324年
クリュソポリスの戦い。ローマ帝国の西の正帝コンスタンティヌス1世が東の正帝リキニウスを破り、帝国全土の単独皇帝となる。
コンスタンティヌス1世がリキニウスを破り、ローマ帝国を統一した戦い。
紀元324年、ビテュニア地方のクリュソポリス(現イスタンブール近郊)で行われた戦闘。
西帝位を持つコンスタンティヌス1世が東帝リキニウス軍を撃破しました。
この勝利によりコンスタンティヌス1世は単独統治者として帝国全土を掌握。
彼はキリスト教を重視する政策を推進し、帝都をビザンティウムに移す構想を加速させました。
ローマ帝国の統一と宗教改革の礎となった歴史的な転換点です。
324年
クリュソポリスの戦い
英語版
ローマ帝国
コンスタンティヌス1世
リキニウス
1863年
南北戦争:チカマウガの戦い開始。
南北戦争におけるチカマウガの戦いが始まった日。
1863年9月18日、ジョージア州チカマウガで南北戦争の第二次チカマウガの前哨戦が開始。
翌19-20日には両軍が本格的に激突し、南軍が貴重な勝利を収めました。
南軍のブラガ将軍は巧妙な戦術で北軍の攻勢を退け、チャタヌーガへの進軍を阻止。
両軍合わせて約7万人が戦闘に参加し、戦死傷者は約3万人に達しました。
この勝利は南軍に戦意の上昇を与える一方、北軍に大きな痛手を残しました。
1863年
南北戦争
チカマウガの戦い
1898年
ファショダ事件:スーダンのファショダにて、大陸横断政策をとったフランスに対し、縦断政策をとったイギリスが到達。アフリカで初の帝国主義の衝突が起こるも、フランスが譲歩し撤退。
スーダンのファショダでフランスとイギリスが互いの縦横断政策を巡り対立しました。最終的に外交協議でフランスが撤退し、衝突は回避されました。
19世紀末のアフリカ分割競争において、フランスは東西横断政策、イギリスは南北縦断政策を掲げていました。両国の探検隊は1898年9月18日にスーダンのファショダで遭遇し、軍事的緊張が高まりました。英仏両政府は武力衝突を避け、最終的にフランスが自軍撤退を決定しました。事件はヨーロッパ列強の帝国主義政策の限界を露呈し、外交交渉の重要性を浮き彫りにしました。後に英仏協商の契機となり、両国関係の改善に貢献しました。ファショダ事件はアフリカ分割の象徴的出来事として歴史に刻まれています。
1898年
ファショダ事件
スーダン
ファショダ
アフリカ
1931年
満洲事変:奉天付近の南満洲鉄道線路上で爆発事件。(柳条湖事件)
柳条湖事件が発生し、満洲事変の端緒となりました。
1931年9月18日未明、満鉄所属の南満洲鉄道線路近くで原因不明の爆発が起きました。日本軍はこの事件を口実に奉天周辺へ進軍し、実質的な満洲占領を開始しました。満洲事変は中国東北部の支配を巡る軍事行動として国際的に批判を浴びました。国際連盟は調査を行ったものの、日本はリットン調査団の勧告を拒否し脱退しました。事変は日中関係の緊張を高め、後の太平洋戦争への伏線ともなりました。
1931年
満洲事変
奉天
南満洲鉄道
柳条湖事件
1944年
第二次世界大戦: 日本の貨物船順陽丸がインドネシアの沖合でイギリス海軍の潜水艦の雷撃を受け撃沈。5,620人が死亡。
1944年、インドネシア沖で日本の貨物船順陽丸がイギリス海軍潜水艦の雷撃を受け、約5,620人が犠牲となりました。
・順陽丸は当時日本の南方補給線を支える大型貨物船であった。
・1944年9月18日、インドネシアの沖合を航行中に英海軍潜水艦の雷撃を受けた。
・船は瞬時に大破し、多くの乗員・兵員が救命ボートに乗る間もなく海中に投じられた。
・犠牲者数は約5,620人にのぼり、日本最大級の海難事故の一つとされる。
・戦況悪化に伴う補給船団の防護の脆弱さが浮き彫りとなった悲劇的な出来事である。
1944年
第二次世界大戦
順陽丸
インドネシア
イギリス海軍
1948年
インドネシア独立戦争:マディウン事件。共産党影響下の部隊が政府機関を襲撃し、革命政府樹立を宣言。
1948年、インドネシア独立戦争中に共産党影響下の勢力がマディウンで政府機関を襲撃し、革命政府樹立を宣言しました。
・マディウン事件は1948年9月18日に発生し、共産党系部隊がジャワ東部のマディウンを拠点に蜂起した。
・反共和国派がインドネシア政府機関を襲撃し、一時的に実効支配を試みた。
・指導者を含む共産党系部隊が蜂起を率い、共和国政府への挑戦となった。
・インドネシア政府は反乱軍を鎮圧するため軍を投入し、数週間で鎮圧した。
・この事件は新生インドネシア共和国の統治基盤を確立する過程での大きな試練となった。
1948年
インドネシア独立戦争
マディウン事件
共産党
1988年
8888民主化運動: ミャンマーでソウ・マウン国防相がクーデターを起こして全権を掌握し、民主化運動を鎮圧。
1988年、ミャンマーでソウ・マウン国防相がクーデターを起こし、8888民主化運動を武力で鎮圧しました。
1988年9月18日、ミャンマー(当時ビルマ)の国防相ソウ・マウンがクーデターを実行し、全権を掌握しました。これ以前に発生した8888民主化運動では、多くの市民が軍政打倒を訴え大規模デモを展開していました。ソウ・マウン政権は戒厳令を布告し、民主化運動を徹底的に弾圧しました。多くの民主派リーダーが逮捕・投獄され、数百人規模の犠牲者が出ました。このクーデターによりミャンマーは長期の軍事独裁体制へと移行し、人権状況の悪化が国際的に問題視されました。
1988年
8888民主化運動
ミャンマー
ソウ・マウン
1996年
江陵浸透事件:韓国東海岸に座礁した北朝鮮の潜水艦が発見される。
1996年、韓国東海岸で北朝鮮の潜水艦が座礁し、江陵浸透事件として南北関係緊張を高めました。
1996年9月18日、韓国の江陵沖で北朝鮮の潜水艦が座礁しているのが発見されました。これは北朝鮮特殊部隊の浸透工作の一環とされ、多数の乗員が脱出を試みました。韓国政府は直ちに事件調査を開始し、潜水艦から得られた情報は北朝鮮の軍事活動理解に貴重な資料となりました。江陵浸透事件は韓国国内での対北防衛体制強化を促し、東海岸沿岸警備の見直しが行われました。この事件をきっかけに南北関係は一時的に一層緊張し、その後の対話再開への課題が浮き彫りとなりました。
1996年
江陵浸透事件
韓国
北朝鮮