1902年
足尾台風が関東・東北南部を通過。小田原で小田原大海嘯が発生するなどし、全国で死者300人以上。
1902年、足尾台風が関東・東北南部を襲い、小田原大海嘯などで全国300人以上が犠牲となりました。
足尾台風は9月28日ごろ関東・東北南部を巻き込む大雨をもたらしました。
神奈川県小田原では河川堤防が決壊し、大規模な氾濫(小田原大海嘯)が発生。
多くの家屋や田畑が流失、住民は避難を余儀なくされました。
全国で死者は300人を超え、被害の深刻さが明らかに。
この災害を契機に河川改修や堤防強化などの近代的治水対策が進められるようになりました。
1902年
足尾台風
小田原大海嘯
1908年
ニザーム藩王国統治下のハイデラバードでムーシー川が大氾濫。
1908年、ニザーム藩王国治下のハイデラバードにてムーシー川が大氾濫し、都市が壊滅的な被害を受けた。
1908年9月28日、インド(当時ニザーム藩王国領)ハイデラバードを流れるムーシー川が大雨により氾濫した。
洪水は街の中心部を襲い、住民の多くが被害を受けた。
家屋やインフラが壊滅的な被害を受け、道路や橋が流失した。
死者数は推定1万5千人に上り、多数が避難生活を余儀なくされた。
この災害をきっかけに、ハイデラバードでは治水計画やダム建設などの防災対策が強化された。
1908年
ニザーム藩王国
ハイデラバード
ムーシー川
1912年
アメリカ陸軍のフランク・S・スコット(Frank S. Scott)が飛行機墜落事故で死亡し米陸軍初の飛行機事故での死亡者となる。
1912年、米陸軍の下士官フランク・S・スコットが飛行機墜落で死亡し、陸軍初の航空事故殉職者となった。
1912年9月28日、アメリカ陸軍のフランク・S・スコット(Frank S. Scott)二等軍曹が訓練飛行中の航空機から転落し、墜落死した。
この事故は、アメリカ陸軍史上初の飛行機事故による死亡事故として記録されている。
当時航空機は軍事的な偵察や連絡用として導入されつつあり、安全対策はまだ十分ではなかった。
スコット下士官の死を受け、機体の点検体制や乗員保護装備の見直しが進められ、陸軍航空部隊の制度整備に影響を与えた。
彼は航空史における殉職者第一号として、後世の軍航空発展における安全基準確立の象徴ともなった。
アメリカ陸軍
フランク・S・スコット
Frank S. Scott
1920年
台風が関東地方、東北地方に接近。神奈川県で死者65人、埼玉県、栃木県、茨城県内で死者91人。
1920年の台風が関東・東北地方を直撃し、神奈川で65人、埼玉・栃木・茨城で91人が死亡した大災害。
1920年9月28日、強い台風が関東地方から東北地方にかけて接近・上陸し、広範囲で暴風雨をもたらした。
神奈川県では高潮や土砂崩れなどにより65人が死亡し、家屋流失や道路遮断が多発した。
埼玉県、栃木県、茨城県でも合わせて91人の死者を出し、農作物や交通網にも大きな被害が及んだ。
被災地では応急の避難所が設置され、救援物資の輸送や復旧作業が急ピッチで行われた。
この災害を契機に、気象観測網の整備や防災情報の伝達体制強化が図られるようになった。
1920年
1992年
パキスタン国際航空268便墜落事故。
1992年9月28日、カトマンズ近郊でパキスタン国際航空268便が墜落し、乗員乗客全員が死亡した。
パキスタン国際航空268便はカラチ発カトマンズ行きの定期便でした。
1992年9月28日、トリブバン国際空港への進入中にヒマラヤ山麓の山岳地帯に墜落しました。
機体は標高約2400メートル地点に衝突し、乗客155名と乗員12名、計167名が即死しました。
事故調査では、降下率の過剰や管制塔との高度確認ミスが原因として指摘されました。
この事故は航空安全手順の見直しと航空機装備の改善を促す契機となりました。
1992年
パキスタン国際航空268便墜落事故
1994年
エストニアのフェリー「エストニア号」がバルト海で沈没。死者852名。
1994年9月28日、バルト海でエストニア号フェリーが沈没し、852名の死者を出す大惨事となった。
エストニア号はエストニアとスウェーデンを結ぶ定期フェリーでした。
1994年9月28日未明、強風と高波の中で航行中に車両デッキのドアが損傷し浸水が発生しました。
フェリーは約45分で沈没し、乗客と乗員合わせて852名が犠牲となりました。
事故後の調査で船舶設計上の欠陥や緊急対応手順の問題が指摘され、国際的な船舶安全基準の改定につながりました。
この事故は欧州最大級の海難事故として記憶されています。
1994年
エストニア
フェリー
エストニア号
バルト海
2005年
北海道根室市沖合で、イスラエル船籍の「ZIM・アジア」による当て逃げによりサンマ漁船「第三新生丸」が沈没、乗員7名死亡。
北海道沖合で発生した船舶の当て逃げ事故で、サンマ漁船が沈没し乗員7名が死亡した悲劇。
2005年9月28日、北海道根室市の沖合で、イスラエル船籍の貨物船「ZIM・アジア」が漁船「第三新生丸」に衝突しながら通過しました。
当て逃げにより船体が損傷し、乗員7名を乗せた漁船は沈没に至りました。
衝突後、貨物船は現場を離れ、通報を受けた海上保安庁が捜索活動を行いました。
乗員全員の発見は叶わず、7名の死亡が確認されました。
事故は国際的な海難事故として捜査が行われ、責任追及や補償問題が取り沙汰されました。
2005年
北海道
根室市
イスラエル
船籍
当て逃げ
サンマ
漁船
2012年
シーター・エア601便墜落事故。ネパールの首都カトマンズ郊外でドルニエ 228型双発旅客機が墜落、乗客・乗員19人全員が死亡。
カトマンズ郊外でのドルニエ228型機の墜落事故で、搭乗者19名全員が犠牲に。
2012年9月28日、ネパールの首都カトマンズ郊外に向かっていたシーター・エア601便(ドルニエ228型双発旅客機)が悪天候の中、墜落しました。
航空機は離着陸を繰り返すヒマラヤ地域の厳しい山岳路線を運航しており、安全対策が課題とされてきました。
墜落時には高度計や通信トラブルの影響が指摘され、正確な位置情報が得られないまま山間部に衝突した可能性があります。
事故現場は険しい地形で捜索・救助活動が困難を極め、全19名の乗客・乗員は即死とされました。
事故後、国際的な航空安全機関が調査を実施し、ネパール国内の航空運行環境改善に向けた報告書がまとめられました。
2012年
シーター・エア601便墜落事故
ネパール
カトマンズ
ドルニエ 228
2016年
南オーストラリア州停電(2016 South Australian blackout)が発生する。
2016年9月28日に南オーストラリア州全域で大規模な停電が発生した。
2016年9月28日、南オーストラリア州では大規模な電力系統障害により、ほぼ全域で停電が発生しました。
州内の約80万世帯が一時的に電力を失い、交通信号や公共施設にも影響が出ました。
停電の原因は激しい嵐による送電線の断線とされ、復旧には数時間から数日を要しました。
この事態を受けて、電力インフラの耐風対策や再生可能エネルギーの導入に関する議論が活発化しました。
2016年
南オーストラリア州停電
2016 South Australian blackout
2018年
インドネシアでマグニチュード7.5のスラウェシ島地震が発生する。4,340人が死亡、10,679人が負傷。
2018年9月28日、スラウェシ島近海でマグニチュード7.5の地震が発生し多数の犠牲者が出た。
2018年9月28日未明、インドネシア・スラウェシ島の近海を震源とするマグニチュード7.5の強い地震が発生しました。
激しい揺れは島内各地で家屋倒壊や地滑りを引き起こし、多くの住民が被災しました。
この地震により4,340人が死亡、10,679人が負傷し、数千人が家を失って避難生活を余儀なくされました。
国内外から緊急支援が送られ、医療支援や仮設住宅の整備など復旧活動が進められています。
2018年
スラウェシ島地震