1869年
オーストリアで世界初の郵便はがきを発行。
オーストリアで世界初の郵便はがきが発行され、手軽な通信手段が誕生した。
1869年、オーストリア帝国で世界で初めて公式な郵便はがきが発行されました。
このはがきは手紙よりも低い料金で送付でき、通信コストを大幅に削減しました。
設計は機械的な取り扱いを考慮し、一定のサイズとシンプルなデザインが採用されました。
すぐに他国にも波及し、近代的な郵便システムの普及を促進しました。
はがきは日常的な通信手段として定着し、現代に通じる郵便文化の基礎を築きました。
1869年
オーストリア
郵便はがき
1885年
東京瓦斯創立(東京府瓦斯局の払い下げ)。
東京府瓦斯局の払い下げを受け、民間ガス会社「東京瓦斯」が設立された。
後の東京ガスの起源となる。
1885年、東京府が所有していた瓦斯局が民間に払い下げられ、「東京瓦斯」が設立されました。
同社はガス灯や家庭用のガス供給を行い、都市部の夜間照明や調理・暖房に革新をもたらしました。
初期は限られた地域での供給だったが、技術改良と設備投資により急速にサービスエリアを拡大した。
ガス事業の民営化は近代都市インフラの整備を象徴し、東京の近代化に貢献しました。
その後、事業は拡大し、やがて広域供給網を構築して現在の東京ガスへと発展しました。
1885年
東京瓦Gas
東京府
1907年
鉄道国有法による日本の私鉄17社の買収・国有化が完了。
1907年10月1日に鉄道国有法に基づき、日本の私鉄17社の買収・国有化が完了しました。
鉄道国有法(1906年制定)は国家が鉄道事業を統制し、インフラ整備を進める目的で成立しました。
翌年の10月1日に山陽鉄道など17社の私鉄が政府に買収され、国有鉄道として運用開始しました。
これにより鉄道路線網の統一管理が実現し、安全性や運行効率が向上しました。
国有化は軍事輸送や産業振興にも寄与し、第一次世界大戦期の物流基盤を支えました。
さらに鉄道整備促進の契機となり、国内交通網の発展に大きく貢献しました。
1907年
鉄道国有法
国有化
1930年
鉄道省が特別急行列車「燕」の運転を開始。
鉄道省が特別急行列車「燕」の運行を開始しました。
1930年10月1日、鉄道省は東京~大阪間を結ぶ特別急行列車「燕(つばめ)」の運転を開始しました。
当時の最高速度クラスを誇り、豪華寝台車や食堂車を備えたサービスが話題となりました。
「燕」は後に超特急「こだま」や「はと」などへと発展し、日本の高速鉄道システムの基礎を築きました。
利用客からの支持も高く、鉄道省のブランド力向上に大きく寄与した列車です。
1930年
鉄道省
燕
1940年
ペンシルベニア・ターンパイク開通。 藤沢市市制施行
アメリカでペンシルベニア・ターンパイクが開通し、日本で藤沢市が市制を施行しました。
1940年10月1日、アメリカ合衆国では初の長距離有料高速道路ペンシルベニア・ターンパイク(Pennsylvania Turnpike)が全長約360kmで開通しました。
これにより貨物輸送や自動車旅行の時間短縮と利便性向上に大きく貢献しました。
同日、日本の神奈川県では藤沢町が市制を施行して藤沢市が誕生しました。
藤沢市は湘南地域の中心都市として行政運営が開始され、戦後の都市化と経済発展の基盤が築かれました。
両国の交通インフラと地方行政が新たな段階へ進んだ象徴的な日です。
1940年
ペンシルベニア・ターンパイク
藤沢市市制施行
1948年
東京・大阪・京都・横浜・川崎・名古屋・神戸・福岡で警察通報用電話(110番)を設置。
1948年10月1日、東京・大阪など主要8都市で警察通報用電話番号110番が運用開始された。
戦後の治安回復を図るため、警察庁は統一通報番号「110」を導入した。
10月1日に東京・大阪・京都・横浜・川崎・名古屋・神戸・福岡の主要8都市でサービスを開始した。
市民は犯罪や緊急事態発生時に110番へダイヤルし、迅速な警察対応が可能となった。
導入にあたり、通信網の整備と警察署内の通報受理体制が整えられた。
110番は翌年以降、全国へ順次拡大され、現在に至るまで重要な公共インフラとして機能している。
1948年
東京
大阪
京都
横浜
川崎
名古屋
神戸
福岡
110番
1961年
国鉄が「サンロクトオ」と呼ばれる大規模ダイヤ改正実施。
1961年10月1日、国鉄が大規模ダイヤ改正「サンロクトオ」を実施し、全国の列車時刻が一新されました。
利用者サービスの向上を図った改正版です。
「サンロクトオ」とは1961年(昭和36年)10月1日に実施された第3回大規模ダイヤ改正を指します。
各地の快速列車の増発や急行体系の見直しなど、利用者サービスの向上が図られました。
新型ディーゼル車や電車の投入により、所要時間短縮と運行本数の拡大が実現しました。
東京駅や大阪駅など主要ターミナルでは発着時刻の再編成が行われ、効率的な運行を確保しました。
この改正は、後の新幹線開業に向けた輸送基盤整備の一環とも位置づけられています。
サンロクトオ
1964年
東海道新幹線東京 新大阪間開業。それに伴うダイヤ改正実施。0系の営業運転開始。
1964年10月1日、東海道新幹線の東京~新大阪間が開業し、日本初の高速鉄道が誕生しました。
革新的な輸送システムが話題を呼びました。
東海道新幹線は世界初の営業最高速度200km/hを実現し、革新的な鉄道システムとして注目されました。
開業日に投入された0系車両は流線型のデザインと快適な車内設備で話題を呼びました。
所要時間は東京~新大阪間を約4時間から約3時間10分に短縮しました。
開業と同時に全国的なダイヤ改正が実施され、在来線から新幹線への乗り継ぎが整備されました。
以降、日本の経済成長を支える基盤として世界の新幹線ネットワークのモデルとなりました。
1964年
東海道新幹線
東京
新大阪
ダイヤ改正
0系
1968年
国鉄が「ヨンサントオ」と呼ばれる大規模ダイヤ改正実施。
国鉄が「ヨンサントオ」と呼ばれる大規模なダイヤ改正を実施し、全国の鉄道網に大きな変革をもたらしました。
1968年10月1日、日本国有鉄道(国鉄)は「ヨンサントオ」と通称される大規模ダイヤ改正を実施しました。
これは約3年ぶりの大幅な変更で、列車本数の見直しや快速列車の新設、客車編成の最適化が行われました。
新幹線開業を翌年に控え、在来線の接続改善や効率化が図られたことも特徴です。
利用者利便性の向上と運行コスト削減を両立させる狙いがあり、多くの路線で運行ダイヤや停車駅が変更されました。
この改正は以降の鉄道運行管理の基礎となり、国鉄の経営改革に向けた第一歩と位置づけられています。
1968年
ヨンサントオ
1969年
北京地下鉄が開業。
中国初の地下鉄として北京地下鉄が開業し、都市交通に革命的な変化をもたらしました。
1969年10月1日、中国北京市で北京地下鉄1号線の一部区間が正式に営業運転を開始しました。
これは中国初の地下鉄路線で、当初は東直門駅から西直門駅まで約23kmを結んでいました。
建設には旧ソ連の技術支援を受け、冷戦期の国際協力事例としても注目されました。
地下鉄の開業により、北京市内の慢性的な交通渋滞が緩和され、市民の通勤・移動が大幅に改善しました。
以降、路線は順次拡張と近代化が進み、現在では世界有数の規模を誇るネットワークに発展しています。
北京地下鉄
1969年
福井テレビジョン放送、秋田テレビ開局。
福井と秋田でテレビジョン放送局が相次いで開局し、地域テレビネットワークが拡大しました。
1969年10月1日、福井テレビジョン放送(FTB)と秋田テレビ(現・秋田テレビ)(UX)が相次いで開局し、地域民放ネットワークが拡充されました。
FTBは中部日本放送系列、秋田テレビはテレビ朝日系列にそれぞれ加盟し、全国ネット番組と独自制作番組を提供しました。
開局当初はローカルニュースや情報番組を中心に放送し、地域住民の生活情報を強化しました。
これにより両県の視聴者は全国的な番組と地域密着コンテンツを同時に楽しめるようになりました。
民間テレビ放送の普及とメディア環境の多様化を象徴する出来事でした。
福井テレビジョン放送
秋田テレビ
1969年
フジテレビジョンをキーステーションとする放送ネットワーク・フジネットワーク(FNS)発足。加盟21社。
フジテレビを基幹局とする放送ネットワーク・FNSが発足し、全国21社が加盟しました。
1969年10月1日、フジテレビジョンをキーステーションとする放送ネットワーク「フジネットワーク(FNS)」が正式に発足しました。
当初は全国21社のテレビ局が加盟し、番組交換や共同制作を通じて系列ネットワークが強化されました。
この組織により、ニュース、ドラマ、バラエティなど多彩な番組が全国各地で放送されるようになりました。
FNSの結成は地方局の制作力向上と系列広告の効果最大化をもたらし、放送業界に新たな枠組みを築きました。
以降の日本のテレビ放送網の基盤がこの時に確立され、現在に至る系列網の原型となっています。
フジテレビジョン
フジネットワーク