1575年

ハインリヒ・ブリンガー

(1505 - 1575)

神学者

神学者
スイス宗教改革期の主要な神学者。 ウルリッヒ・ツヴィングリの死後、チューリッヒ教会の指導者として改革を推進した。 プロテスタント諸教会の統一的教義形成に貢献した。
1505年にスイスで生まれ、ウルリッヒ・ツヴィングリの弟子として神学を学ぶ。 1531年のカペル戦争でツヴィングリが戦死すると、チューリッヒの教会指導者を継承した。 ドイツ語説教と教会行政の整備に尽力し、信徒教育を推進。 『第二ヘルベティア信条』(Second Helvetic Confession)など重要な神学文書を著し、教義形成に寄与。 ローマ・カトリックとの対立においても柔軟かつ厳格な立場をとり、思想的指導者として影響を与えた。 1575年にチューリッヒで没し、その業績は後世のプロテスタント神学に大きな足跡を残した。
1575年 ハインリヒ・ブリンガー 1505年
1611年

バルトロメウス・スプランヘル

(1546 - 1611)

画家

画家
マニエリスムを代表するフランドル出身の画家。 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷で活躍し、官能的な神話画で知られる。
1546年にアントウェルペンで生まれ、当初ルーベンスらとともに活動。 イタリアのマニエリスムや古典古代美術から影響を受け、独自の官能的・装飾的作風を確立。 1581年にボヘミアのプラハ宮廷に招かれ、ルドルフ2世の寵愛を受ける。 『画家の反省論』(Regulae ad ceuendum)など理論書も執筆し、後進の教育に貢献。 優美で幻想的な人間像や複雑な構図を多用し、北方マニエリスムの発展に大きく寄与。 1611年にプラハで没し、その作品はヨーロッパ各地に所蔵され続ける。
1611年 バルトロメウス・スプランヘル 画家 1546年
1621年

ロベルト・ベラルミーノ

(1542 - 1621)

カトリック教会枢機卿

カトリック教会枢機卿
イタリアのイエズス会枢機卿で反宗教改革を主導した神学者。 後に教会博士に列せられた著名なカトリック指導者。
1542年にイタリアで生まれ、イエズス会に入会して神学を修める。 ルーヴァン大学やパドヴァ大学で教授を務め、教会内部の神学論争に関与。 『教会論』など多数の著作を執筆し、カトリック教義の理論的基盤を構築。 1599年に枢機卿に任命され、教皇庁で異端審問にも携わる。 1621年に没後、教会博士として列聖・列福され、その教説は現在もカトリック神学の基礎となる。 反宗教改革時代の重要な理論家として後世に影響を与え続けている。
1621年 ロベルト・ベラルミーノ 枢機卿 1542年
1665年

フェリペ4世

(1605 - 1665)

スペイン・ナポリ・シチリアの国王、ポルトガル国王

スペイン・ナポリ・シチリアの国王 ポルトガル国王
ハプスブルク家出身のスペイン国王(在位1621-1665)。 芸術の庇護者としても知られ、ベラスケスを宮廷画家とした。
1605年にマドリードで生まれ、フェリペ3世の長男として王位に就く。 1621年に即位し、三十年戦争やポルトガル王位継承戦争を経験。 経済的・軍事的困難にもかかわらず芸術を保護し、宮廷画家ディエゴ・ベラスケスを登用。 国内では財政危機や権力闘争が続き、スペイン帝国の衰退が顕著に表れる。 16世紀末からのハプスブルク支配の終焉を象徴する治世と評される。 1665年に没し、その治世は芸術文化面での功績が特に高く評価される。
1665年 フェリペ4世 スペイン ナポリ シチリア ポルトガル国王 1605年
1761年

ゲオルク・ヴォルフガンク・クノール

(1705 - 1761)

版画家、化石収集家

版画家 化石収集家
ドイツの版画家・自然史研究者。 精緻な化石図版の制作で18世紀の博物学に貢献した。
1705年にニュルンベルクで生まれ、版画技術を修得。 化石収集に情熱を注ぎ、独自の研究を開始。 『Deliciae Naturae Selectae』シリーズで精密な化石図版を刊行し高く評価される。 図版には詳細な注釈と分類が付され、当時の博物学者や科学者に利用された。 版画家としての技術と科学的知識を融合させ、自然史の視覚的伝達に革新をもたらす。 1761年に没し、その図版は現在も自然史博物館や研究機関で資料として残る。
1761年 ゲオルク・ヴォルフガンク・クノール 1705年
1762年

フランチェスコ・ジェミニアーニ

(1687 - 1762)

作曲家、ヴァイオリニスト

作曲家 ヴァイオリニスト
イタリア出身の作曲家・ヴァイオリニスト。 バロック音楽黎明期に演奏技術と作品を大きく発展させた。
1687年にルッカで生まれ、アルカンジェロ・コレッリに師事。 1714年頃にイングランドに移住し、ロンドンでヴァイオリニストとして活躍。 『ヴァイオリン演奏の技法』(The Art of Playing the Violin)を著し、演奏法の標準を確立。 多くのソナタや協奏曲を作曲し、ヨーロッパ各地で演奏・出版される。 教授としても後進を指導し、バロック音楽の発展に寄与。 1762年にロンドンで没し、その作品は現在も演奏され続けている。
1762年 フランチェスコ・ジェミニアーニ 作曲家 ヴァイオリニスト 1687年
1771年

トバイアス・スモレット

(1721 - 1771)

小説家

小説家
スコットランドの小説家・翻訳家。 生々しい描写とユーモアを織り交ぜた風刺文学で知られる。
1721年にスコットランド・ダンフリースで生まれ、医師の家系に育つ。 医学を学ぶも作家活動に転じ、1748年に『ロデリック・ランダムの冒険』を発表。 続く『ペレグリン・ピクル』など風刺小説で人気を博す。 スペイン語から英語への翻訳者としても活躍し、セルバンテスの作品を紹介。 社会の矛盾を鋭く抉る筆致とユーモアが特徴。 1771年に没し、後世の小説家に大きな影響を与えた。
1771年 トバイアス・スモレット 1721年
天明6年8月25日

徳川家治

(1737 - 1786)

江戸幕府第10代将軍

江戸幕府第10代将軍
江戸幕府第10代将軍(在位1760-1786)。 天明の大飢饉など厳しい時代に政務を執行した。
1737年に第9代将軍・徳川家重の子として生まれる。 1760年に家督を継承し、江戸幕府の政務を掌握。 天明の大飢饉(1782-1787)に対処するため倹約令や救済策を実施。 文教政策にも力を入れ、昌平坂学問所の整備を支援。 大御所政治の時代背景を反映し、実権は老中や大老に分担されることも多かった。 1786年に没し、幕府の改革と安定化に向けた基盤を築いた。
1786年 天明 8月25日 徳川家治 江戸幕府 将軍 1737年
1791年

トマス・デ・イリアルテ

(1750 - 1791)

詩人

詩人
スペインの詩人・学者。 寓話詩や風刺詩で文学界に新風を吹き込んだ。
1750年にカナリア諸島のラ・ラグーナで生まれ、古典語を学ぶ。 マドリード大学で言語学に造詣を深め、文学活動を開始。 1782年に『文学的寓話』(Fábulas literarias)を発表し、風刺と教訓を兼ねた作品で注目を集める。 ヨーロッパ文壇に新しい詩の形式を導入し、言語学者として辞書編纂や翻訳にも携わる。 学術的業績と詩作の両面で評価され、啓蒙時代の知識人として活躍。 1791年に没し、その寓話詩は後世の詩人に影響を与え続けている。
1791年 トマス・デ・イリアルテ 英語版 1750年
1823年

アブラアム=ルイ・ブレゲ

(1747 - 1823)

時計職人

時計職人
フランスの時計職人・発明家。 精緻な機械構造と革新的技術で高級時計製造の礎を築いた。
1747年にスイス・ネイシャテルで生まれ、若年期に時計制作を学ぶ。 1775年にパリに工房を開設し、精密機械への情熱を注ぐ。 1795年にパンドロール脱進機を改良し、トゥールビヨンの原型を開発。 海洋クロノメーターや自動巻き機構など多くの革新を発表。 ナポレオンやマリー・アントワネットなど王侯貴族を顧客に持ち、その名声を確立。 1823年に没し、現在の高級時計ブランドBreguetの基礎を築いた。
1823年 アブラアム=ルイ・ブレゲ 1747年
1836年

アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー

(1748 - 1836)

植物学者

植物学者
18世紀後半から19世紀初頭に活躍したフランスの植物学者。植物の自然分類法を提唱したことで知られる。
1748年フランスのリヨンに生まれ、自然の植物分類に強い関心を抱いた。 1789年に『Genera plantarum』を発表し、植物界を科・属という概念で体系化。 従来の人工的な分類から脱却し、自然の親縁関係に基づく分類法を確立。 多くの後続の植物学者に影響を与え、現代の科・属の概念の基礎を築いた。 1836年9月17日に没し、彼の業績は今日の植物学にも息づいている。
1836年 アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー 1748年
1863年

チャールズ・ロバート・コッカレル

(1788 - 1863)

建築家、考古学者、作家

建築家 考古学者 作家
イギリスの建築家・考古学者・作家。古代建築の研究と著作で知られる。
1788年ロンドン近郊に生まれ、古代ギリシャ・ローマの建築遺跡に深い関心を持つ。 主要著作『Pompeiana』や『Select Greek Architecture』などで、古典建築の魅力を広く紹介。 ケンブリッジ大学の初代美術学教授として後進を指導し、その総合的視野は高く評価された。 建築史と考古学の架け橋として活躍し、当時の学術界に大きな影響を残した。 1863年9月17日に没し、その研究と著作は今日でも参照され続けている。
1863年 チャールズ・ロバート・コッカレル 英語版 1788年