578年

ユスティヌス2世

(520 - 578)

東ローマ皇帝

東ローマ皇帝
6世紀の東ローマ皇帝。父ユスティニアノス1世の後を継ぎ、治世中に帝国の財政再建を試みた人物。
ユスティヌス2世(520-578)は、東ローマ帝国の皇帝(在位565-578)。 雄弁な性格と慈悲深い政策で知られ、幼少期から宮廷で教育を受けた。 父ユスティニアノス1世の後を継ぎ、帝国の法制度整備や財政再建に取り組んだ。 対ゴート戦争やペルシアとの戦闘を通じて国境防衛を強化。 晩年は精神的な病に悩まされ、実権を宦官や後継者に委ねた。 死後、皇帝の権威と課題を次世代に残した。
578年 ユスティヌス2世 東ローマ皇帝 520年
610年

フォカス

(547 - 610)

東ローマ皇帝

東ローマ皇帝
7世紀初頭に即位した東ローマ皇帝。軍人出身で内乱を鎮圧し、政権を掌握した人物。
フォカス(547-610)は東ローマ帝国の皇帝(在位602-610)で、軍人として出世。 皇帝ファウスティヌス2世の死後、政変を起こし政権を掌握。 内乱や反乱を厳しく取り締まり、教会政策にも介入した。 西方教会との対立が深まり、コンスタンティノープルの権威を強化。 生涯を通じて厳格な統治を貫いたが、その残酷さから庶民の反感を買った。 暴動の末に暗殺され、息子ヘラクレイオスが後を継いだ。
610年 フォカス 547年
877年

シャルル2世(禿頭王)

(823 - 877)

西フランク王

西フランク王
西フランク王(在位843-877)。内乱やヴァイキングの侵入に悩まされながら王権の維持に努めた。
シャルル2世(823-877)はカロリング朝フランク王国の西フランク王。 カール大帝の孫にあたり、843年のヴェルダン条約後に西フランクを統治。 封建領主やヴァイキングの侵入に苦戦しつつも王権を保持。 頭髪の薄さから「禿頭王」と呼ばれたが、統治者としての評価は分かれる。 王権強化の試みは限られた成果にとどまり、治世後期は混乱が深刻化。 彼の死後、フランク王国は分裂への道をたどった。
877年 シャルル2世 西フランク王 823年
1056年

ハインリヒ3世

(1017 - 1056)

ローマ王、皇帝

ローマ王 皇帝
神聖ローマ皇帝(在位1046-1056)。教皇選出や教会改革に積極的に関与し、「教皇王」と呼ばれた。
ハインリヒ3世(1017-1056)は神聖ローマ皇帝(在位1046-1056)。 ザクセン朝第二代皇帝として、皇帝権の再興を図った。 イタリア遠征を行い、ローマ教皇の選出に介入して「教皇王」と呼ばれた。 グレゴリウス改革の表面的な支持者であり、教会の腐敗追及に取り組んだ。 中欧諸侯に対しても強硬策を採り、皇帝権の強化を推進。 その死後、ドイツ王権と教皇権の対立が顕在化していった。
1056年 ハインリヒ3世 皇帝 1017年
1111年

ロベール2世

(1065 - 1111)

フランドル伯

フランドル伯
フランドル伯(在位1093-1111)。港湾都市の発展と経済振興に尽力した領主。
ロベール2世(1065-1111)はフランドル伯として領地を統治。 ブルージュやガンを含む港湾都市の商業発展を奨励。 カペー朝フランス王との関係を緊密にし、領邦権の確立を図った。 第一回十字軍への支援を行い、騎士団の活動にも協力。 教会や修道院の建設を支援し、文化面でも貢献。 フランドル経済の基礎を築いた有能な領主として知られる。
1111年 ロベール2世 フランドル伯 1065年
嘉禎3年9月15日

正親町三条公氏

(1182 - 1237)

鎌倉時代の公卿

鎌倉時代の公卿
鎌倉時代の公卿・貴族。摂関家に連なる家柄として朝廷で要職を歴任した。
正親町三条公氏(1182-1237)は鎌倉時代の公卿・貴族。 摂関家に連なる家系で、朝廷の儀式や政務を担当する要職を歴任。 院政期の貴族社会に影響力を持ち、幕府との関係調整にも関与。 公文書の作成や式典の司会役として宮廷生活を支えた。 彼の業績は当時の政治・文化を伝える史料として評価される。 晩年まで貴族としての責務を全うした。
1237年 嘉禎 9月15日 正親町三条公氏 鎌倉時代 公卿 1182年
1285年

フィリップ3世

(1245 - 1285)

フランス王

フランス王
フランス王(在位1270-1285)。カペー朝の統治基盤を強化し、地方行政を整備した。
フィリップ3世(1245-1285)はカペー朝のフランス王(在位1270-1285)。 父ルイ9世の跡を継ぎ、王権強化と貴族統制に努めた。 現地調査と巡察を重視し、地方行政の整備を推進。 シチリア紛争への介入など対外政策も展開。 ロマネスクからゴシックへの移行期に教会建築を奨励。 数々の裁定で王権の権威を示し、中央集権化を進めた。
1285年 フィリップ3世 フランス王 1245年
慶安3年9月10日

松平忠直

(1597 - 1650)

第2代越前藩主

第2代越前藩主
江戸時代初期の大名で、第2代越前藩主を務めた。幕府との関係や藩政改革に取り組んだ。
松平忠直(1597年 - 1650年)は、徳川家康の孫にあたる越前福井藩の第2代藩主。 藩政改革を推進し、領内の財政再建や学問奨励に尽力した。 だが幕府と対立し、一時は蟄居を命じられるなど波乱の生涯を送った。 その政治手腕や改革姿勢は後の大名政治にも影響を与えたといわれる。 没後もその人物像は資料や史書で取り上げられ、研究の対象となっている。
1650年 慶安 9月10日 松平忠直 越前藩主 1597年
1763年

アウグスト3世

(1696 - 1763)

ポーランド王

ポーランド王
ポーランド王(在位1734年 - 1763年)で、ザクセン選帝侯としても君臨した君主。
アウグスト3世(1696年 - 1763年)は、ザクセン公、後にポーランド王として君臨した。 1733年のポーランド継承戦争を経て即位し、国内の文化振興に力を注いだ。 バロック様式の宮殿建設や芸術保護を奨励し、ドレスデンはヨーロッパ屈指の文化都市として栄えた。 一方で軍事的・政治的手腕には乏しく、国家財政はしばしば逼迫したとされる。 その統治は華やかな文化政策と財政難という両面を併せ持つものだった。
1763年 アウグスト3世 ポーランド王 1696年
1813年

テカムセ

アメリカ先住民ショーニー族の首長

アメリカ先住民ショーニー族の首長
ショーニー族の首長で、イギリスとの同盟を図りアメリカ拡大政策に抗った指導者。
テカムセ(約1768年 - 1813年)は、アメリカ先住民ショーニー族の有力な首長。 兄のティスカロンガとともにインディアン同盟を結成し、西部開拓を進めるアメリカ合衆国に抵抗した。 イギリスを支援基盤とし、イギリス軍と協力して戦ったが、1813年のテネシー州での戦闘で戦死した。 彼の死は先住民抵抗運動の転機となり、西部開拓の勢いをさらに強める結果を招いたという。 現在も先住民の英雄として記憶され、抵抗と誇りの象徴として語り継がれている。
1813年 テカムセ アメリカ先住民 ショーニー族 首長 1768年
1853年

マーロン・ディカーソン

(1770 - 1853)

アメリカ合衆国海軍長官

アメリカ合衆国海軍長官
アメリカの政治家・法律家で、ニュージャージー州知事や海軍長官を務めた人物。
1770年にニュージャージー州ハノーバーで生まれ、法律を学び弁護士として活動を開始しました。1815年から1817年にかけてニュージャージー州知事を務め、州政の運営に貢献しました。1834年から1838年までアメリカ合衆国海軍長官として海軍の近代化を推進し、艦隊の整備を主導しました。さらに米国上院議員として立法活動にも携わり、国政に影響を与えました。1853年に没し、政治家・法律家としての功績を残しました。
1853年 マーロン・ディカーソン アメリカ合衆国海軍長官 1770年
元治元年9月5日

清岡道之助

(1833 - 1864)

尊王攘夷の活動家

尊王攘夷の活動家
幕末の尊王攘夷運動に身を投じ、討幕志士として知られる活動家。
1833年に水戸藩領で生まれ、藩校で朱子学を学びました。攘夷思想に共鳴し、尾張藩や長州藩と連携して尊王攘夷運動に参加しました。1864年の天狗党の乱では中心的な役割を担い、幕府との衝突を経験しました。捕縛後は厳しい取り調べを受け、同年に刑死しました。若くして壮絶な最期を遂げた志士として、その名を歴史に刻みました。
1864年 元治 9月5日 清岡道之助 尊王攘夷 1833年