1943年
九州・西日本一帯に集中豪雨(戦時下であり台風とは報道はされなかった)。死者・行方不明者893人以上、家屋全壊約5000戸などの被害。
九州・西日本で集中豪雨が発生し、約893人以上の死者・行方不明者を出す大災害に。
1943年9月19日、日本の九州・西日本一帯で集中豪雨が発生しました。
当時は戦時下のため台風報道は控えられましたが、大雨による洪水と土砂災害が多発しました。
死者・行方不明者は893人以上、家屋全壊約5000戸など甚大な被害を記録しました。
地域住民の生活基盤が壊滅的被害を受け、戦時下の復旧活動にも大きな支障を来しました。
戦中の災害としては最大級で、後の防災対策の教訓となりました。
1943年
台風
1950年
北海道厚岸郡霧多布沖で日本水産の捕鯨船が暴風雨に遭い遭難。救難信号を出した後に転覆した。乗組員21人全員が行方不明。
1950年、北海道霧多布沖で捕鯨船が暴風雨に遭い転覆。
乗組員21人が行方不明に。
1950年9月19日、北海道厚岸郡霧多布沖で日本水産所属の捕鯨船が暴風雨に遭難しました。
海上で救難信号を発した後、船体は転覆し沈没しました。
乗組員21名は全員行方不明となり、捜索は悪天候のため困難を極めました。
この事故は日本の漁業・捕鯨業界に大きな衝撃を与え、安全対策の見直しを促しました。
人命救助や船舶運航における気象情報の重要性が改めて認識される契機となりました。
1950年
厚岸郡
日本水産
捕鯨船
救難信号
1972年
甲子園球場での阪神 巨人22回戦でアルプススタンド爆破予告電話があり、20:38から12分間試合が中断。爆弾は発見されず試合再開。
甲子園球場で阪神対巨人戦に爆破予告の電話が入り、一時試合が中断された騒動。
1972年9月19日、甲子園球場で行われていた阪神タイガース対読売ジャイアンツの22回戦でアルプススタンド爆破予告の電話がありました。午後8時38分から約12分間、試合は緊急避難のため中断され、観客に冷静な対応が呼びかけられました。最終的に爆弾は発見されず、試合は再開。警察は当時の犯行主を特定できず、以後大規模スポーツイベントの警備強化につながりました。この事件はプロ野球の安全対策見直しの契機となりました。
1972年
甲子園球場
阪神
巨人
1974年
ホンジュラス北部にハリケーンが接近。チョロマでは深夜に堤防が決壊して死者4000人以上の被害を出した。
1974年、ホンジュラス北部を襲ったハリケーンによりチョロマで堤防が決壊、多数の犠牲者を出した。
1974年9月19日、ハリケーンFifi(別名Orlene)がホンジュラス北部に接近した。暴風雨に伴う高潮でチョロマ川の堤防が深夜に決壊し、広範囲が浸水した。多くの住宅が流出・倒壊し、当時の推定死者数は4000人以上にのぼった。被災地では医療・食料支援が急務となり、国際援助が動員された。復興には長期間を要し、洪水対策の強化が課題となった。
1974年
ホンジュラス
ハリケーン
チョロマ
1976年
トルコ航空452便墜落事故。
トルコ航空452便が飛行中に墜落し、乗員乗客が全員亡くなった航空事故。
1976年9月19日、トルコ航空452便(Fokker F28型)はイスタンブール発アンタルヤ行きの途中で墜落した。悪天候下での計器誤動作や操縦ミスが原因とされる。飛行機は山間部に激突し、乗員5名と乗客20名が犠牲となった。事故調査ではナビゲーションシステムの不具合が指摘された。これを契機に安全基準の見直しが行われ、同社の運航管理体制が強化された。
1976年
トルコ航空452便墜落事故
1980年
ダマスカスタイタンミサイル爆発事故
アメリカのダマスカス地下ミサイルサイロでTitan IIミサイルの爆発事故が発生した。
1980年9月19日、アーカンソー州ダマスカスのTitan IIミサイルサイロで爆発事故が起きた。整備作業中に落とされた工具が燃料タンクを損傷し、液体燃料が漏洩。これに引火して爆発が発生し、サイロ周辺が大きく吹き飛ばされた。ミサイルは2段目エンジンが破損し、核弾頭は爆発せずに地上へ投棄されたが、1名の整備兵が犠牲となった。事故後、米空軍は管理体制や安全プロトコルを全面的に見直した。
1980年
ダマスカスタイタンミサイル爆発事故
英語版
1985年
メキシコ地震発生。メキシコシティを中心に1万人以上が死亡。
1985年9月19日、メキシコシティを中心に巨大地震が発生し、1万人以上が犠牲となりました。
1985年9月19日、メキシコ中部でマグニチュード8.0の大地震が発生しました。
震源はメキシコ州トランペケ川付近とされ、激しい揺れが首都メキシコシティを直撃しました。
倒壊した建物や断裂した道路により死者は1万2000人以上に達し、負傷者も数万人にのぼりました。
被災地では通信・交通網が麻痺し、救援物資の輸送や被災者の避難に大きな支障が生じました。
国際社会からの支援が相次ぎ、被災地復興や耐震化対策の必要性が改めて認識される契機となりました。
1985年
メキシコ地震
メキシコシティ
1988年
中南米で341名の犠牲者を出したハリケーン・ギルバートが消滅。
1988年9月19日、ハリケーン・ギルバートが勢力を落として消滅し、中南米で341名が犠牲となりました。
ハリケーン・ギルバートは1988年に発生した史上最強クラスのハリケーンの一つで、9月上旬からカリブ海を縦断。
19日までに勢力を弱めつつも中米メキシコ湾岸に上陸し、メキシコやジャマイカで激しい暴風雨をもたらしました。
これによって341人が死亡し、数千棟の家屋が倒壊、広範囲で農作物が壊滅的な被害を受けました。
浸水や土砂崩れの復旧には長期を要し、被災地では国内外の支援活動が続けられました。
本災害を契機にハリケーン対策の強化と気象予報技術の進展が急がれるようになりました。
ハリケーン・ギルバート
2003年
ハリケーン・イザベルがノースカロライナ州に上陸。
2003年9月19日、ハリケーン・イザベルがノースカロライナ州に上陸し大きな被害をもたらしました。
ハリケーン・イザベルは2003年に発生した大西洋の大型ハリケーンで、9月19日に米国ノースカロライナ州沿岸部に上陸。
最大風速は時速約240kmに達し、暴風雨や高潮によって数十万戸が停電し、道路や橋梁も甚大な被害を受けました。
住宅被害や農作物被害が広範囲に及び、経済損失は数十億ドルと推定されています。
連邦緊急事態管理庁(FEMA)や州政府の緊急支援部隊が派遣され、復旧作業には数ヶ月を要しました。
この被害を契機にハリケーン警戒システムや避難計画の見直しが進められ、地域の防災体制強化に寄与しました。
2003年
ハリケーン・イザベル
ノースカロライナ州
2010年
この年の4月20日に起こった2010年メキシコ湾原油流出事故の起こった油井が閉鎖。
メキシコ湾原油流出事故で損傷した油井の閉鎖が完了し、海洋汚染の収束に向けて重要な一歩が踏み出された。
2010年4月20日に発生したメキシコ湾沖石油リグ爆発事故(BP社ディープウォーター・ホライズン)の原因となった油井が、同年9月19日に正式に閉鎖されました。
閉鎖には多層のセメント封入やキャップ設置などの技術的対策が講じられ、原油の流出は止まりました。
事故は史上最大規模の海洋原油流出を引き起こし、周辺生態系や漁業に深刻な被害を与えました。
閉鎖後も環境復旧作業は続き、アメリカ政府とBP社による賠償・清掃活動が展開されました。
この事故は海洋掘削技術と規制強化の在り方を問い直す契機となりました。
2010年
4月20日
2010年メキシコ湾原油流出事故
2013年
函館本線大沼駅貨物列車脱線事故発生。
函館本線大沼駅で貨物列車が脱線し、運行に影響と安全性への懸念が広がった。
2013年9月19日未明、北海道の函館本線大沼駅構内で貨物列車が脱線事故を起こしました。
この事故により線路が大きく損傷し、一部区間では運行が停止しました。
原因は詳細な調査中とされ、現場では事故対応と救助活動が行われました。
幸い人的被害は報告されませんでしたが、貨物列車の荷崩れや環境への影響が懸念されました。
運行再開にはレールの修復と安全点検が必要となり、復旧作業が進められました。
2013年
函館本線大沼駅貨物列車脱線事故
2016年
2016年マンハッタン爆発事件の犯人が逮捕。
マンハッタン爆発事件の容疑者が逮捕され、東京での爆発テロ未遂に一区切りがついた。
2016年9月19日、東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「マンハッタンビル」で2016年5月に発生した小規模爆発事件の容疑者が逮捕されました。
当時、けが人は出なかったものの、都心での爆発に大きな衝撃が走りました。
警視庁は犯人が自作の爆発装置を仕掛けたとみており、動機解明のため取り調べを進めました。
逮捕には防犯カメラ映像や通信記録の解析が寄与したと報じられました。
事件は都市部の安全対策を再認識させ、防犯体制強化への議論を呼び起こしました。
2016年
2016年マンハッタン爆発