1936年

東武鉄道新栃木駅構内で、電車と貨物列車が正面衝突。運転手・乗客など6人が死亡、5人が重傷を負った。

1936年、新栃木駅構内で電車と貨物列車が正面衝突し、6名が死亡、5名が重傷を負いました。
1936年9月15日、東武鉄道新栃木駅構内で運行中の電車と貨物列車が制御を誤り正面衝突しました。衝撃で先頭車両が大破し、運転手や乗客ら6人が死亡、5人が重傷を負う惨事となりました。当時は信号システムの不備とオペレーションミスが原因とされ、鉄道安全対策の見直しが求められました。事故を受けて東武鉄道は安全管理体制を強化し、信号システムの改良や運転士教育の徹底に着手しました。この出来事は地域社会に衝撃を与え、鉄道利用者の安心安全への意識向上に繋がりました。
1936年 東武鉄道 新栃木駅
1942年

青森市で大火。328戸(211棟)が焼失。

1942年、青森市で大火が発生し、328戸が焼失しました。
1942年9月15日、青森市中心部で大規模な火災が発生し、328戸(211棟)が焼失しました。戦時下の木造家屋密集地帯で一度火が回ると消火体制が追いつかず、短時間で甚大な被害となりました。被災者は避難所に収容され、地域住民や軍関係者が消火・救援活動に従事しました。戦時の物資不足もあって復旧は困難を極め、市街地再建には長い時間を要しました。この火災は防火対策の強化や都市計画の見直しを促す契機となりました。
青森市 大火
1947年

カスリーン台風が関東地方に襲来。利根川・荒川の堤防が決壊して大水害となる。

1947年9月15日、カスリーン台風が関東地方を直撃し、利根川・荒川の堤防決壊で大規模水害をもたらしました。
1947年9月15日未明、猛烈な暴風雨を伴ったカスリーン台風が関東地方を襲来。 記録的な豪雨により利根川や荒川の堤防が決壊し、 流域の広範囲で浸水被害が発生しました。 死者・行方不明者は1000名超、農地や住宅も壊滅的な打撃を受け、 復旧には数年を要しました。 この災害を契機に河川改修や防災対策の見直しが進められ、 日本の治水行政に大きな転機をもたらしました。
1947年 カスリーン台風 関東地方 利根川 荒川
1953年

東京電力下船渡発電所のトンネル工事現場で落盤が発生。13人が生き埋めとなり、うち12人が死亡。

1953年9月15日、東京電力下船渡発電所でトンネル工事中に落盤事故が発生し、多くの作業員が犠牲となりました。
当時建設中だった下船渡発電所の送水トンネル工事現場で、岩盤の不安定化により大規模な落盤が発生しました。 作業中の作業員13名が生き埋めとなり、救出活動の結果12名が死亡、1名が重傷を負いました。 事故原因は地質調査の不備や支保工の設計不足とされ、以降のトンネル工事での安全管理強化が求められました。 この事故は国内のダム・発電所建設における安全基準見直しの契機となり、各社が工事手順や機材点検の徹底を図るようになりました。 また、被災者支援や遺族補償の制度整備にも繋がり、労働安全への意識改革が進められました。
1953年 東京電力
1961年

ハリケーン・カーラがテキサス州に上陸。死者43名。

1961年9月15日、ハリケーン・カーラがテキサス州に上陸し、大規模な被害と多数の犠牲者を出しました。
ハリケーン・カーラはメキシコ湾で発生し、最大風速約200km/hのカテゴリー4にまで発達しました。 9月15日未明、カーラはテキサス州ポートオコーナー付近に上陸し、沿岸部に激しい高潮と暴風雨をもたらしました。 広範囲で農作物や漁業施設が破壊され、住宅やインフラへの被害も甚大でした。 公式には43名の死者と数百名の負傷者が報告され、数千世帯が家を失う事態となりました。 この災害を契機に、アメリカ南部でのハリケーン対策や避難所運営の制度整備が急速に進められました。
1961年 ハリケーン・カーラ テキサス州
1974年

エア・ベトナム706便ハイジャック事件。ダナン発サイゴン行のエア・ベトナム機がハイジャックされるが、着陸中に墜落しハイジャック犯を含めた75人全員死亡。

1974年、ダナン発サイゴン行のエア・ベトナム706便がハイジャックされ、墜落事故で乗員乗客全員が死亡しました。
1974年9月15日、ダナン発サイゴン行のエア・ベトナム706便がハイジャックされました。 犯人は機内を制圧しようとしましたが、着陸進入中に墜落事故を起こしました。 この事故で乗員乗客およびハイジャック犯を含む75名全員が死亡しました。 当時のベトナム情勢の混乱も影響しており、民間航空の安全対策強化が求められました。 この惨事は航空ハイジャック対策の転機となり、その後の国際的な保安基準策定につながりました。
1974年 エア・ベトナム706便ハイジャック事件 ダナン サイゴン エア・ベトナム ハイジャック
1995年

マレーシア航空2133便着陸失敗事故

1995年、マレーシア航空2133便がコタキナバル空港への着陸に失敗し、多くの乗員乗客が犠牲となりました。
1995年9月15日、マレーシア航空2133便がコタキナバル国際空港への着陸進入中に制御を失い、滑走路をオーバーランして墜落しました。 搭乗していた61名のうち34名が死亡し、地上にいた住民1名も巻き込まれました。 事故の原因は進入速度が規定値を大幅に超えていたことや、機長と副操縦士間のコミュニケーション不足とされています。 現地は当時雨天で滑走路状況が悪く、適切な減速が行われなかったことも一因でした。 この事故を受けてマレーシア航空および国際的な航空安全基準が厳格化され、乗員訓練が見直される契機となりました。
マレーシア航空2133便着陸失敗事故
2011年

韓国において、最大でほぼ同国全土の約162万世帯に及ぶ大規模な停電が発生。

2011年、韓国全土で約162万世帯に影響を及ぼす大規模な停電が発生した。
2011年9月15日、韓国で大規模な電力供給障害が発生し、最大約162万世帯が停電した。 首都ソウルを含む都市部から郡部まで幅広い地域に影響が拡大し、交通機関や病院、企業活動にも大きな混乱をもたらした。 原因は送電設備のトラブルとされ、一部では老朽化したインフラの脆弱性が指摘された。 電力会社は迅速な復旧作業を実施し、数時間から十数時間以内に段階的に通電を再開した。 この停電を契機に韓国国内でインフラ整備や老朽化対策の重要性への関心が高まった。
2011年 韓国