1939年
フィンランドのTaisto Mäkiが10000メートル競走で29分52秒6を記録。人類史上初めて10,000メートルで30分を切る。
Taisto Mäkiが人類初の10,000m30分切りとなる29分52秒6の世界新記録を樹立しました。
1939年9月17日、フィンランドの長距離ランナーTaisto Mäkiがタンペレで開催された競技会に出場。
彼は10,000m競走で29分52秒6を記録し、初めて30分の壁を突破しました。
この快挙は世界記録として認定され、陸上競技の新たな可能性を示しました。
Mäkiの成果は当時のトレーニング理論にも影響を与え、長距離走の記録向上を促進しました。
彼はこの記録により戦前フィンランド陸上界のスター選手となり、多くの後進に刺激を与えました。
Taisto Mäki
10000メートル競走
1968年
江夏豊(阪神)が甲子園球場での対巨人戦で王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録。10月に世界記録を達成し、このシーズンで401奪三振を記録。
1968年、阪神の江夏豊投手が甲子園球場で巨人戦にて日本新記録の354奪三振を達成。シーズン通算401奪三振を記録し、世界記録を樹立しました。
1968年9月17日、阪神タイガースの江夏豊投手が甲子園球場で行われた読売ジャイアンツ戦において、王貞治ら打者から日本記録となる354個目の奪三振をマークしました。前年の記録を大幅に更新する快挙であり、メディアやファンから大きな反響を呼びました。その後江夏は10月に401奪三振を達成し、当時の世界記録をも上回る記録を打ち立てました。このシーズンはエースとして投球回数もリーグトップとなり、MVP級の活躍を見せました。彼の奪三振技術は剛速球と多彩な変化球を駆使したもので、後の日本球界に大きな影響を与えました。
1968年
江夏豊
阪神
甲子園球場
巨人
王貞治
奪三振
記録
1988年
第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催。10月2日まで。
1988年9月17日に韓国ソウルで開幕した第24回夏季オリンピック。世界159か国が参加し、約2週間にわたり熱戦が繰り広げられました。
第24回夏季オリンピックは1988年9月17日から10月2日まで韓国のソウルで開催されました。東西冷戦の最中で史上初めて両陣営から多くの国が参加し、史上最多の159か国が出場しました。日本は金4、銀3、銅7の計14個のメダルを獲得し、総合7位の成績を収めました。開会式では5万人以上の観衆が伝統音楽や折り鶴をモチーフとした演出に魅了されました。陸上競技や体操、射撃競技などで数々の記録が生まれ、ソウル大会はオリンピック史に残る名大会として知られています。
1988年
夏季オリンピック
ソウルオリンピック
10月2日
1996年
ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成。
1996年9月17日、野茂英雄がメジャーリーグの試合で日本人初のノーヒット・ノーランを達成しました。
1996年9月17日、ロサンゼルス・ドジャースの先発投手として登板した野茂英雄がコロラド・ロッキーズ相手にノーヒット・ノーランを記録しました。15奪三振の力投を見せ、『トルネード投法』と呼ばれる独特のフォームで大リーグの打者を翻弄しました。この快挙は日本人投手としてメジャー初のノーヒット・ノーランであり、以降の日本人選手のメジャー挑戦に道を開く象徴的な出来事となりました。試合後にはファンやメディアから称賛が相次ぎ、野茂は日米野球史に名を刻みました。
1996年
ロサンゼルス・ドジャース
野茂英雄
ノーヒット・ノーラン
2004年
プロ野球再編問題での労使交渉が決裂。日本プロ野球選手会が日本プロ野球史上初のストライキ決行を発表。
2004年9月17日、プロ野球再編を巡る労使交渉が決裂し、日本プロ野球史上初のストライキが宣言されました。
2004年のプロ野球再編問題ではオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併案などを巡り、球団側と選手会の対立が深まりました。9月17日に選手会がストライキ決行を表明し、翌18日の74試合が中止される異例事態となりました。ファンやメディアに大きな衝撃を与えたこのストライキは、最終的に追加資金の拠出や新球団参入の調整などを条件に妥結し、ストは撤回されました。球界の仕組みを見直す転機となった一大事件として、現在も語り草となっています。
2004年
プロ野球再編問題
日本プロ野球選手会
日本プロ野球
ストライキ