690年

タルソスのテオドルス

(602 - 690)

カンタベリー大司教

カンタベリー大司教
7世紀のカンタベリー大司教として教会組織の再編と学問の振興に貢献した宗教指導者。
テオドルスは602年に小アジアのタルソスで生まれ、ビザンツ帝国で豊かな教養を身につけた。669年にローマで大司教に任命され、668年にカンタベリーへ到着すると英国教会の再編に着手した。ヘルトフォード会議やハットフィールド会議などを主宰し、教区制度や教会法を整備した。多数の修道院や学校を設立して学問と信仰の両面を育成し、“英教会の父”と称された。690年に没し、その功績は後世まで語り継がれている。
690年 タルソスのテオドルス カンタベリー大司教 602年
長暦3年8月28日

藤原嫄子

(1016 - 1039)

後朱雀天皇の中宮

後朱雀天皇の中宮
平安時代中期の後朱雀天皇の中宮として朝廷で重要な役割を果たした女性。
藤原嫄子は1016年に藤原氏の名門に生まれ、1037年に後朱雀天皇の中宮に選ばれた。宮廷では書道や和歌などの教養を示し、雅やかな文化を支えた。中宮として皇室儀礼に携わり、皇子や皇女の教育にも関与したとされる。1039年に若くして逝去したが、その清楚な佇まいと優雅な振る舞いは当時の文献にも記録されている。
1039年 長暦 8月28日 藤原嫄子 後朱雀天皇 中宮 1016年
長承2年8月19日

藤原長実

(1075 - 1133)

平安時代の公卿

平安時代の公卿
平安時代後期の公卿で、藤原北家の有力者として朝廷政治に参与した。
藤原長実は1075年に生まれ、藤原氏北家の一員として公卿に昇進した。鳥羽天皇や崇徳天皇の治世において要職を歴任し、議政官として政務にあたった。特に律令制度の運用や後宮の管理に携わり、朝廷の儀礼や法制の整備に貢献した。また、和歌や漢詩など文化面でも才能を示し、宮廷文学の発展にも寄与した。1133年に世を去るまで、長年にわたって朝廷内で重きを成した。
1133年 長承 8月19日 藤原長実 平安時代 公卿 1075年
弘安3年8月24日

孤雲懐奘

(1198 - 1280)

禅宗の僧

禅宗の僧
鎌倉時代の禅僧で、禅宗の教学発展に尽力し多くの弟子を育成した。
孤雲懐奘は1198年に生まれ、鎌倉時代に活躍した禅宗の僧侶である。南都や比叡山で学んだ後、中国の禅宗を通じて修行を深め、日本に伝えた。帰国後は建仁寺や円覚寺などで教学を教え、禅の思想と実践を広めた。禅僧として後進の育成に力を注ぎ、多くの弟子を輩出した。1280年に遷化し、その遺徳は禅の伝統に大きな影響を与えた。
1280年 弘安 8月24日 孤雲懐奘 禅宗 1198年
延元4年/暦応2年8月16日

後醍醐天皇

(1288 - 1339)

第96代天皇

第96代天皇
鎌倉幕府を倒し建武の新政を行なった日本の第96代天皇。
後醍醐天皇は1288年に生まれ、1318年に即位して第96代天皇となった。鎌倉幕府の支配を打破するために倒幕計画を進め、1333年に幕府を滅ぼした。続いて建武の新政を展開して朝廷中心の政治を目指したが、武士層との軋轢から短期間で崩壊した。後に南北朝時代の混乱を招き、「南朝」の正統性を主張した。1339年に崩御し、革新天皇として後世に大きな影響を与えた。
1339年 延元 暦応 8月16日 後醍醐天皇 天皇 1288年
1356年

ピエール1世

(1311 - 1356)

ブルボン公

ブルボン公
ブルボン家初代公爵としてブルボン朝の基礎を築いたフランス貴族。
ピエール1世(1311年–1356年)はフランスの貴族で、1327年にブルボン伯を継承した後、1338年にブルボン公に叙せられた。百年戦争においてフランス王家に忠誠を尽くし、軍事行動にも参加した。彼の統治下でブルボン領は安定し、家臣団が強化された。結婚によって他の有力家系と同盟を築き、後のブルボン朝の繁栄に繋がる基盤を形成した。1356年に逝去し、その子孫がフランス王位を継承した。
1356年 ピエール1世 ブルボン公 1311年
天文15年8月25日

相良義滋

(1491 - 1546)

肥後国の戦国大名

肥後国の戦国大名
戦国時代の肥後国の戦国大名・相良氏当主として知られる武将。
相良義滋は1491年に生まれ、肥後国の守護大名として相良氏を率いた。戦国時代の動乱期に領国を守り、近隣勢力との抗争や内政の整備にあたった。城郭の改修や農村振興を推進して国力を高め、領民の信望を集めた。また、文化や学問にも関心を持ち、寺社の復興や学問所の設立を支援した。1546年に没し、その治世は肥後の歴史に刻まれた。
1546年 天文 8月25日 相良義滋 肥後国 戦国大名 1491年
天正7年8月29日

築山殿

徳川家康の正室

徳川家康の正室
戦国時代の武将・徳川家康の正室として知られる女性。
築山殿(生年不詳–1579年)は徳川家康の最初の正室で、家康の若年期を支えた。嫡子・松平信康を産んだが、信康の処刑を巡り築山殿自身も不安視され、同年に家康の命で自害を強いられたと伝わる。彼女の悲劇的な最期は家康の政策決断にも影響を与えたとされる。その生涯は詳細な史料が少ないものの、戦国大名家の正室として特異な役割を果たした。
1579年 天正 8月29日 築山殿 徳川家康 正室 生年不詳
慶長元年閏7月27日

茶屋清延

(1545 - 1596)

京都の豪商

京都の豪商
戦国時代から安土桃山時代にかけて京都で繁栄した豪商。
茶屋清延は1545年に生まれ、京都を拠点に茶葉や織物、船舶運営など多角的な事業を展開した。豊富な資金力で寺社や公家への献金を行い、京都の経済と文化の発展に寄与した。また、港湾整備や交通網の整備に投資し、商業活動の基盤を強化した。豊臣秀吉や徳川家康とも取引関係を築き、政権交代期にも影響力を保った。1596年に没し、その財力と人脈は戦国大名にも匹敵したといわれる。
1596年 慶長 閏7月27日 茶屋清延 京都 1545年
1610年

フリードリヒ4世

(1574 - 1610)

プファルツ選帝侯

プファルツ選帝侯
プファルツ選帝侯としてプロテスタント勢力を率いたドイツの君主。
フリードリヒ4世(1574年–1610年)は神聖ローマ帝国のプファルツ選帝侯として君臨した。熱心なカルヴァン派として領内に多数のユグノー難民を受け入れ、経済振興を図った。プロテスタント同盟(ユグネス連合)の結成に参加し、宗教戦争の舞台で指導的役割を果たした。宮廷には学者や芸術家を招き、プファルツを文化的中心地に育て上げた。1610年に死去し、その宗教政策と文化支援は後の三十年戦争にも影響を与えた。
1610年 フリードリヒ4世 プファルツ選帝侯 1574年
1650年

マテウス・メーリアン

(1593 - 1650)

版画家、製図家

版画家 製図家
スイス出身の版画家・製図家。 精緻な地図や都市景観図を数多く制作した。
1593年にスイスのバーゼルで生まれる。 地図や都市風景図を中心に精緻な版画技術を確立。 代表作『トポグラフィア・ゲルマニア』で欧州各地の地理情報を出版。 家族経営の出版所を通じて広く作品を普及し、歴史資料としても価値が高い。 1650年に没。
1650年 マテウス・メーリアン 1593年
天和3年7月29日

順性院

(1622 - 1683)

徳川家光の側室

徳川家光の側室
江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室。 大奥において将軍家を支えた。
1622年に誕生し、寛永年間に徳川家光の側室として大奥に迎えられる。 寛永から天和期にかけて大奥で影響力を持った。 儀礼や内廷の運営に関与し、将軍家の女性としての役割を果たした。 子女をもうけた記録はなく、その生涯は大奥の一端を象徴する。 1683年に没。
1683年 天和 7月29日 順性院 徳川家光 側室 1622年