キリスト教のラテン教父
キリスト教のラテン教父
キリスト教のラテン教父として知られる聖職者。古代教父のひとりであり、聖書のラテン語訳「ヴルガータ」を手がけた。
ヒエロニムス(347年–420年)は、キリスト教初期の偉大な教父の一人です。古代ギリシャ語・ヘブライ語の原典から聖書をラテン語に翻訳し、後世に「ヴルガータ」として広く受け継がれました。ベルギーで生まれ、隠者として砂漠修道生活を送りながら多くの書簡や神学論文を執筆しました。その博識さと聖書学の業績は中世の神学者たちに多大な影響を与えました。晩年はローマで教会図書館の司書を務め、教会史にも重要な足跡を残しました。
420年
ヒエロニムス
ラテン教父
347年
ウラジーミル大公
ウラジーミル大公
ルーシ時代のウラジーミル大公として君臨した君主。モンゴル帝国との外交と軍事に奔走した。
ヤロスラフ2世(1191年–1246年)は、ルーシ公国のウラジーミル大公を務めたルーシ諸公の一人です。1238年に大公位を継承し、モンゴル帝国の西進による脅威に直面。バトゥ・ハンの承認を得て領地の保持に努め、貢納と同盟関係の維持に奔走しました。国内外で軍事遠征や外交交渉を重ね、領国の存続を図りました。1246年、モンゴル高原の首都サライからの帰路で客死し、その死はルーシ世界に大きな波紋を呼びました。
1246年
ヤロスラフ2世
ウラジーミル大公
1191年
周防国の戦国大名
周防国の戦国大名
周防国を治めた戦国大名。文化事業を奨励したが、家臣の謀反で失脚した。
大内義隆(1507年–1551年)は、戦国時代の周防国大名として名を馳せました。大内氏15代当主として家督を継ぎ、領内の経済振興や文化活動に力を注ぎました。京文化を積極的に取り入れ、多くの学者や芸術家を保護して「西の京」と称される繁栄をもたらしました。しかし、家中では勢力争いが激化し、1551年の陶晴賢によるクーデター(大寧寺の変)で自害を余儀なくされました。義隆の死は周防国の政治構造を一変させ、彼が築いた文化的遺産は後世にも大きな影響を与えました。
1551年
天文
9月1日
大内義隆
周防国
戦国大名
1507年
カトリック教会の聖人、イエズス会総長
カトリック教会の聖人
イエズス会総長
イエズス会第4代総長を務めたスペイン貴族出身の聖人。カトリック教会の改革に貢献した。
フランシスコ・ボルハ(1510年–1572年)は、スペイン貴族出身のイエズス会士で第4代総長を務めました。聖イグナティウス・デ・ロヨラの後継者として、イエズス会の組織拡大と教育事業の推進に尽力。反宗教改革期のカトリック教会で指導的役割を果たし、ヨーロッパ各地に修道院や学校を設立しました。高潔な信仰生活と慈善活動でも知られ、1601年に列聖されました。その生涯は、カトリック信仰の拡大と教会改革の象徴として今も語り継がれています。
1572年
フランシスコ・ボルハ
カトリック教会
聖人
イエズス会
1510年
数学者、詩人、音楽理論家、建築家、作曲家
数学者
詩人
音楽理論家
建築家
作曲家
イタリア・ルネサンス期の多彩な学者・芸術家。音楽理論や建築、数学など幅広い分野で功績を残した。
エルコレ・ボトリガーリ(1531年–1612年)は、数学、詩、音楽理論、建築、作曲など多岐にわたる分野で活躍したルネサンス期の博学者です。彼は音楽理論に関する著作を執筆し、旋律や和声の研究を行いました。また建築設計にも携わり、幾何学的な視点を取り入れた設計論を提唱しました。詩人としても作品を発表し、文学と科学を融合させた文化人として知られます。貴族の地位を利用して芸術家や学者を支援し、イタリア各地の宮廷文化に大きく貢献しました。その多方面にわたる業績はルネサンス文化の豊かさを象徴しています。
1612年
エルコレ・ボトリガーリ
英語版
1531年
後金創始者、初代清皇帝
後金創始者
初代清皇帝
後金(のちの清)を創始し、女真部族を統一した初代皇帝。満州族の台頭を促した。
ヌルハチ(1559年–1626年)は、後金国(後の清朝)を建国し、初代皇帝となった女真族の指導者です。八旗制度を創設して軍事組織と行政制度を整備し、強力な国家基盤を築きました。女真諸部を統合して勢力を拡大し、明朝との抗争を繰り返しながら領土を拡大しました。1616年には皇帝を称し、清朝へと発展する礎を築きました。彼の統治と軍事改革は満州族が中国全土を支配する道を開き、その遺産は後世の清朝政治と文化に大きな影響を与えました。
1626年
天啓
天命
8月11日
ヌルハチ
後金
清
皇帝
1559年
画家
画家
イタリア・ルネサンス後期の画家。宗教画や肖像画を中心に活躍した。
ヤコポ・ダ・エンポリ(1551年–1640年)は、フィレンツェを拠点に活動した後期マニエリスムの画家です。サン・フリアーノ派の影響を受けつつ、より自然主義的な表現を追求しました。宗教画や肖像画を手掛け、礼拝堂のフレスコ画や祭壇画でも高い評価を得ました。明確な輪郭線と繊細な色彩感覚を特徴とし、当時の芸術潮流に一石を投じました。約90年にわたる長寿の創作活動は、多くの弟子や後継者に受け継がれました。
1640年
ヤコポ・ダ・エンポリ
英語版
1551年
建築家、祭壇画デザイナー
建築家
祭壇画デザイナー
スペイン・バロック期の建築家および祭壇装飾のデザイナー。独自の装飾様式を確立した。
ホアキン・デ・チュリゲラ(1674年–1724年)は、スペイン・バロック建築を代表する建築家です。過剰装飾と彫刻的要素を融合させたシュリゲレスク様式を確立し、教会や宮殿の祭壇装飾を数多く手掛けました。数学や透視図法にも精通し、建築デザインに斬新な視覚効果を取り入れました。マドリードやトレドを中心に顕著な作品を残し、スペイン・バロック芸術に大きな影響を与えました。彼のスタイルは後世の建築家にも継承され、18世紀スペイン建築の象徴となりました。
1724年
ホアキン・デ・チュリゲラ
フランス語版
1674年
眼科医、白内障手術創始者
眼科医
白内障手術創始者
フランスの眼科医で、近代白内障手術の先駆者。
ジャック・ダビエル(1696年–1762年)は、現代的な白内障手術法を確立したフランスの眼科医です。従来の穿孔術から一歩進んだ水晶体摘出術を提唱し、手術成績の向上に寄与しました。パリで眼科医として活動し、多くの学術論文を発表して医療界に影響を与えました。彼の技術は欧州各国に広まり、眼科手術の発展を促進しました。白内障治療の進歩に大きく貢献し、後世の眼科学に道を開いた人物として高く評価されています。
1762年
ジャック・ダビエル
英語版
1696年
イングランド国教会の牧師
イングランド国教会の牧師
英国国教会の牧師で、宗教復興運動を牽引した説教者。
ジョージ・ホウィットフィールド(1714年–1770年)は、18世紀の英国国教会の牧師であり、ジョン・ウェスレーと並ぶ循道運動(メソジスト)の創始者の一人です。卓越した説教技術で大衆を魅了し、イギリスと北アメリカで大規模な屋外集会を開催しました。その熱烈な伝道活動は大覚醒(グレート・アウェイクニング)を引き起こし、プロテスタント福音主義運動の礎を築きました。世界各地を巡回して数千回の説教を行い、信仰の普及に尽力しました。人々の心を揺さぶる説教で知られ、今も伝道史上の名説教者として語り継がれています。
1770年
ジョージ・ホウィットフィールド
イングランド国教会
牧師
1714年
画家
画家
フランスの画家・版画家。18世紀にロシアの風俗画を取り入れ、ヨーロッパに新風を吹き込んだ。
1734年にフランス・パリ近郊で生まれる。
画家フランソワ・ブーシェに師事し、18世紀半ばにロシアを訪問。
ロシア宮廷や農民生活を題材にした風俗画や版画を制作。
特にロシアの衣装や風景を細密に描写し、当時のヨーロッパ人に新鮮な視点を提供。
帰国後はフランス王立絵画彫刻アカデミーの会員となり、作品を発表。
影響力のある風俗画家として、高い評価を得る。
1781年9月30日に没。
1781年
ジャン=バティスト・ルプランス
英語版
1734年
法学者
法学者
ドイツの法学者・法制史家。地域主義的な法理論を唱え、ドイツ法学に影響を与えた。
1701年にドイツで生まれる。
大学で法学と歴史を学び、ドイツ諸邦の法制度を研究。
『ドイツ帝国憲法論考』などの著作で地域主義的な法理論を提唱。
中央集権化に反対し、多様な法の在り方を重視する立場を確立。
教育者としても活躍し、多くの門弟を育成。
その思想は19世紀のドイツ法学に大きな影響を残す。
1785年9月30日に没。
1785年
ヨハン・ヤコブ・モーザー
英語版
1701年