1378年

教会大分裂: 4月に選出されたローマ教皇ウルバヌス6世を支持しないフランス人枢機卿が独自に教皇選挙を行い、その結果ロベール・ド・ジュネーヴがクレメンス7世として即位。教会大分裂の始まり。

教皇ウルバヌス6世に反発したフランス枢機卿がクレメンス7世を擁立し、教会大分裂が開始された。
1378年、教皇ウルバヌス6世の教皇就任を巡り、フランス人枢機卿らがローマでの選出を認めず、独自にアヴィニョンで教皇選挙を実施した。 その結果、クレメンス7世が即位し、ローマ教皇とアヴィニョン教皇の双方が並立する教会分裂(大シスマ)が始まった。 両派は政治・国家間の対立と結びつき、ヨーロッパ諸国を二分する事態となった。 この分裂は1398年まで続き、後の教会改革運動や宗教戦争にも影響を及ぼした。 中世カトリック教会の権威と統一性が大きく損なわれた出来事。
1378年 教会大分裂 ウルバヌス6世 クレメンス7世
1519年

マゼランが5隻の軍艦・265人でスペインを出航、世界一周航海に出発。

ポルトガル出身の航海者マゼランがスペイン王の援助を受け、世界一周航海のために出帆した。
1519年、フェルディナンド・マゼランはスペイン王カルロス1世の支援を得て、5隻の艦隊と265人の乗組員で出航した。 西回りでのアジア航路開拓と香料貿易の確立を目指し、未知の海域への探検が開始された。 大西洋横断後、南アメリカ南端のマゼラン海峡を発見し、太平洋を横断して太平洋諸島を経由した。 マゼラン自身はフィリピンで戦死したが、艦隊の一隻ビクトリア号が1522年にスペインに帰還し、人類初の世界一周を達成した。 この航海は地理的認識を一変させ、世界地図の作成や海洋交易に革命をもたらした。
1519年 マゼラン スペイン 世界一周