1847年

シーメンスが設立される。当時は電信、電車、電子機器の製造会社であった。

電信機器メーカーとしてシーメンス社が設立された。 後に世界的なエンジニアリング企業へ成長。
1847年、ヴェルナー・フォン・ジーメンスらによって電信機器の製造会社としてシーメンス社が創業されました。 最初の事業は電信ケーブルとその付属機器の製造で、効率的な通信技術を提供しました。 同社は特許取得や研究開発に積極的で、早くから国際市場へ進出した。 その後、鉄道用機関車や電子機器分野にも事業を拡大し、技術革新を追求しました。 シーメンスは産業革命期のヨーロッパで急速に成長し、やがて電力、ヘルスケア、交通など多岐にわたる分野で世界的企業となりました。
1847年 シーメンス 電信 電車 電子機器
1885年

東京瓦斯創立(東京府瓦斯局の払い下げ)。

東京府瓦斯局の払い下げを受け、民間ガス会社「東京瓦斯」が設立された。 後の東京ガスの起源となる。
1885年、東京府が所有していた瓦斯局が民間に払い下げられ、「東京瓦斯」が設立されました。 同社はガス灯や家庭用のガス供給を行い、都市部の夜間照明や調理・暖房に革新をもたらしました。 初期は限られた地域での供給だったが、技術改良と設備投資により急速にサービスエリアを拡大した。 ガス事業の民営化は近代都市インフラの整備を象徴し、東京の近代化に貢献しました。 その後、事業は拡大し、やがて広域供給網を構築して現在の東京ガスへと発展しました。
1885年 東京瓦Gas 東京府
1908年

フォード・モーターがT型フォードの販売を開始。

1908年10月1日、フォード・モーターが汎用自動車T型フォードの販売を開始し、自動車産業に革命をもたらしました。
T型フォード(フォード・モデルT)はヘンリー・フォードが開発した低価格・大量生産を実現した自動車です。 組立ライン方式を導入し、生産効率の大幅向上とコスト削減を達成しました。 当初価格は850ドルから始まり、後に300ドル程度まで下がり、労働者層にも手の届く存在となりました。 この大量生産技術は「フォーディズム」と呼ばれ、製造業全般に大きな影響を与えました。 世界中に自動車が普及する契機となり、交通手段や生活様式を根本から変えました。
1908年 フォード・モーター T型フォード
1910年

日本コロムビア株式会社設立。

1910年10月1日、日本コロムビア株式会社が設立され、音楽・音響産業の発展に貢献しました。
日本コロムビア株式会社は、イギリスのコロムビア・レコード社との提携により創立されました。 レコード製造や音楽出版を手がけ、日本国内における洋楽の普及に大きく寄与しました。 初期には蓄音機の製造や輸入・販売も行い、音楽を楽しむ文化を広げました。 また、新人アーティストの発掘や録音技術の研究開発にも力を注ぎました。 現在では多様な音楽ジャンルのレーベルを展開し、日本音楽産業を牽引しています。
1910年 日本コロムビア株式会社
1957年

初の5000円札を発行(聖徳太子の肖像)。

1957年、聖徳太子肖像の5000円紙幣が初めて発行された。
1957年10月1日、日本銀行が初めて5000円紙幣の発行を開始しました。肖像には歴史上の人物である聖徳太子が描かれ、高額紙幣としての信頼性向上を図りました。発行当初は流通量が限られていたものの、経済成長に伴い市場に広く浸透しました。以降、紙幣デザインの刷新や偽造防止技術の導入など、貨幣制度の近代化に寄与しました。
1957年 5000円札 聖徳太子
1962年

日本財団の前身である日本船舶振興会が創立。

1962年10月1日、日本船舶振興会が創立され、海運業の振興と国際貢献活動の基盤が築かれました。
日本船舶振興会は海運および船舶産業の発展を目的に設立されました。 設立資金は戦後の船舶賠償金を原資とし、業界の研究助成や人材育成事業を展開しました。 翌年には日本財団に名称を変更し、国内外の社会福祉活動にも貢献を始めました。 海上安全、環境保全、医療支援など多岐にわたる助成プログラムが特徴です。 現在も民間助成財団の代表格として国際的な活動を続けています。
1962年 日本財団
1966年

江崎グリコから「ポッキー」が発売。

江崎グリコが1966年10月1日に細長いチョコレート菓子「ポッキー」を初めて発売しました。
江崎グリコは1966年10月1日、細長いスティックタイプのビスケットにチョコレートをコーティングした「ポッキー」を発売しました。 発売当初はオリジナルのチョコレートのみを展開し、手軽に食べやすい形状で話題を呼びました。 名前の由来は英語の「Poke(つつく)」と「Stick(棒)」を組み合わせた造語とも言われています。 発売以来、多彩なフレーバーやコラボ商品を展開し、今なお世界中で愛され続けるロングセラーとなりました。 季節限定商品や地域限定品など、常に新しい魅力を発信し続けています。
1966年 江崎グリコ ポッキー
1967年

東京新聞の編集・発行権を株式会社東京新聞社から中部日本新聞社(現在:中日新聞社)に承継。

東京新聞の編集・発行権が株式会社東京新聞社から中部日本新聞社へ移管された歴史的な経営統合です。
1967年10月1日、老舗新聞社である株式会社東京新聞社が保有していた東京新聞の編集・発行権が中部日本新聞社(現:中日新聞社)に正式に承継されました。 この経営統合は紙面内容の強化や経営基盤の安定化を目的としており、東京と中京圏を結ぶ新聞ネットワークの構築を図るものでした。 承継後も東京新聞の独自性は維持されつつ、編集・印刷・販売などのノウハウ共有が進みました。 結果として両紙のジャーナリズムレベルが向上し、購読者サービスの拡充につながりました。 以降のメディア連携の先駆けとなる重要な出来事とされています。
1967年 東京新聞 東京新聞社 中部日本新聞社(現在:中日新聞社)
1971年

第一銀行・日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行が発足。

1971年10月1日、第一銀行と日本勧業銀行が合併し、新銀行・第一勧業銀行が発足しました。
1971年10月1日、第一銀行と日本勧業銀行の合併により第一勧業銀行が誕生しました。両行は戦後の金融再編の流れの中で経営基盤の強化とサービス拡充を目指して統合を決定しました。発足当初は都市銀行の中でも大手に次ぐ規模を誇り、全国に支店網を展開しました。合理化やシステム統合を進めることで業務効率化を図り、企業向け融資や個人向け預金サービスを拡充しました。この合併は後の銀行再編の先駆けとなり、2000年にはさらに他行と統合して現在の大手金融グループの礎を築きました。
1971年 第一銀行 日本勧業銀行 第一勧業銀行
1981年

福島放送開局。「東京十二チャンネル」(愛称:東京12チャンネル)が「テレビ東京」に社名変更。

1981年10月1日、福島放送が開局し、東京十二チャンネルが『テレビ東京』に社名変更しました。
1981年10月1日、福島県をサービスエリアとする福島放送(KFB)が正式に開局しました。 同日、東京十二チャンネル(愛称:東京12チャンネル)は社名を『テレビ東京』に改め、新たなブランドで放送を開始しました。 テレビ東京は都市型ビジネスモデルを取り入れ、独自編成や経済情報番組で注目を集めました。 福島放送の開局により、県内視聴者はローカルニュースや情報番組を視聴できるようになりました。 地方局の拡大と都市局のブランド改革が同日に実現した歴史的な日です。
福島放送 テレビ東京
1981年

「ラジオ関東」が「アール・エフ・ラジオ日本」(愛称:ラジオ日本)に社名変更。

1981年10月1日、『ラジオ関東』が『アール・エフ・ラジオ日本』に社名変更しました。
1981年10月1日、関東地方を中心に多チャンネル展開する民間ラジオ局『ラジオ関東』は、新たなイメージ戦略の一環として社名を『アール・エフ・ラジオ日本』に変更しました。 RFラジオ日本という愛称をツールに、聴取者への親しみやすさと独自性を強調。 新社名はRadio & FMのRFを取り入れたもので、多彩な番組編成とFM帯域の活用を象徴しました。 以降、ニュースや音楽番組、地域密着の情報発信で幅広いリスナーを獲得しています。 現在もRFラジオ日本として首都圏で親しまれるラジオ局です。
アール・エフ・ラジオ日本
1982年

鹿児島放送、エフエム長崎開局。

1982年10月1日、鹿児島放送とエフエム長崎がそれぞれ開局しました。
1982年10月1日、鹿児島放送(KKB)がテレビ放送を開始しました。 同日、長崎県のFM局エフエム長崎が開局し、FMラジオサービスを提供しました。 地方局の新規開局は地域情報や文化振興に大きく寄与し、住民の生活に密着した番組編成を実現しました。 KKBはニュースや特番で県内の注目度を高め、エフエム長崎は音楽や地域情報を通じて多彩なリスナーに支持されました。 地方メディアの発展に向けた重要な一歩となった日です。
鹿児島放送 エフエム長崎