1890年
エルトゥールル号遭難事件発生。和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦が遭難。
オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難しました。
1890年9月16日、ハジバサルタン号としても知られるエルトゥールル号が和歌山県串本沖で激しい海難事故に遭遇しました。
台風による大波で座礁し、乗組員約600名のうち約580名が死亡しました。
地元住民による救助活動で残余者が救出され、日本との友好関係が深まる契機となりました。
この出来事は後に日本とトルコの友情の象徴として語り継がれています。
串本町には慰霊碑や記念館が設置され、毎年追悼式が行われています。
1890年
エルトゥールル号遭難事件
和歌山県
串本
オスマン帝国
1936年
ル・プルクワ・パ?四世が難破。
1936年9月16日、フランスの探検船「ル・プルクワ・パ?四世」が北大西洋で難破した事故。
「ル・プルクワ・パ?四世」は南極探検や科学観測に用いられたフランスの探検船だった。
船長ジャン・バティスト・シャルコーの指揮のもと、数々の極地遠征を成功させていた。
1936年9月16日、北大西洋沖の航行中に嵐や海底の岩礁により船体が損傷し難破した。
乗員・乗客は救命艇で脱出を試みたものの、多くが海難事故に巻き込まれた。
この事故は科学探検の危険性を改めて浮き彫りにし、海洋探査における安全対策の見直しを促した。
ル・プルクワ・パ?四世
1941年
山陽本線網干駅で列車が追突。65人が死亡。
1941年9月16日、山陽本線網干駅で列車追突事故が発生し、65名が死亡した。
網干駅構内で上下線の列車が誤った信号指示により正面衝突した。
衝突は早朝に発生し、双方の客車が大破して多くの乗客が巻き込まれた。
死者は65名、負傷者は100名以上にのぼり、当時の国鉄史上最大級の事故となった。
事故後、鉄道の信号システムや運転手教育の見直しが急務となった。
この惨事は日本の鉄道安全強化の契機となり、厳格な運行規程が導入された。
山陽本線
網干駅
1948年
アイオン台風が上陸。関東地方と甲信越地方に大きな被害。
1948年9月16日、関東地方と甲信越地方にアイオン台風が上陸し、広範囲で大きな被害をもたらしました。
アイオン台風は1948年9月16日に関東地方と甲信越地方に上陸し、猛烈な暴風雨を伴って広範囲に被害を及ぼした。
河川の氾濫や土砂崩れが多発し、住宅の倒壊や農作物への被害が深刻化した。
交通網も寸断され、復旧には甚大な労力を要した。
戦後の復興期に発生した台風災害として、地域社会や行政の防災体制強化の必要性を浮き彫りにした。
被災地では復興支援活動が全国的に行われ、災害対応の教訓が共有された。
アイオン台風
関東地方
甲信越地方
1950年
哨戒フリゲートのロレインが第二次世界大戦中の機雷との接触により沈没。
1950年9月16日、哨戒フリゲート艦ロレインが第二次世界大戦中の機雷と接触し、沈没しました。
哨戒フリゲート艦ロレインは、第二次世界大戦終結後の1950年9月16日に、海中に残存していた機雷と接触して浸水を起こし、沈没した。
この事件は終戦後も海上に残された機雷の危険性を浮き彫りにし、戦後の海上航行安全確保の重要性を訴えた。
乗員や救助活動の詳細は不明ながら、残留機雷対策の強化や掃海作業の必要性が再認識された。
各国海軍では掃海艇の増強や航路の調査を進め、民間の船舶も安全通航ルートの情報提供を受けるようになった。
1950年
フリゲート
ロレイン
1961年
第2室戸台風(台風18号)が近畿地方に上陸。死者行方不明202人。
1961年9月16日、第2室戸台風(台風18号)が近畿地方に上陸し、死者・行方不明者202名を出しました。
第2室戸台風は1961年9月16日に中心気圧925hPa、最大風速60m/sを記録し、近畿地方を中心に上陸した。
強風と高潮により沿岸地域で堤防決壊が多発し、浸水被害が深刻化した。
住宅の全壊・半壊は数千棟にのぼり、農業や漁業にも甚大な打撃を与えた。
死者・行方不明者は合計202名に達し、戦後最大級の自然災害の一つとして記録された。
災害対策として河川改修や堤防強化が進められ、気象観測・予報技術の向上に繋がった。
1961年
第2室戸台風
1978年
イランでM7.7のタバス地震。死者2万5千人。
1978年9月16日、イラン北東部を襲ったマグニチュード7.7のタバス地震で約2万5千人が犠牲になりました。
タバス地震はイラン北東部のファールス州タバス付近で発生し、マグニチュード7.7と推定されています。
地震は深夜に発生し、被害を最小限に抑える避難が困難だったため、甚大な人的被害を出しました。
建物の多くは耐震構造を欠き、倒壊や火災が広範囲で発生しました。
死者は約2万5千人、負傷者も数千人にのぼり、都市部の3分の2が破壊されたと報告されています。
国際的な救援活動も行われ、地震後の復興支援はイラン政府の重要課題となりました。
1978年
イラン
M
2003年
名古屋立てこもり放火事件が起こる。
名古屋で立てこもり放火事件が発生し、市街地を巻き込む騒動となりました。
2003年9月16日、名古屋市内で立てこもり放火事件が発生しました。
犯人がビルに立てこもり、ガソリンをまいて放火したため、周囲に延焼の危険が生じました。
警察や消防が緊迫した対応を行い、一部負傷者が出るなど市民に大きな衝撃を与えました。
事件解決までに数時間を要し、安全確保と救助活動が最優先で進められました。
この事件を契機に、立てこもりや火災対応の警備・防災対策が見直されました。
2003年
名古屋立てこもり放火事件
2004年
ハリケーン・アイバンがアラバマ州に上陸。
巨大ハリケーン・アイバンがアラバマ州に上陸し、甚大な被害をもたらしました。
2004年9月16日、ハリケーン・アイバンがアラバマ州に上陸しました。
カテゴリー3から4に相当する強力な勢力で、高潮や暴風雨による被害が甚大でした。
停電や住宅の浸水、道路冠水が広範囲で発生し、多数の避難者が出ました。
復旧作業には数週間を要し、インフラ再建や救援活動が急務となりました。
その後の研究で、アイバンは20世紀後半で最も破壊的なハリケーンの一つと評価されています。
2004年
ハリケーン・アイバン
アラバマ州
2007年
プーケットでワン・トゥー・ゴー航空269便着陸失敗事故が発生。
プーケット国際空港でワン・トゥー・ゴー航空269便が着陸に失敗し、大破しました。
2007年9月16日、プーケット国際空港でワン・トゥー・ゴー航空269便が着陸に失敗し大破しました。
乗客と乗員は123人搭乗しており、多数が負傷、死者も報告されました。
原因は悪天候と機長の判断ミス、滑走路の視界不良などが複合したとされます。
事故後、タイ当局は安全対策の強化とパイロット訓練の見直しを行いました。
観光地として人気の高いプーケットでの事故は、航空安全意識を高める契機となりました。
2007年
プーケット
ワン・トゥー・ゴー航空269便着陸失敗事故
2011年
2011年リノ・エアレース墜落事故発生。リノ・エアレースにてP 51改造エアレーサー「ギャロッピング・ゴースト」が観客席に墜落する。
リノ・エアレースでP-51改造機「ギャロッピング・ゴースト」が観客席に墜落し、多数の死傷者を出しました。
2011年9月16日、アメリカ・ネバダ州リノで開催されたリノ・エアレース中に事故が発生しました。
参戦機のP-51ムスタング改造エアレーサー「ギャロッピング・ゴースト」がコース上で制御を失い、観客席に墜落。
パイロットを含む多くの死傷者が出る航空レース史上最悪の惨事となりました。
事故調査では機体の構造強度不足や操縦ミスの可能性が指摘され、安全基準の見直しが求められました。
以降、観客席の配置見直しやレース規則の改訂が行われ、航空イベントの安全対策が強化されました。
航空競技における危険性とリスク管理の重要性を改めて浮き彫りにした事故でした。
2011年リノ・エアレース墜落事故
リノ・エアレース
P-51
エアレーサー
ギャロッピング・ゴースト
英語版
2013年
平成25年台風第18号が上陸、京都府・福井県・滋賀県に特別警報が初めて発表される。
平成25年台風18号が上陸し、京都・福井・滋賀の3府県で日本初の特別警報が発令されました。
2013年9月16日、平成25年台風第18号が紀伊半島に上陸しました。
台風は強風や豪雨を伴い、各地で土砂災害や河川氾濫の危険性が高まりました。
気象庁は京都府・福井県・滋賀県に対し、制度創設以来初となる特別警報を発表。
特別警報は最大級の警戒レベルを示し、住民に速やかな避難行動を呼びかけました。
各自治体は避難所開設や緊急情報の配信を行い、被害軽減に努めました。
初の特別警報適用事例として、防災意識向上や警報制度の有効性が検証される契機となりました。
2013年
平成25年台風第18号
京都府
福井県
滋賀県
特別警報