1952年

蔵前国技館で土俵の四本柱を廃止、現在のつり屋根と4色の房に。

1952年9月21日、蔵前国技館で土俵の四本柱が廃止され、新たにつり屋根と四色の房が導入されました。
蔵前国技館は1929年に開場し、伝統的な土俵には天井を支える四本柱が設置されていました。1952年9月21日、この四本柱を取り除き、屋根を天井から吊り下げるつり屋根方式に改造されました。つり屋根には赤、青、黄、緑の四色の房が飾られ、土俵の象徴的な意匠となりました。この変更は観客の視界を妨げず、安全性を高めるために行われ、以後の相撲施設の標準的デザインとなりました。現在の両国国技館でも同様のつり屋根が受け継がれ、伝統と近代性が融合した演出を支えています。
1952年 蔵前国技館 土俵
1986年

ホンダがF1で日本の自動車メーカー史上初のコンストラクターズ・チャンピオンになる。

1986年9月21日、ホンダがF1で日本の自動車メーカーとして初めてコンストラクターズ・チャンピオンを獲得しました。
ホンダは1983年からマクラーレンチームにエンジンを供給し実績を積んでいました。 1986年シーズン、マクラーレン・ホンダはアラン・プロストとネルソン・ピケのドライバー体制で参戦。 両ドライバーが安定した好成績を収め、チームポイントを大量獲得。 シーズン最終戦まで優勝争いを展開し、見事コンストラクターズ部門でトップに立ちました。 日本メーカーとして初の快挙は国内モータースポーツ界にも大きな刺激を与えました。 この成功はホンダの技術力の高さを世界に示し、その後のF1活動継続にもつながっています。
1986年 ホンダ F1
1993年

日本野球機構がフリーエージェント制導入を決定。

NPBが選手の移籍を自由化するFA制度を正式導入した出来事です。
1993年9月21日、日本野球機構(NPB)はフリーエージェント(FA)制度の導入を正式に決定しました。 この制度は選手が一定の出場年数を経過後に他球団と契約交渉できる権利を認め、球団間の戦力均衡を図るものです。 FA導入により、松井秀喜選手らスター選手の移籍が可能となり、リーグ全体の活性化を促しました。 一方で経済格差の拡大や球団運営への影響など課題も顕在化し、現在に至るまで議論が続いています。 日本プロ野球における選手のキャリア形成やファンの楽しみ方を大きく変えた歴史的決定といえます。
日本野球機構 フリーエージェント