1789年
ウィリアム・ハーシェルが土星の衛星「ミマス」を発見。
1789年、天文学者ウィリアム・ハーシェルが土星の衛星ミマスを発見しました。
イギリス王立天文学者ウィリアム・ハーシェルは1789年9月17日、望遠鏡を用いて土星の新しい衛星ミマスを発見しました。ミマスは土星に6番目の衛星で、直径は約396キロメートルです。発見後すぐにギリシャ神話の巨人ミマスに因んで命名されました。この衛星は後に表面に巨大な衝突痕跡であるハーシェル・クレーターがあることでも知られるようになりました。ハーシェルは同時期にタイタンも発見しており、天王星発見も含め多くの功績を残しました。
1789年
ウィリアム・ハーシェル
土星
衛星
ミマス
1882年
1882年の大彗星が太陽表面から46万kmのところを通過し、太陽のすぐ脇でも明るく見える大彗星となった。
1882年の大彗星が太陽表面から約46万kmの距離を通過し、昼間でも肉眼で確認できるほど明るく輝きました。
1882年9月、地球近傍を通過したこの彗星は、太陽表面からわずか約46万kmの距離まで接近しました。
昼間でも観測できるほど輝き、歴史上最も明るい彗星の一つとされています。
この彗星は「クレツク族」に分類されるグループの一員で、非常に長い尾を引いて飛来しました。
当時の天文学者は日本を含む世界各地で観測を行い、その軌道や組成の研究が進められました。
現在でも「大彗星1882」を参照する際に、これほどの明るさを誇る彗星は稀であると語り継がれています。
1882年
1882年の大彗星
大彗星
1920年
佐伯矩の私立営養研究所を発展させた国立栄養研究所(現国立健康・栄養研究所)が設立。
佐伯矩の私立営養研究所を基礎に、国立栄養研究所が設立されました。
1920年9月17日、栄養学研究の拠点として国立栄養研究所が創設されました。
創設の背景には、第一次世界大戦後の栄養改善と国民健康の向上がありました。
発起人の佐伯矩は私立営養研究所を運営し、その成果を国家レベルに拡大しました。
国立健康・栄養研究所へと発展し、戦後の食糧難時代における食事指導や栄養政策に重要な役割を果たしました。
現在でも日本の公衆衛生や栄養学研究の基礎を築いた機関として知られています。
1920年
佐伯矩
国立健康・栄養研究所
1952年
戦後初の国産航空機であるR 52が初飛行。
1952年9月17日、日本初の戦後国産航空機R-52が初飛行に成功した。
戦後の航空産業再建を目指して開発されたR-52は、練習機として設計された双発プロペラ機である。
9月17日、関東地方の飛行場でテストパイロットが操縦し、安定した飛行を約30分間実施した。
この成功により日本の航空技術が大きく前進し、後のYS-11旅客機など国産機開発への技術的基盤を築くこととなった。
製造を担当した企業は開発ノウハウを蓄積し、国内航空産業復興に大きく貢献した。
R-52
1959年
アメリカの高高度極超音速実験機X 15が初の動力飛行に成功。
1959年9月17日、アメリカの極超音速実験機X-15が初の動力飛行に成功した。
ノースアメリカン社製のX-15はロケットエンジンを備え、高高度飛行と極超音速飛行の実証を目的とした先駆的実験機である。
エドワーズ空軍基地で実施された初飛行では、約マッハ0.4の速度と高度6,500メートルを達成した。
以降の飛行試験でマッハ6超、視界外高度100キロ以上を記録し、航空宇宙研究に大きなインパクトを与えた。
X-15の成果は後の宇宙船開発や超音速旅客機構想に活用され、米ソ宇宙開発競争にも寄与した。
1959年
極超音速
X-15
1976年
NASAが初のスペースシャトル「エンタープライズ」を公開。
1976年、NASAは初のスペースシャトル試験機「エンタープライズ」を公開しました。後のシャトル計画の重要な第一歩となりました。
1976年9月17日、アメリカ航空宇宙局(NASA)はカリフォルニア州パームデールでスペースシャトルの初号試験機「エンタープライズ」を公開しました。この機体は飛行試験専用で宇宙飛行は行わず、大気圏内での滑空試験や着陸訓練に用いられました。名前は人気SFドラマ「スタートレック」のファン投票により採用され、宇宙開発への市民の関心を高めました。1977年には実際に大気圏内飛行を開始し、スペースシャトル実用化への技術検証を積み重ねました。本公開はアメリカの再利用型宇宙船開発史における画期的な出来事として知られています。
1976年
NASA
スペースシャトル
エンタープライズ
1991年
Linuxカーネルの最初のバージョン(0.01)がインターネット上に公開される。
1991年9月17日にリーナス・トーバルズがLinuxカーネル0.01を公開し、オープンソース運動の幕開けとなりました。
Linuxカーネル0.01は1991年9月17日にインターネット上で公開され、UNIX互換のフリーなオペレーティングシステムとして開発が始まりました。公開されたソースコードは誰でも利用・改良が可能であり、世界中のプログラマーによる協力体制が生まれました。その後、ライセンスや機能拡張が進み、サーバーから組み込みシステム、スマートフォンまで幅広い分野で採用されるまでに成長しました。オープンソース開発モデルの成功例として、ソフトウェア業界全体に革新をもたらしました。
Linuxカーネル