キリスト教聖職者、神学者
キリスト教聖職者
神学者
初期キリスト教の聖職者で「黄金の口」の異名を持ち、コンスタンティノープルの大司教を務めた神学者です。
ヨハネス・クリュソストモス(約349年頃–407年)は、アンティオキア出身のキリスト教聖職者で、後にコンスタンティノープルの大司教として教会を率いた。
卓越した説教と神学的著作で知られ、「クリュソストモス(黄金の口)」の異名を得た。
皇帝アーカディオスと対立し、異端との抗争において多くの支持を集めたが、二度の追放を経験した。
晩年は黒海沿岸のコマナ近郊で亡くなり、その生涯は教父として後世にまで影響を与えた。
東方正教会やカトリック教会で広く崇敬される人物です。
407年
ヨハネス・クリュソストモス
キリスト教
神学者
345年
349年
354年
第30代天皇
第30代天皇
第30代日本天皇として572年から在位し、朝廷の制度整備を進めた歴史上の人物です。
敏達天皇(生年不詳–585年)は、第30代天皇として572年に即位した。
在位中は朝廷の儀式や官制の整備を推進し、律令制度の基礎を築いた。
仏教の受容をめぐる論争が活発化する中で国政を安定させる努力を行ったとされる。
直接の事績が多く伝わらないものの、古代朝廷政治の姿を示す重要な資料とされる。
死後、『日本書紀』などの古典史書に記述が残り、研究対象として重視される。
585年
8月15日
敏達天皇
天皇
538年
東ローマ帝国皇帝
東ローマ帝国皇帝
東ローマ帝国の皇帝として34年間統治し、聖像破壊運動を推進した強権的な君主です。
コンスタンティノス5世(719年–775年)は、父レオ3世の跡を継ぎ741年に即位した東ローマ皇帝である。
イコノクラスム(聖像破壊運動)を積極的に推進し、教会権力を制限して皇帝権を強化した。
アラブやブルガリア勢力との戦いで勝利を重ね、帝国の領土と財政基盤を安定させた。
その統治は34年に及び、ビザンツ史上最長期の治世の一つとされる。
強硬な宗教政策は後世に論争をもたらし、帝国内部に深い影響を与え続けた。
775年
コンスタンティノス5世
東ローマ帝国
皇帝
719年
平安時代の公卿
平安時代の公卿
平安時代中期の公卿で、摂政・関白として藤原北家の全盛期を築いた人物です。
藤原忠平(880年–949年)は、藤原北家の有力公卿として醍醐天皇・朱雀天皇両帝の下で摂政・関白を務めた。
『三代格式』などの法制を整備し、律令制度の基礎を確立した。
忠平の政権下で藤原氏は摂関家としての地位を不動のものとし、以後数百年にわたる摂関政治の礎を築いた。
学問や文化の振興にも関与し、貴族社会における教養や礼儀作法の発展に寄与した。
宮廷芸術の保護者として雅楽や詩歌の振興にも尽力した。
949年
天暦
8月14日
藤原忠平
平安時代
公卿
880年
セルジューク朝傘下のモースル、アレッポの太守
セルジューク朝傘下のモースル
アレッポの太守
セルジューク朝の重臣としてモースルとアレッポを支配し、十字軍国家に戦いを挑んだ武将です。
イマードゥッディーン・ザンギー(1087年–1146年)は、セルジューク朝に仕えモースル太守として権力を握った。
1144年にエデッサ伯領を陥落させ、十字軍国家に大打撃を与えた。
ザンギード朝の基礎を築き、アレッポの太守も兼任してシリア北部を統治した。
軍事指導者として卓越した手腕を発揮し、ムスリム勢力の統率を図った。
没後は子ヌールッディーンが後を継ぎ、ザンギーの遺志を拡大した。
1146年
ザンギー
セルジューク朝
モースル
アレッポ
1087年
平安時代末期の武将
平安時代末期の武将
河内源氏の一員として権力闘争に巻き込まれた平安時代末期の武将です。
源義賢(生年不詳–1155年)は、河内源氏の有力武将で源為義の子と伝えられる。
兄・義朝との家督争いに関与し、勢力拡大を図ったものの対立が深刻化した。
1155年の争乱で敗北し、その地で討たれて没したとされる。
源氏内部の抗争を象徴する人物の一人であり、後の源平合戦の一因となった事件に関与した。
史料が乏しく詳細は不明だが、武士台頭期の混乱を示す事例として注目される。
1155年
久寿
8月16日
源義賢
武将
第75代天皇
第75代天皇
第75代天皇として在位後に保元の乱で敗れて配流された悲劇の皇帝です。
崇徳天皇(1119年–1164年)は、第75代天皇として1123年に即位し、1142年に退位して崇徳上皇となった。
上皇として院政を敷いたが、1156年の保元の乱で後白河上皇側に敗北した。
讃岐(現在の香川県)へ配流され、その地で没した。
没後は怨霊として恐れられ、能や説話で「崇徳天皇怨霊」として語り継がれた。
日本文化に深い影響を与えた伝説的な存在として知られる。
1164年
長寛
8月26日
崇徳天皇
1119年
詩人
詩人
『神曲』を著し、イタリア語の文学を確立した中世イタリアの詩人です。
ダンテ・アリギエーリ(1265年–1321年)は、フィレンツェ出身の詩人・思想家である。
代表作『神曲』は地獄・煉獄・天国の三部構成で、人間の罪と救済を描いた壮大な叙事詩である。
イタリア語を文学言語として用いることで、それまでのラテン語中心の文壇に革新をもたらした。
政争に巻き込まれてフィレンツェを追放され、生涯を亡命者として過ごした。
1321年にラヴェンナで没し、その詩作はルネサンス以降も多大な影響を与え続けている。
1321年
ダンテ
1265年
第218代ローマ教皇
第218代ローマ教皇
オランダ出身の唯一の教皇で、宗教改革への対応を試みた第218代教皇です。
教皇ハドリアヌス6世(1459年–1523年)は、オランダ出身として1555年に選出された第218代ローマ教皇である。
在位期間は約20か月と短かったが、教会改革への強い意欲を示した。
贅沢を廃し、司祭教育の改善や腐敗防止策を推進しようとした。
同時期に始まった宗教改革(プロテスタント運動)に対し、対話と内部改革で対応を図った。
1523年にローマで没し、非イタリア人教皇として後世に特異な存在として記憶されている。
1523年
ハドリアヌス6世
ローマ教皇
1459年
数学者、バーニヤ発明者
数学者
バーニヤ発明者
測定器の精度を飛躍的に向上させるバーニヤ(ヴェルニエ)目盛を考案した数学者です。
ピエール・ヴェルニエ(1580年–1637年)は、フランスの数学者・技術者である。
1631年に『技術書』でバーニヤ目盛の原理を発表し、微小な長さを高精度で測定可能にした。
この発明は測量器や測定器具の精度向上をもたらし、工学や天文学で広く用いられるようになった。
ヴェルニエの業績は、後の計測技術発展の基礎となり、現在でも工具や計測器に名を残している。
多くの現代的計測機器は、ヴェルニエの原理に基づく目盛を採用している。
1637年
ピエール・ヴェルニエ
バーニヤ
1580年
画家
画家
フランダース出身のバロック期の画家。カラヴァッジョ風の劇的な明暗表現で知られる。
1597年にアントウェルペルンで生まれる
カラヴァッジョの影響を受けた劇的な明暗法(キアロスクーロ)を作品に取り入れた
宗教画や風俗画、風景画を手がけ、多彩な題材を描いた
生涯を通じてフランドル派の画家として活躍
1637年に亡くなるまで、独自の写実的な表現を追求した
テオドール・ロンバウツ
1597年
英国清教徒牧師、ハーバード大学命名者
英国清教徒牧師
ハーバード大学命名者
イギリス清教徒の牧師。マサチューセッツ植民地で活動し、ハーバード大学の名付け親となった。
1607年にロンドン近郊で生まれる
ケンブリッジ大学で学び、清教徒として牧師の道へ進む
1637年にニューイングランドへ移住し宣教活動を行う
亡くなる際に私財と書籍約400冊を大学設立に寄贈
設立された学園は「ハーバード大学」と命名され、世界有数の大学へ発展した
1638年
ジョン・ハーバード
英語版
清教徒
ハーバード大学
1607年