1876年
サッポロビールの発祥の地である開拓使麦酒醸造所(現在のサッポロファクトリーとなり)が開業。
1876年9月23日、北海道の開拓使麦酒醸造所が開業し、後のサッポロビールの礎が築かれました。
北海道開拓の一環として設立された開拓使麦酒醸造所が操業を開始しました。
ドイツ人技師の指導の下、国内初の本格的ビール醸造技術が導入されました。
初醸造されたビールは品質が高く、評判を呼びました。
醸造所は後に民間に移管され、サッポロビールとしてブランド化されました。
現在のサッポロファクトリーはその発祥地を記念する施設として保存されています。
1876年
サッポロビール
サッポロファクトリー
1884年
ヴィルへネス岬にて座標した蒸気船アークティク(Arctique)により砂金が発見され、ティエラ・デル・フエゴのゴールドラッシュが始まる。
蒸気船アークティク号がティエラ・デル・フエゴ沖で砂金を発見し、現地でゴールドラッシュが始まった出来事です。
1884年9月23日、蒸気船アークティク号がティエラ・デル・フエゴのヴィルへネス岬沖で砂金を発見した。
この発見を機に、世界中から探鉱者が集まり、過酷な環境下でのゴールドラッシュが本格化した。
深い霧や強風、凍結する気候の中、多くの人々が富を求めて渡り、一時は町が急速に発展した。
しかし、資源の枯渇や生活環境の厳しさから、多くの探鉱者が撤退し、ゴールドラッシュは短期間で終焉を迎えた。
この一連の流れは、南米最南端の開拓史の重要なエピソードとなっている。
1884年
ヴィルへネス岬
英語版
蒸気船
砂金
ティエラ・デル・フエゴのゴールドラッシュ
英語版
1889年
山内房治郎により京都府京都市下京区で花札製造・販売会社として任天堂(当時の任天堂骨牌、または山内房治郎商店)が創業される。
山内房治郎が京都で花札製造・販売を手掛ける任天堂骨牌を創業し、日本の娯楽産業の礎を築きました。
1889年9月23日、京都府京都市下京区で山内房治郎が『任天堂骨牌』を設立し、花札の製造・販売を開始した。
当初は伝統的な遊戯用カードを専門とした小規模工房だったが、その品質の高さで評判を呼んだ。
明治期の庶民の娯楽需要を捉え、徐々に事業を拡大。やがて玩具やトランプ、後にはゲーム機開発へと業容を広げていった。
現在の「任天堂」はこの時の小さな花札商店を起源とし、世界的なゲーム企業へと成長している。
その創業日は、日本の企業史やゲーム文化史における記念碑的な一日とされる。
1889年
山内房治郎
京都府
京都市
下京区
花札
任天堂
1948年
帝国銀行から第一銀行が分離。
1948年、帝国銀行から第一銀行が分離し、新たな金融機関が発足しました。
帝国銀行は1873年に創立され、日本で最も歴史のある銀行の一つでした。戦後の財閥解体と金融制度改革の中で、同年9月23日に帝国銀行から第一銀行が分離・独立しました。第一銀行は地域金融の強化と企業融資を重視した新体制でスタートしました。当時の混乱期における金融安定化の一端を担った出来事として注目されます。分離後の両行はそれぞれの特色を活かし、日本経済の復興を支えました。
1948年
帝国銀行
第一銀行
1957年
ダイエー第1号店が大阪市の千林駅前に開店。
1957年、大阪市千林駅前にダイエー第1号店が開店し、戦後小売業の発展を象徴しました。
1957年9月23日、総合小売業のダイエーが大阪市旭区千林駅前に第1号店を開店しました。創業者・中内功はディスカウント方式を取り入れ、低価格と大量仕入れによる独自のビジネスモデルを展開しました。開店当初から大衆に支持され、戦後復興期の消費社会をリードしました。その後、ダイエーは全国展開を進め、日本におけるスーパーマーケット業態の先駆けとなりました。流通業の革新は国内経済の多様化にも大きく寄与しました。
1957年
ダイエー
大阪市
千林駅
2019年
トーマス・クック・グループがロンドンの裁判所に破産申請を行う。
2019年9月23日、英国の旅行大手トーマス・クック・グループがロンドンの裁判所に破産申請を行いました。
トーマス・クック・グループは1841年創業の世界最古クラスの旅行代理店でした。過度な負債とEU離脱(ブレグジット)に伴う通貨変動、オンライン予約サイトの競合激化などで収益が圧迫されました。2019年9月23日、ロンドン高等裁判所に破産申請を提出し、事実上の経営破綻が確定しました。倒産手続きには現地社員や契約旅行者数万人が影響を受け、大規模な運休や旅行キャンセルが発生しました。英国企業史上最大級の倒産案件として、観光業界に大きな衝撃を与えました。
2019年
トーマス・クック・グループ
破産