366年

リベリウス

第36代ローマ教皇

第36代ローマ教皇
4世紀の第36代ローマ教皇。アリウス派と対立し、流刑を経験した。
第36代ローマ教皇として352年から366年まで在位した。 皇帝コンスタンティウス2世とアタナシウス派をめぐり対立し、一時流刑されたと伝えられる。 復帰後も異端との戦いを続け、教会の独立を守るために尽力した。 正統ニケーア信条を支持し、アリウス派の勢力に抗して教義的立場を明確にした。 その生涯と業績は後世の教皇制に大きな影響を与えた。
366年 リベリウス ローマ教皇
天武天皇元年8月25日

中臣金

飛鳥時代の官人、右大臣

飛鳥時代の官人 右大臣
飛鳥時代の右大臣。朝廷の政務を取り仕切った。
出生地や生年は不明。 飛鳥時代の官人として朝廷で活動し、右大臣に任ぜられた。 律令以前の朝廷制度の整備に携わったと考えられる。 天武天皇元年に没したが、詳しい事績は伝わっていない。 史料には名が見えるのみで、その生涯は謎に包まれている。
672年 天武天皇 8月25日 中臣金 飛鳥時代 官人 右大臣
911年

ルートヴィヒ4世

(893 - 911)

東フランク王国国王

東フランク王国国王
カロリング朝末期の最後の東フランク王。幼くして王位に就いた。
893年に生まれ、899年に6歳で東フランク王に即位した。 彼は最年少で王位に就いたカロリング朝の君主とされる。 実権は摂政の手に委ねられ、地方領主との関係調整が課題となった。 王権の弱体化を招き、東フランク王国の分裂への道筋を作った。 911年に若くして死去し、カロリング朝は東フランクで途絶えた。 その死は中世ヨーロッパの王権構造に大きな影響を与えた。
911年 ルートヴィヒ4世 東フランク王国 893年
1143年

インノケンティウス2世

第163代ローマ教皇

第163代ローマ教皇
12世紀の第163代ローマ教皇。教会改革を推進した。
1073年頃に生まれ、1130年に教皇に選出された。 即位を巡りアンチポープとの対立が生じた。 ベルナール・ド・クレルヴォーら有力人士の支持を得て正統性を維持した。 ランス公会議で教会改革を推進し、教皇権強化を図った。 イングランド王ヘンリー1世や神聖ローマ皇帝ロタール3世の支持を獲得した。 1143年に没し、教会内の分裂解消に向け歩みを進めた。
1143年 インノケンティウス2世
成化4年9月8日

世祖

(1417 - 1468)

李氏朝鮮王

李氏朝鮮王
李氏朝鮮の中興を図った第7代王。クーデターで実権を掌握した。
1417年に生まれ、世孫として高い評価を受けた。 1455年に弟の文献王を退位させ、王位を簒奪した。 王朝の安定と法制整備を推進し、『経国大典』の編纂を命じた。 儒教を国教化し、官僚制度の改革に取り組んだ。 1455年から1468年まで在位し、政治体制を強化した。 1468年に没したが、その統治は後世にも大きな影響を与えた。
1468年 成化 9月8日 世祖 李氏朝鮮王 1417年
1541年

パラケルスス

錬金術師、医者、自然哲学者

錬金術師 医者 自然哲学者
ルネサンス期の錬金術師・医学者。近代薬理学の先駆者とされる。
1493年頃にスイスで生まれ、本名はテオフラストゥス・フォン・ホーヘンハイム。 錬金術の知識を医学に応用し、病因を鉱物や化学的過程で説明しようとした。 ガレノスやアヴィセンナの伝統医学を批判し、経験と観察を重視した。 近代薬理学・毒物学の基礎を築き、ラウダナムなどの化学薬品を開発した。 著作『大外科論』『病因論』などで医学理論に革新をもたらした。 1541年に没し、その思想は後世の科学革命に大きな影響を与えた。
1541年 パラケルスス 錬金術師 1493年 1494年
1715年

ヴィルヘルム・ホンベルク

(1652 - 1715)

自然哲学者

自然哲学者
17世紀オランダの自然哲学者。化学実験で多くの発見をした。
1652年にドイツで生まれ、後にオランダへ移住した。 ライデン大学で哲学と医学を学び、自然哲学の講座を担当した。 尿の蒸留によって得られる独特のリンを研究し、『ホンベルク燐』と呼ばれた。 化学的実験を通じて物質の成分と性質の探究を行った。 顕微鏡や蒸留装置の改良にも取り組み、実験技術の発展に寄与した。 1715年に没し、近世化学の発展を促した先駆者として知られる。
1715年 ヴィルヘルム・ホンベルク 英語版 1652年
享保17年8月6日

霊元天皇

(1654 - 1732)

第112代天皇

第112代天皇
江戸時代前期の第112代天皇。文化振興に関心を示した。
1654年に生まれ、第110代・後水尾天皇の皇子として育った。 1663年に即位し、1687年まで在位した。 和歌や茶道を好み、公家文化の復興に尽力した。 朝廷儀礼の整備と伝統芸能の保護を推進した。 退位後は法皇として政治と文化の庇護を続け、1732年に薨去した。 その生涯は77年に及び、江戸時代中期の文化形成期を支えた功績で知られる。
1732年 享保 8月6日 霊元天皇 天皇 1654年
1735年

ペトル・ブランドル

(1668 - 1735)

画家

画家
チェコ出身のバロック期画家。劇的な光と影の対比が特徴。
1668年にチェコで生まれ、本名はペトル・ブラントル。 バロック様式を取り入れた劇的な構図と明暗対比に定評がある。 プラハを拠点に聖堂祭壇画や肖像画を数多く手がけた。 ファン・ダイクやレンブラントの技法を学びつつ独自の作風を築いた。 その作品は現在も中欧各地の美術館で高く評価されている。 1735年に没し、チェコ美術史における重要な画家の一人とされる。
1735年 ペトル・ブランドル 英語版 1668年
1753年

ゲオルク・ゲベル

(1709 - 1753)

作曲家

作曲家
ドイツのバロック期作曲家・オルガニスト。教会音楽を多く手がけた。
1709年にドイツで生まれ、オルガニストとして活動を始めた。 教会音楽を中心に、多くのカンタータやオルガン曲を作曲した。 バロック後期のスタイルを取り入れ、洗練された対位法が特徴的である。 ライプツィヒやドレスデンの教会でオルガニストとして演奏活動を行った。 作品は当時の教会暦に沿った構成を持ち、礼拝で広く用いられた。 1753年に没し、その音楽は後世の教会音楽に影響を与えた。
1753年 ゲオルク・ゲベル 英語版 1709年
1802年

アレクサンドル・ラジーシチェフ

(1749 - 1802)

貴族、思想家

貴族 思想家
18世紀ロシアの貴族で、自由と人権を擁護した思想家。 『ペテルブルクからモスクワへの旅』で専制政治を痛烈に批判し、シベリアに流刑された経験を持つ。
1749年、サンクトペテルブルク近郊の貴族の家に生まれる。 若くして欧州各地を旅し、啓蒙思想に触れる。 1790年に著書『ペテルブルクからモスクワへの旅』を発表し、専制政治や農奴制を痛烈に批判。 刊行直後に女帝エカチェリーナ2世に逮捕され、シベリアに流刑される。 後に恩赦を受けて帰還するものの、厳しい監視下で余生を送る。 1802年9月24日、サンクトペテルブルクで死去。
1802年 アレクサンドル・ラジーシチェフ 1749年
1834年

ペドロ1世

(1798 - 1834)

初代ブラジル皇帝

初代ブラジル皇帝
ブラジル初代皇帝として独立を宣言し、近代国家の礎を築いた君主。 ポルトガル王ペドロ4世としても在位した特異な経歴を持つ。
1798年、ポルトガル王室の一員としてリスボンに生まれる。 1822年9月7日にブラジルの独立を宣言し、初代皇帝に即位。 憲法を制定して立憲君主制を導入し、政治的安定を図った。 1826年にはポルトガル王位も継承したが、両国の分離を維持するため辞退。 1831年にブラジル帝位を退きヨーロッパで余生を送り、1834年9月24日に没した。
1834年 ペドロ1世 ブラジル 1798年