ローマ皇帝
ローマ皇帝
古代ローマ帝国の第13代皇帝。初の属州出身皇帝として即位し、軍事・行政手腕に優れた名君として知られる。帝国領土を最大規模まで拡大し、公共事業を発展させた。
トラヤヌスは53年に現在のスペイン北部で生まれ、98年に皇帝として即位した。ダキア遠征を成功させ、現在のルーマニア地域をローマ領とした。さらにメソポタミアやアルメニアに遠征し、帝国版図を最大に拡大した。治世中は道路・橋梁・浴場などの公共施設を多数建設し、市民生活の向上に尽力した。兵站と行政を重視し、地方統治制度を整備。民衆から“optimus princeps(最良の皇帝)”と称えられた。117年、旅先で病没し、ローマ史に名を残した。
53年
トラヤヌス
ローマ皇帝
117年
戦国大名
戦国大名
下野国(現在の栃木県)を治めた戦国大名。領国経営と軍事力整備を通じて結城氏の存続を図った。
結城晴朝は1534年に結城氏の当主として生まれ、父の死後に家督を継承した。度重なる内紛を鎮圧し、家臣団の結束を強化。領内の年貢制度や城郭防備を整備し、戦国大名としての基盤を築いた。後に徳川家康に臣従し、関ケ原の戦いでは東軍として参戦。大坂の陣にも従軍し、家名を保護された。晩年は領内の復興に努め、1614年に死去。戦国期を生き抜いた実力派の大名である。
1534年
天文
8月11日
結城晴朝
戦国大名
1614年
作曲家、演奏家
作曲家
演奏家
フィレンツェのメディチ宮廷で活躍した女性作曲家・リュート奏者。モノディ様式を駆使し、初期バロック音楽に貢献。
フランチェスカ・カッチーニは1587年に フィレンツェで生まれ、音楽一家に育った。父ジュリアーノ・カッチーニの下で作曲と歌唱を学び、宮廷礼拝堂で演奏を担当。世界最初期の現存オペラともいわれる『ルッジェーロの解放』を含むモノディ作品やマドリガーレを手掛けた。特に甘美な旋律『私を泣かせてください(Amarilli mia bella)』は後世にも影響を与えた。メディチ家の後援を受け、女性音楽家として例外的な成功を収めた。1640年に没。
1587年
フランチェスカ・カッチーニ
1640年
作曲家
作曲家
ドイツ・バロック期の作曲家・オルガニスト。『Musikalisches Lexicon』を編纂した音楽学者としても知られる。
ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターは1684年にドイツで生まれ、若くして教会オルガニストに任命された。ライプツィヒの聖トーマス教会で活動し、後にヴァイマル宮廷楽長として仕えた。1732年には音楽辞典『Musikalisches Lexicon』を出版し、演奏法や楽器学の知識を体系化。鍵盤楽曲や宗教カンタータ、室内楽を多数作曲し、同時代のバッハとも交流した。1748年に没し、バロック音楽の研究に重要な足跡を残した。
1684年
ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター
1748年
文学者
文学者
18世紀イギリスを代表する文学者・批評家。『英語辞典』の編纂者として語彙研究の先駆者。
サミュエル・ジョンソンは1709年にロンドン郊外で生まれ、ケンブリッジで学んだ後、作家・評論家として頭角を現した。1735年に小説や詩を発表し、1755年には『英語辞典』を完成。語源学や用例に基づく辞典編纂は革新的で、英語研究の基盤を築いた。詩人としても秀逸な作品を残し、社交サークル“The Club”を主宰して知識人に影響を与えた。ボズウェルによる伝記でさらに評価が高まり、1784年に逝去。
1709年
サミュエル・ジョンソン
1784年
作曲家
作曲家
オーストリア出身のバロック後期の作曲家。マンハイム楽派の一員として交響曲や宗教曲を創作した。
イグナーツ・ホルツバウアーは1711年にチロル地方で生まれ、後にマンハイム宮廷楽団に参加した。優れたオーケストレーション技法を駆使し、交響曲やオペラ、宗教声楽曲を多数作曲。特に管弦楽のダイナミクスとコントラストを重視した手法は後期バロックから古典派への橋渡しとなった。弟子や同僚に影響を与え、マンハイム・コーダの発展に寄与。1783年に現世を去ったが、その創作は音楽史における転換点と評価される。
1711年
イグナーツ・ホルツバウアー
1783年
建築家
建築家
フランス王室に仕えたネオクラシック建築家。ベルサイユ宮殿のプチ・トリアノン庭園を設計。
リシャール・ミークは1728年にフランスで生まれ、ルイ16世とマリー・アントワネットに仕える王室建築家に任命された。ベルサイユ宮殿内のプチ・トリアノン庭園や“女王の村(ハメオ・ド・ラ・レーヌ)”を設計し、ロココ様式から新古典主義への移行を象徴する作品を手がけた。フランス革命勃発後、ロイヤリストとして決起しようとした疑いで投獄され、1794年に処刑された。短い生涯ながら、18世紀フランス建築に大きな足跡を残した。
1728年
1794年
画家
画家
フランスの画家。ローマ留学を経て古典や神話を題材にした歴史画で注目を集めた。
ジャン・ジャック・ラグルネは1739年にパリで生まれ、アカデミー・ロイヤルで学んだ後、ローマに留学して古代美術に親しんだ。帰国後は歴史画と肖像画を中心に制作し、清澄な色彩と厳格な構図で知られた。代表作には『アレクサンドロス大王』や『ヘラクレスの試練』などがあり、フランス革命前の芸術界をリードした。1821年に生涯を閉じたが、新古典主義の発展に寄与した画家として評価される。
1739年
画家
1821年
数学者
数学者
フランスの数学者。解析学・数論の分野で業績を挙げ、ルジャンドル多項式や記号を提唱。
アドリアン・ルジャンドルは1752年にパリで生まれ、コレージュ・ド・フランス教授として活躍した。双曲関数や楕円積分の研究を深め、変分法にも貢献。数論ではルジャンドル記号や完全四次数定理を定式化し、後のガウスやリーマンへ大きな影響を与えた。彼の手法は解析学と代数学を橋渡しし、近代数学の基礎を築いた。1833年に死去した。
1752年
1833年
ローマ教皇
ローマ教皇
1831年から1846年まで在位したローマ教皇。教会の伝統を堅持し、近代化に慎重な姿勢を貫いた。
グレゴリウス16世は1765年に生まれ、1831年に教皇に選出された。鉄道や電信の導入を一時拒否し、教会法の強化や異端審問の復活を推進。教育・芸術の保護にも尽力し、バチカン図書館の整備を行った。政治的にはイタリア統一運動に対抗し、教皇領の維持を図った。1846年に死去し、保守的な姿勢から「最後の絶対主義者」とも称された。
1765年
グレゴリウス16世
1846年
政治家
政治家
1778年
ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)
1868年
数学者
数学者
フランスの数学者。楕円関数や数論の分野で数多くの業績を残した。
1752年にフランスで生まれ、数論や楕円関数の研究で知られる。
特に「ルジャンドル記号」は現代の整数論で広く用いられる概念となった。
楕円積分の研究を通じて、後の物理学や解析学にも大きな影響を与えた。
また、天体力学の分野でも働き、月の軌道に関する研究なども行った。
1833年に没するまで、多くの数学的成果を発表し続けた。
1752年
アドリアン=マリ・ルジャンドル
数学者
1833年