1609年

オランダ東インド会社が平戸に日本支社の商館を開設。

オランダ東インド会社が日本に正式商館を開設し、日蘭間の貿易関係が組織化されました。
オランダ東インド会社は1602年に設立され、アジアでの香辛料貿易を展開していました。 1609年9月20日、日本の平戸に日本支社となる商館を開設しました。 これによりオランダと日本との貿易が組織的に行われ、長崎出島開設の基礎が築かれました。 商館では主に織物や銀などが取引され、日本側からは海産物や日本刀などが輸出されました。 幕府は交易を管理し、諸国の商人を統制する政策を進めました。 この商館開設は鎖国時代の日本で唯一例外的に欧州諸国と交流を維持する重要な出来事でした。
1609年 オランダ東インド会社 平戸
1886年

大阪紡績が夜間照明に日本の民間初の電灯となるアーク灯を使用。

大阪紡績が民間企業で初めてアーク灯による工場夜間照明を導入しました。
1886年、大阪紡績は夜間操業の効率化を図りアーク灯を採用しました。 アーク灯は従来のガス灯に比べて明るく、長時間点灯が可能でした。 この技術導入は日本の工場照明技術に新風を吹き込みました。 以降、他企業でも電気照明の導入が加速し、産業発展を後押ししました。 日本の近代化を支えた技術革新の一例です。
1886年 大阪紡績 アーク灯
1909年

イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。

イギリスで職業紹介所法が成立し、失業保険制度が開始されました。
1909年、議会で職業紹介所法が可決され、国家による就職支援が制度化されました。 同時に失業保険制度が整備され、労働者の生活安定策が提供されました。 この制度は後の社会保障制度の礎となり、福祉国家の発展に寄与しました。 職業紹介所は各地に設置され、就業機会の斡旋が始まりました。 労働市場の整備と社会保険の先駆けとして重要視されています。
1909年 失業保険
1962年

民間のテレビ視聴率調査会社のビデオリサーチが設立。

1962年9月20日、民間初のテレビ視聴率調査会社ビデオリサーチが設立され、放送業界に革新をもたらした。
1962年9月20日、民間初のテレビ視聴率調査会社『ビデオリサーチ』が設立された。 同社は家庭視聴率を科学的に測定する手法を導入し、番組編成や広告宣伝に大きな影響を与えた。 それまで公的機関主体だった調査は、ビデオリサーチの登場で民間市場に開放され、競争と精度向上を促した。 日本の放送業界は視聴率データを基にした番組制作へと変革し、テレビ番組の多様化が進んだ。 現在もテレビ・ラジオの視聴率調査を支える基盤として知られている。
1962年 ビデオリサーチ
1986年

ウルグアイで開催されたGATT閣僚会議で多角的新貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の開始を宣言。

1986年9月20日、GATT閣僚会議でウルグアイ・ラウンドの開始が宣言され、国際貿易交渉が新段階に入った。
1986年9月20日、ウルグアイのモンテビデオで開催されたGATT閣僚会議において多角的貿易交渉『ウルグアイ・ラウンド』の開始が宣言された。 この交渉には124ヵ国以上が参加し、通商ルールの包括的な見直しが目的とされた。 農産物や知的財産権、サービス貿易など従来の関税交渉を超える幅広いテーマが議題に上った。 ウルグアイ・ラウンドは1994年にマラケシュ協定として妥結し、WTO設立の礎を築いた。 国際貿易の自由化と多国間協調の枠組みを一新した歴史的交渉とされる。
1986年 ウルグアイ GATT ウルグアイ・ラウンド