天智天皇2年8月27日
白村江の戦いが始まる。
663年、日本と唐・新羅連合軍が百済復興を巡り衝突した大規模な海戦の始まり。
663年8月27日、百済再興を目指す日本(倭国)軍と唐・新羅連合軍が白村江(現・韓国湖南省)で激突。日本軍は海戦で大敗し、百済再興計画は頓挫した。敗北は国内の防衛体制見直しを促し、朝廷が律令国家建設や都城防衛強化に着手する契機となった。東アジア情勢にも影響を与え、日本の外交・軍事戦略に大きな転換点をもたらした。
663年
天智天皇
8月27日
白村江の戦い
至正23年/大定3年8月26日
鄱陽湖の戦いが終結。朱元璋が陳友諒を破る。
1363年、朱元璋が大規模な湖上戦で宿敵を破り勢力を拡大した歴史的決戦。
1363年8月26日、明朝建国前夜の覇権を巡り、朱元璋率いる軍と陳友諒軍が鄱陽湖で衝突。朱元璋軍は船団戦術を活用し、敵軍を撃破して揚州の制圧に成功した。勝利により朱元璋は支持基盤を固め、後の明朝創建への足がかりを確立。中国中部の勢力図を一変させる重要なターニングポイントとなった。
1363年
至正
大定
8月26日
鄱陽湖の戦い
朱元璋
陳友諒
1582年
イタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインでグレゴリオ暦の適用により、10月4日の翌日が10月15日になる。
1582年、ヨーロッパ諸国で暦が大改正され、歴史上の“日飛ばし”が発生。
1582年10月4日の翌日を10月15日とするグレゴリオ暦改定は、ユリウス暦の累積誤差を修正するためローマ教皇グレゴリウス13世の勅令で実施。イタリア、ポーランド、ポルトガル、スペインで最初に採用され、他国にも徐々に広がった。採用国間の暦ずれや宗教行事への調整など、国際的な影響も大きく、暦法史における画期的な改革とされる。
1582年
イタリア
ポーランド
ポルトガル
スペイン
グレゴリオ暦
10月15日
1636年
三十年戦争・フランス・スウェーデン戦争: ヴィットストックの戦い。
三十年戦争中、スウェーデン軍と神聖ローマ帝国諸侯軍が激突した重要会戦。
1636年10月4日、三十年戦争の北ドイツ戦線において、スウェーデン軍がフランスの支援を受け神聖ローマ帝国の同盟軍とヴィットストックで激突。スウェーデン軍は巧みな戦術と連携で勝利を収め、ライン川への進出を確保。戦局を優位に進める転機となり、戦争全体に大きな影響を与えた。
1636年
三十年戦争
ヴィットストックの戦い
1745年
フランツ1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位。
1745年、ハプスブルク家の権威を象徴する神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた。
1745年10月4日、オーストリア大公フランツ1世は先代皇帝カール7世の死去を受け、神聖ローマ皇帝として戴冠。妻マリア・テレジアとの共同統治により、ハプスブルク家の支配権を再確認。オーストリア継承戦争のさなか、帝国内外の政治バランスに影響を与え、戦後のヨーロッパ秩序形成にも関与した。
1745年
フランツ1世
神聖ローマ帝国
1777年
アメリカ独立戦争: ジャーマンタウンの戦い
アメリカ独立戦争の一局面、フィラデルフィア郊外で行われた激戦。
1777年10月4日、ジョージ・ワシントン率いる大陸軍がイギリス軍のジャーマンタウン守備隊への奇襲を試みた。濃霧や連絡ミスにより完全な勝利を得られなかったものの、独立軍の士気と結束を高める結果に。戦闘で得られた戦術的教訓は後の戦いに活かされ、独立戦争の流れを変える一戦と評価される。
1777年
アメリカ独立戦争
ジャーマンタウンの戦い
文化5年8月15日
イギリス軍艦が長崎港に侵入、オランダ商館員を人質に食料などを要求。(フェートン号事件)
幕末、日本の開国を求めてイギリス艦が長崎港に侵入した外交的威嚇事件。
1808年8月15日、イギリス東インド艦隊のフェートン号が長崎港内に侵入し、オランダ商館員を人質に食料と水の供給を要求。幕府は鎖国令に抵触する中で対応を迫られ、最終的に要求を受け入れた。外国勢力からの圧力が明確化し、国内で対外防備と外交方針の見直しを加速させる契機となった。
1808年
文化
8月15日
イギリス
長崎港
オランダ商館
人質
フェートン号事件
1809年
イギリスでスペンサー・パーシヴァル内閣が成立。( 1812年)
イギリスでスペンサー・パーシヴァルが首相として内閣を組織した。
1809年10月4日、保守党の重鎮スペンサー・パーシヴァルがジョージ3世より首相に任命され、内閣を成立。対仏大陸封鎖政策を強化しつつ、戦費調達のための財政改革を進めた。庶民の生活改善策も模索し、政治的安定を図ったが、後の暗殺事件により悲劇的な結末を迎える。
1809年
スペンサー・パーシヴァル
1812年
1824年
メキシコが新憲法(1824年メキシコ憲法)を制定し共和制に移行。
メキシコが初の連邦共和制憲法を制定し、新国家体制に移行。
1824年10月4日、独立戦争を経たメキシコはスペインからの分離後、連邦制を採用した新憲法を公布。州の自治権を強化し、三権分立を明確化。共和制体制の確立により国内の政治的安定化を図り、国際的承認を得る重要な基盤を築いた。憲法はその後数度の改正を経ながらも国家の枠組みを支え続けた。
1824年
メキシコ
1824年メキシコ憲法
共和制
1830年
ベルギーがオランダからの独立を宣言。
ベルギーがオランダからの独立を正式に宣言し、新国家が誕生。
1830年10月4日、宗教・言語の違いや経済格差を背景にベルギー革命が成功し、オランダ王国からの独立を宣言。臨時政府が成立し、憲法制定作業が開始された。欧州列強の支持を獲得し、最終的に正式な独立国家として認められたことで立憲君主制国家としての歩みを始めた。
1830年
ベルギー
オランダ
1853年
クリミア戦争: オスマン帝国がロシアに宣戦布告。
クリミア戦争の開戦を告げる宣戦布告が行われた日です。
1853年10月4日、オスマン帝国がロシアに正式に宣戦布告し、クリミア半島を巡る争いが本格化しました。
この戦争は当時の大国間の勢力均衡と宗教的対立が背景にあり、オスマン帝国の衰退とロシア帝国の南下政策に対抗する形で勃発しました。
後にイギリス・フランスがオスマン側に参戦し、史上有名なセヴァストポリの包囲戦など激戦が展開されました。
戦争は1856年のパリ条約まで続き、ヨーロッパの勢力図を大きく変える契機となりました。
この開戦宣言は近代戦の草分けとしても評価され、後の国際政治にも影響を与えました。
1853年
クリミア戦争
オスマン帝国
ロシア
明治元年8月19日
榎本武揚率いる旧江戸幕府艦隊が江戸を脱出する。
榎本武揚率いる幕府艦隊が江戸を脱出し、蝦夷地へ向かった日です。
1868年(明治元年8月19日)、榎本武揚率いる旧江戸幕府の艦隊が江戸湾を出航しました。
この脱出は戊辰戦争終盤の一連の動きで、旧幕府勢力が最後の拠点を蝦夷(北海道)に求めたものです。
艦隊は蝦夷地に上陸後、五稜郭を拠点に旧幕府軍を新政府軍と戦わせました。
戦いは函館戦争へと発展し、最終的に旧幕府軍は降伏して戊辰戦争は終結しました。
この出来事は近代日本の政権移行を象徴する歴史的瞬間です。
1868年
明治
8月19日
榎本武揚
江戸幕府