1903年

第1回ワールドシリーズ開幕。ボストン・アメリカンズVSピッツバーグ・パイレーツの顔合わせ。

1903年10月1日に歴史初のワールドシリーズが開幕し、ボストン・アメリカンズとピッツバーグ・パイレーツが対戦しました。
ワールドシリーズはメジャーリーグベースボール(MLB)のチャンピオンを決めるポストシーズンシリーズです。 第1回はアメリカンリーグ優勝のボストン・アメリカンズとナショナルリーグ優勝のピッツバーグ・パイレーツが対戦しました。 試合はボストンが5勝3敗で勝利し、初代王者に輝きました。 このシリーズの成功がMLBの人気を一層高め、現在に至るまで毎年秋の風物詩となっています。 スポーツ史に残るイベントとして、世界中の野球ファンに愛されています。
1903年 ワールドシリーズ ボストン・アメリカンズ ピッツバーグ・パイレーツ
1950年

神宮外苑競技場にて、第1回早稲田大学対慶應義塾大学サッカー定期戦が開催される(日本のサッカーにおける初のナイトゲーム)。

1950年、神宮外苑競技場で早稲田大学対慶應義塾大学のサッカー定期戦がナイトゲームとして初めて開催された。
1950年10月1日、神宮外苑競技場で早稲田大学と慶應義塾大学のサッカー定期戦が初めてナイトゲームとして開催されました。当日は照明設備を活用した夜間興行の可能性を示し、多くの観客を集めました。これにより夜間のスポーツ観戦が一般化し、後のプロリーグでもナイトゲームが定着しました。大学対抗戦としての伝統が強化され、学生スポーツ文化の発展に大きく寄与しました。
神宮外苑競技場 早稲田大学対慶應義塾大学サッカー定期戦
1961年

ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスがシーズン61号目のホームランを打ち、1927年にベーブ・ルースが打ち立てたシーズン最多本塁打記録を破る。

1961年10月1日、ロジャー・マリスがシーズン61号本塁打を放ち、ベーブ・ルースの60本塁打記録を破りました。 MLB史上に残る偉業の瞬間です。
米大リーグのニューヨーク・ヤンキース所属選手、ロジャー・マリスはツインズ戦でシーズン61号を達成しました。 1927年にベーブ・ルースが打ち立てたシーズン最多本塁打60本の記録を34年ぶりに更新し、歴史的快挙となりました。 マリスはシーズン終盤に怪我に苦しみながらも、この記録を達成し、長らく論争の的にもなりました。 MLB初のシーズン61本塁打は、後にハンク・アーロンらが更新するまで大きな話題を呼びました。 この日を境に、マリスは不朽の名スラッガーとして野球史に名を刻みました。
ニューヨーク・ヤンキース ロジャー・マリス 1927年 ベーブ・ルース
1967年

阪急ブレーブスが球団創立32年目でパ・リーグで初優勝

阪急ブレーブスが創立32年目にして初めてパ・リーグ優勝を果たした歴史的快挙です。
1967年10月1日、阪急ブレーブスがパシフィック・リーグで初優勝を決めました。 球団は1935年の創立以来、長年にわたって優勝を逃していましたが、この年にエース投手や強力打線がかみ合い、頂点に立ちました。 優勝決定試合では投手陣が好投し、打線も要所で得点を重ねました。 球団初のリーグ制覇はファンに大きな感動を与え、チームの人気と地元での支持を飛躍的に高めました。 この優勝を弾みに、球団はその後も強豪としての地位を確立していきました。
阪急ブレーブス パ・リーグ
1975年

マニラでプロボクシングWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対ジョー・フレージャー第3戦」、通称スリラー・イン・マニラ。モハメド・アリが勝利。

1975年10月1日、ボクシング史に名を残す『スリラー・イン・マニラ』と呼ばれるモハメド・アリ対ジョー・フレージャー第3戦が行われ、アリが勝利しました。
1975年10月1日、フィリピン・マニラで開催されたWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ第3戦は『スリラー・イン・マニラ』の異名で知られています。試合は強烈な湿度と高温の中で行われ、両者は激闘を繰り広げながら14ラウンドを戦い抜きました。ジョー・フレージャーの強打に苦しみつつも、モハメド・アリは技巧を駆使して有効打を重ね、判定勝ちを収めました。この試合は過酷な条件と両者の闘志が伝説的なドラマを生み出し、ボクシング史上屈指の名勝負とされています。試合後も『スリラー・イン・マニラ』は映画化や書籍化され、多くのファンに語り継がれています。
マニラ プロボクシング WBA WBC ヘビー級 モハメド・アリ ジョー・フレージャー スリラー・イン・マニラ モハメド・アリ
1977年

サッカーの神様・ペレが現役を引退。

1977年10月1日、ブラジルのサッカー界の英雄ペレがプロ選手として現役を引退しました。
1977年10月1日、サントスFCとニューヨーク・コスモスで活躍したペレ(エドソン・アランテス・ドナシメント)が正式に現役引退を発表しました。通算1369試合で1281得点を記録し、3度のワールドカップ優勝に貢献したその功績は『サッカーの神様』と称されるほどです。ペレはプレーメーカーとしてのテクニックとゴールセンスを兼ね備え、世界中にサッカー人気を広めました。引退後はユニセフ親善大使などの活動に従事し、スポーツを通じた社会貢献に取り組みました。彼の影響力は現在もサッカー界や文化に大きな足跡を残しています。
1977年 ペレ
2004年

イチローが、ジョージ・シスラーのメジャーリーグ年間最多安打記録(257安打)を84年ぶりに更新する258安打を達成(最終成績は262安打)。

イチローがメジャーリーグ年間最多安打記録を84年ぶりに更新した日です。
2004年10月1日、シアトル・マリナーズのイチロー選手がジョージ・シスラーの257安打を上回る258本目のヒットを達成しました。 この偉業によりイチローはメジャーリーグ史上最多安打記録保持者となり、最終的には262安打を記録しました。 シスラーの記録は1911年に樹立されて以来84年間破られておらず、イチローの記録更新は世界中で大きな話題となりました。 イチローの安打製造機ぶりやコンタクトヒッティング技術が改めて注目され、日米両リーグで高い評価を受けました。 この記録はプロ野球史に残る快挙として後世に語り継がれています。
2004年 イチロー ジョージ・シスラー
2018年

貴乃花光司が9月25日に提出した退職願と、貴乃花部屋所属力士の千賀ノ浦部屋への移籍願を日本相撲協会が受諾。同部屋が消滅するとともに、一代年寄がいなくなった。

元横綱貴乃花光司の退職と部屋の消滅により、一代年寄がいなくなった出来事です。
2018年10月1日、日本相撲協会は元横綱の貴乃花光司が提出した退職願と、貴乃花部屋の力士移籍願を受諾しました。 これにより貴乃花部屋は千賀ノ浦部屋への吸収合併という形で消滅し、貴乃花自身は一代年寄を退くことになりました。 一代年寄制度は特別待遇の引退親方に与えられる称号で、現在ではこの制度が消滅したことで新たにこの地位を得る人物は存在しません。 貴乃花光司は横綱在位中の厳しい指導とその後の協会改革への姿勢で注目を集め、相撲界の議論を喚起してきました。 退職後は育成方針を巡る協会内対立や、部屋運営の困難さが指摘され、相撲界の伝統と近代化の葛藤が浮き彫りとなりました。 本件は相撲協会の在り方や親方制度の見直しに関する契機として、大きな議論を呼びました。
貴乃花光司 9月25日 貴乃花部屋 千賀ノ浦部屋 日本相撲協会 一代年寄