と長雨が重なり、土砂災害や河川氾濫を引き起こしました。 特に川沿いの集落では堤防決壊による浸水被害が深刻でした。 流失家屋は110戸、全壊家屋は2368戸に及び、交通網や通信も寸断されました。 戦後間もない混乱期に発生したことから、救援物資や人手が不足し、復旧には時間を要しました。 この災害は大分県の防災対策強化の契機となり、地域の堤防整備や警報システムの改善が進められました。
大分県
1954年

内郷丸遭難事件。相模湖で定員の4倍以上の客を乗せた遊覧船・内郷丸が沈没。22人死亡。

1954年10月8日、相模湖で内郷丸が定員の4倍以上の乗客を載せて沈没し、22人が死亡した遭難事故が発生しました。
内郷丸は地元の観光遊覧船として相模湖で運航されていた木造船でした。当日は行楽シーズンで乗客が殺到し、定員50名のところ200名以上を乗せて出航しました。過積載が原因で船体は不安定となり、湖中央付近で海面の波に耐えきれず転覆、沈没しました。乗客の多くが救命胴衣を着用しておらず、救援活動は困難を極め、警察や消防、近隣住民が救助にあたりました。最終的に22名の死亡が確認され、多数が負傷しました。この事故を契機に遊覧船の安全基準や乗客数制限の強化が図られ、湖上レジャーの規制が見直されました。
1954年 内郷丸遭難事件 相模湖
1989年

北の真砂岳で8人が凍死する遭難事故が発生した。

1989年10月8日、北アルプス・真砂岳に登山中の8人が凍死する痛ましい遭難事故が発生しました。
・北アルプスの真砂岳周辺で登山隊が急激な気象悪化に襲われた。 ・厚い霧と雪、強風により低体温症を発症し、多数の隊員が動けなくなった。 ・捜索隊は悪天候の中で懸命な救助活動を行ったが、8名の遺体を確認。 ・この事故を契機に、気象情報の早期伝達や装備の見直しが進められた。 ・登山の危険性と準備の重要性を改めて知らしめる出来事となった。
1989年 真砂岳 遭難事故
2001年

リナーテ空港事故が起こる。

ミラノ近郊リナーテ空港で滑走路上の航空機衝突事故が発生。 多数の死傷者を出す惨事となった。
2001年10月8日、イタリア・ミラノ近郊のリナーテ空港で 着陸進入中の旅客機と滑走路に停止していた軽飛行機が衝突しました。 濃霧による視界不良が事故の主因とされ 乗員・乗客を含む多数が犠牲となる大規模事故に発展しました。 本事故を受けて空港運営と気象情報提供の改善が図られ 航空安全体制の見直しが進められました。
2001年 リナーテ空港事故
2005年

パキスタン地震。パキスタン北部を中心にM7.6。

パキスタン北部を襲ったマグニチュード7.6の大地震。 甚大な被害をもたらした。
2005年10月8日、パキスタン北部を中心に マグニチュード7.6の大規模地震が発生しました。 震源はカシミール地方に近く 山岳地帯での土砂崩れや家屋倒壊が多発しました。 数万人が死亡し数十万人が家を失う惨事となり 国際的な救援・復興支援活動が展開されました。
2005年 パキスタン地震 M