208年

マルクス・オペッリウス・アントニヌス・ディアドゥメニアヌス

(208 - 218)

ローマ帝国皇帝

ローマ帝国皇帝
ローマ帝国の共同皇帝として即位した若き皇帝。父マクシミヌス・トラクスと共に短期間政権を担った。
208年、皇帝マクシミヌス・トラクスと王妃ユリア・マクシミアの子として生まれる。 217年、父と共に共同皇帝(コンスル)に指名され、実質的な統治権を手に入れる。 しかし218年に軍内の反乱に巻き込まれ、父と共に失脚・処刑された。 在位期間はわずか1年未満だったものの、若き皇帝の悲劇的な最期は後世に語り継がれる。 帝政期の不安定な権力闘争と若年皇帝の運命を象徴する人物である。
208年 マルクス・オペッリウス・アントニヌス・ディアドゥメニアヌス 218年
786年

マアムーン

(786 - 833)

アッバース朝第7代カリフ

アッバース朝第7代カリフ
アッバース朝第7代カリフとして在位し、学問と文化を保護した。バグダードを知識の中心地に発展させたことで知られる。
786年、アブー・アバス一家の一員として生まれる。 813年にカリフに即位し、兄ハールーン・アッラシードの時代から続いた帝国内の内紛を収束させた。 ヘレニズム・ペルシア・インドの知識をアラビア語に翻訳する『知恵の館』を創設し、中世イスラーム世界の学問発展に寄与した。 天文学や哲学、医学など多様な分野の学者を保護し、バグダードを学術都市へと成長させた。 833年に亡くなり、アッバース朝黄金期の礎を築いた君主として評価される。
786年 マアムーン アッバース朝 カリフ 833年
広順3年8月4日

柴宗訓

(953 - 973)

五代後周の第3代皇帝

五代後周の第3代皇帝
五代十国時代の後周第3代皇帝。在位中は領土の安定と文教の振興に務めた。
953年、後唐将軍柴栄(世宗帝)の子として生まれる。 954年、父の死去に伴い3歳で即位し、後周王朝の第3代皇帝となる。 幼少のため摂政たちが政務を執り行い、実権は外戚や大臣に委ねられた。 959年、北宋の台頭に伴い退位させられ、皇家は幽閉された。 973年に失意のうちに没し、短い在位ながら五代十国期の象徴的存在となった。
953年 広順 8月4日 柴宗訓 五代 後周 皇帝 973年
重熙元年8月7日

道宗

(1032 - 1101)

遼の第8代皇帝

遼の第8代皇帝
遼の第8代皇帝として在位し、文化交流と仏教振興を推進した。
1032年、遼の皇族として生まれる。 1055年に第8代皇帝に即位し、在位期間中は国政の安定と辺境防衛に努めた。 仏教を庇護し、多数の寺院や仏教文献の編纂を支援した。 宋との交流を図りつつも北西辺境のタングートや契丹勢力への対策を実施した。 1101年に崩御し、長期にわたる統治は遼王朝の黄金時代を支えた。
1032年 重熙 8月7日 道宗 1101年
1401年

マリア・デ・カスティーリャ

(1401 - 1458)

アラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世の王妃

アラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世の王妃
アラゴン王アルフォンソ5世の王妃として南イタリアとシチリアで影響力を発揮した。
1401年、カスティーリャ王国の王女として生まれる。 1420年にアルフォンソ5世と結婚し、アラゴン王妃兼ナポリ女王として南イタリアに関与した。 夫の遠征や政治活動を支え、その治世において宮廷文化の発展を後押しした。 子供を生さなかったが、夫の認可により政治的助言者として宮廷運営に参与した。 1458年に没し、国境を越えた王妃として歴史に名を残した。
1401年 マリア・デ・カスティーリャ アラゴン ナポリ アルフォンソ5世 1458年
1486年

ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ

(1486 - 1535)

魔術師、人文主義者、神学者、法律家、軍人、医師

魔術師 人文主義者 神学者 法律家 軍人 医師
ルネサンス期の魔術師・人文学者。神学や法学、医学にも精通し、多彩な著作を残した。
1486年にドイツで貴族の家に生まれる。 若くして法律と神学を学び、後に軍務や外交にも従事した。 錬金術や占星術を研究し、魔術師としての名声を得る。 『隠秘哲学三巻』など魔術・哲学に関する著作を通じてルネサンス思想に影響を与えた。 晩年は医学にも関心を示し、1535年に没した。
1486年 ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ 魔術師 人文主義者 神学者 法律家 軍人 医師 1535年
1495年

ルートヴィヒ10世

(1495 - 1545)

バイエルン公

バイエルン公
バイエルン公国を統治した貴族領主。宗教改革期の重要人物。
1495年、バイエルン公家ヴィッテルスバッハ家に生まれる。 1516年に伯父ウィルヘルム4世の死去に伴いバイエルン公位を継承する。 宗教改革の時代にあって領内の教会政策に関与し、中立的立場を維持した。 経済改革や都市の自治拡大を推進し、バイエルン公国の基盤強化に努めた。 1545年に没し、統治者としての手腕と宗教政策のバランスが評価される。
1495年 ルートヴィヒ10世 バイエルン公 1545年
1453年

クラウディオ・アクアヴィヴァ

(1453 - 1615)

第5代イエズス会総長

第5代イエズス会総長
イエズス会第5代総長として宣教活動を拡大し、教育制度の整備に貢献した。
1453年、イタリアの貴族の家系に生まれる。 1573年にイエズス会に加盟し、宣教師としての活動を開始する。 1581年に第5代総長に選出され、30年以上にわたり組織を指導した。 世界各地への宣教拠点を整備するとともに、大学や学校の設立を推進した。 1615年に亡くなり、イエズス会の黄金時代を築いた指導者として知られる。
1453年 クラウディオ・アクアヴィヴァ 英語版 イエズス会 1615年
1547年

ヨハン・ファン・オルデンバルネヴェルト

(1547 - 1619)

政治家

政治家
オランダ共和国の首相格の政治家として独立戦争を指導し、法制整備に尽力した。
1547年、貴族の家に生まれる。 ユトレヒト大学で学び、司法官としてキャリアを積む。 八十年戦争期にオランダ独立運動に参画し、ユトレヒト同盟の締結を仲介する。 共和国の法律制度と行政機構の整備に尽力し、共和国の安定基盤を築いた。 1619年に失脚・処刑されるが、建国期の功労者として評価が分かれる。
1547年 ヨハン・ファン・オルデンバルネヴェルト 英語版 1619年
1580年

フランシスコ・デ・ケベード

(1580 - 1645)

詩人

詩人
スペイン黄金時代を代表する詩人・風刺作家。豊かな言語表現で知られる。
1580年、スペインの貴族家庭に生まれる。 マドリード大学で学び、深い教養と言語の才を身につける。 鋭い風刺と機知に富んだ詩作で人気を博し、同時代の文学界に大きな影響を与えた。 『愚か者の戯言』など数多くの作品を著し、社会風刺や恋愛詩を通じて人間の本質を描写した。 1645年に没し、スペイン文学史上屈指の文才として評価される。
1580年 フランシスコ・デ・ケベード 詩人 1645年
1618年

ピーター・レリー

(1618 - 1680)

画家

画家
17世紀オランダ出身の肖像画家。イングランドで活躍し、チャールズ2世の宮廷画家を務めた。
本名はピーテル・ファン・デル・ファース(Peeter van der Faes)として1618年に生まれる。 1643年にイングランドへ渡り、アントニー・ヴァン・ダイクの後継として王室御用絵師に任じられる。 『ウィンザーの美女』や『シャムロック・ファミリー』など多くの肖像画を制作。 優雅で洗練された画風は当時のイギリス貴族社会に多大な影響を与えた。 1680年にロンドンで没し、作品はロイヤル・コレクションに数多く残存。
1618年 ピーター・レリー 画家 1680年
万治3年8月10日

京極高住

(1660 - 1730)

但馬国豊岡藩主

但馬国豊岡藩主
江戸時代中期に但馬国豊岡藩の藩主を務めた大名。
1660年に生まれ、但馬国豊岡藩主として家督を継ぐ。 領内の統治や藩政運営に従事した。 詳細な記録は少ないが、江戸時代中期の藩主の一人として歴史に名を残す。 1730年に没し、その功績は藩史に記されている。
1660年 万治 8月10日 京極高住 但馬国 豊岡藩 1730年