1909年

客船の初代モーリタニアが進水。

1909年9月30日、イギリスの豪華客船、初代『モーリタニア』が進水しました。
モーリタニアはキュナードラインが建造した豪華客船で、アームストロング・ホイットワース工場で進水しました。 その優雅な船体デザインと高速性能が注目され、『ブルーリボン』賞を何度も獲得しました。 定期航路で大西洋を横断し、数多くの乗客に愛されました。 第一次世界大戦時には病院船や特別輸送船として活躍し、戦後も復帰して運航を続けました。 その長寿命は船舶技術の先進性を象徴しています。
1909年 初代モーリタニア
1961年

愛知用水が完成。

愛知県の大規模灌漑・用水事業である愛知用水が完成し、水不足対策が進展した。
愛知用水は伊勢湾から取水した水を愛知県内の農地へ供給する灌漑施設として整備が進められ、1961年9月30日に主要な幹線水路と調整池が完成した。これにより、愛知県中央部から西三河地域にかけての農業用水が安定供給され、水稲栽培など農業生産力の向上が図られた。灌漑だけでなく産業用水や生活用水への転用も検討されるなど、地域の多様な水需要に対応する基盤となった。完成後は運営・管理組織が確立され、現代まで広く利用されている。
愛知用水
1968年

都営トロリーバスがこの日限りで全面廃止される。

東京都交通局のトロリーバスが全面廃止され、東京の路面電車時代に一区切りがつきました。
1968年9月30日、都営トロリーバスは最後の運行を終え、戦前から続いた電気バス路線は姿を消しました。 自動車道の渋滞緩和や運行コストの低減を理由に従来のトロリーバスは順次廃止されました。 これにより、東京都内の公共交通はバスと地下鉄が中心となり、近代的な交通網への転換が加速しました。 都営トロリーバスの車両は後に保存された車両もあり、一部は交通博物館などで展示されています。 路線廃止は、持続可能な都市計画や交通政策の転機としても評価されています。
1968年 都営トロリーバス
1969年

総武本線の無煙化達成。関東地方から蒸気機関車が消える。

総武本線の無煙化が完了し、関東地方から蒸気機関車が姿を消しました。
1969年9月30日、総武本線の全線でディーゼル機関車と電気機関車への置き換えが完了しました。 これにより、長年親しまれてきた蒸気機関車が定期運行から引退し、路線の近代化が実現しました。 無煙化は運行コスト削減と環境負荷軽減の両面で効果を発揮し、乗客の快適性も向上しました。 同年には他の幹線でも無煙化が進み、日本全国で蒸気機関車時代が終焉を迎えました。 鉄道ファンの間では記念運転などイベントが行われ、多くの人々が最後の姿を見届けました。
1969年 総武本線 蒸気機関車
1978年

京都市電がこの日限りで運転を停止し翌日付けで廃止。

京都市内を走る市電がついに運転を停止し、長年の歴史に幕を閉じました。
1978年9月30日、京都市の市電(路面電車)は最後の運行を終え、翌10月1日付で全線廃止となりました。 1895年に開業して以来、京都市民の足として親しまれてきた市電は、自動車交通との競合や経営悪化を背景に見直しが進んでいました。 廃止後はバス路線への転換が図られ、現在の京阪バスが多くの路線を引き継いでいます。 一部の車両は保存され、京都鉄道博物館などで当時の姿を残しています。 市電の廃止は、路面電車をめぐる都市交通政策の議論を活性化させる契機ともなりました。
1978年 京都市電
1985年

埼京線が開業、川越線が電化。両線の直通運転を開始。

埼京線が開業し、川越線との直通電車運行がスタートしました。
1985年9月30日、埼京線の大崎~武蔵浦和間が開業し、同日に川越線も電化されました。 これにより、埼玉県内と東京都心部を結ぶ直通運転が可能となり、通勤・通学路線としての利便性が飛躍的に向上しました。 新線開業に伴い、快速・通勤快速など多様な種別列車が設定され、輸送力も大幅に強化されました。 埼京線は開業当初から需要が高く、後にさらに延伸や増発が行われ、首都圏の基幹路線の一つとなりました。 現在では埼京線・川越線を含む多くの区間で混雑緩和策が講じられています。
1985年 埼京線 川越線 電化
1996年

兵庫県南部地震により倒壊する被害を受けた阪神高速3号神戸線が全面復旧。

1996年9月30日、阪神高速3号神戸線が兵庫県南部地震の被災から全面復旧した。
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で倒壊・損壊した阪神高速3号神戸線は、約1年9カ月にわたる復旧工事を経て1996年9月30日に全面開通しました。被災箇所では橋脚の補強や道路構造の改善が行われ、安全性を高める対策が採られました。復旧作業には技術者や地元住民の協力が欠かせず、復興のシンボル的存在となりました。高速道路の再開通により物流や交通網が復活し、地域経済の再生に大きく寄与しました。この復旧は災害復興におけるインフラ整備の重要性を示す事例としても評価されています。
1996年 兵庫県南部地震 阪神高速3号神戸線
1997年

翌日の北陸新幹線(長野行新幹線)開業に伴い、信越本線横川 軽井沢間がこの日限りで運転を停止し翌日付けで廃止。

翌日の北陸新幹線開業に伴い、信越本線横川~軽井沢間がこの日限りで運行を終了し、廃止されました。 歴史的なアプト式鉄道区間の終焉を示す出来事です。
北陸新幹線(長野行新幹線)の開業により、従来の信越本線横川~軽井沢間は役割を終え、1997年9月30日をもって運転が停止されました。 この区間は碓氷峠を越える急勾配を抱え、アプト式鉄道や旧トンネルが特徴的でした。 廃止前には沿線で記念乗車券の発売や現地イベントが行われ、多くの鉄道ファンが訪れました。 地域住民にとっては長年の交通手段が失われる一方、新幹線による高速輸送が生活圏を拡大しました。 廃線後の一部区間は遊歩道として整備され、旧鉄道施設の保存・活用が進められています。 高速化と歴史遺産の狭間で鉄道文化の一幕が幕を下ろした日として記憶されています。
1997年 北陸新幹線 信越本線 横川 軽井沢
2006年

日本の戦後初の国産旅客機YS 11が航空会社の定期便におけるラストフライトを行う。

日本の戦後初の国産旅客機YS-11が定期便として最後のフライトを終え、現役を退きました。 日本航空機産業の一時代を象徴する出来事です。
2006年9月30日、国産旅客機YS-11が航空会社による定期便で最後の運航を行い、56年の歴史に幕を下ろしました。 YS-11は1962年に就航し、国内外の短距離路線で広く活躍しました。 日本航空機製造(現・三菱重工業)と日本航空が共同開発した初の国産プロペラ旅客機です。 大量生産やコスト面で課題を抱えながらも、日本の航空機産業の礎を築きました。 退役後は博物館や公園に展示され、航空ファンや歴史愛好者から注目を集めています。 YS-11の活躍は後のジェット旅客機開発への足がかりとなったと言われています。
2006年 YS-11 ラストフライト
2006年

桃花台新交通桃花台線がこの日限りで廃止。新交通システム路線としては国内初の廃線。

桃花台新交通桃花台線が運行を終了し、新交通システム路線として国内初の廃線となりました。 少子高齢化や利用者減少が背景にあります。
2006年9月30日、愛知県の桃花台新交通桃花台線が廃止され、運営を終了しました。 1984年に開業したこのリニアモーターカー方式の新交通システムは国内初の試みでした。 利用者数の低迷や維持コストの増大により、採算が取れなくなったことが廃止の主因です。 廃止後、車両は譲渡や解体され、一部駅施設は再開発やバス路線に転用されました。 地域住民や鉄道ファンからは惜しむ声が上がり、思い出として語り継がれています。 交通インフラの限界と地域活性化の難しさを象徴する事例となりました。
桃花台新交通桃花台線 新交通システム 廃線