寛治6年8月3日
越後国一帯に水害被害。原因は、地震による津波か、台風による高潮と考えられる。
越後国一帯で大規模な水害が発生し、多数の田畑や集落が被災しました。
1092年(寛治6年8月3日)に越後国一帯で記録された大規模な水害です。
津波によるものか台風の高潮か、発生原因は諸説あります。
田畑が冠水し、集落や農業用水路が甚大な被害を受けました。
当時の朝廷や地方豪族は復旧作業に奔走し、水害対策の必要性が浮き彫りになりました。
史料上は被害状況の詳細が限られますが、地域社会に大きな打撃を与えたことがうかがえます。
1092年
寛治
8月3日
越後国
1899年
ヘンリー・H・ブリスがニューヨークの交差点で自動車と衝突し翌朝に死亡。アメリカ合衆国で初めて自動車事故により死亡した人物となった。
ヘンリー・H・ブリスがアメリカで初めて自動車事故による死者となった事件。
1899年9月13日(現地時間)、ニューヨークでヘンリー・H・ブリスが乗っていた馬車が走行中の自動車と衝突しました。
轟音を伴う衝撃によりブリスは重傷を負い、翌朝に死亡が確認されました。
これはアメリカ合衆国初の自動車事故死とされ、自動車社会の黎明期に起きた象徴的事例です。
当時自動車はまだ珍しく、公道での走行に伴う危険性が社会問題化しました。
この事件を契機に、後の自動車交通規制や安全対策議論が進む一助となりました。
ヘンリー・H・ブリス
ニューヨーク
1918年
翌日にかけて近畿地方、山陰地方に台風が襲来。死者・行方不明者は兵庫県120人、鳥取県85人、島根県83人、香川県21人。
近畿・山陰地方を台風が直撃し、多数の死者・行方不明者を出した大災害。
1918年9月13日から翌日にかけて、台風が近畿地方および山陰地方を襲いました。
兵庫県で死者・行方不明者合わせて約120人、鳥取県85人、島根県83人、香川県21人の被害が報告されました。
河川の氾濫や土砂崩れが各地で発生し、多くの家屋が流失・倒壊しました。
交通網も寸断され、救援活動は困難を極めました。
当時の気象観測技術が未発達であったため、事前の情報不足が被害を拡大させた要因とされています。
この台風被害は大正時代の気象災害史においても大きな位置を占めています。
1918年
近畿地方
山陰地方
台風
兵庫県
鳥取県
島根県
香川県
1927年
有明海台風が熊本県に襲来。
有明海を襲った台風が熊本県を直撃し、大きな被害をもたらした災害。
1927年9月13日、有明海を襲来した台風が熊本県沿岸部を直撃しました。
高潮や暴風雨により沿岸地域では浸水や家屋の損壊が多発しました。
漁港や農地への被害も深刻で、地元経済に大きな打撃を与えました。
当時の気象情報は限られており、住民の避難も十分に行われませんでした。
災害後の復旧作業には地域住民や政府が動員され、その教訓から沿岸防災対策の強化が検討されました。
1927年
熊本県
1932年
広島県音戸町と鍋桟橋(いずれも現呉市)を結ぶ汽船が沈没。死者・行方不明者29人。定員23人の小型船に6倍近くの137人が乗ったことによる事故。
広島県の小型旅客船が定員の6倍近い乗客を乗せて沈没し、多くの犠牲者を出した事故。
1932年9月13日、広島県音戸町と鍋桟橋を結ぶ定員23人の小型汽船が沈没しました。
実際には約137人が乗船しており、定員の6倍近い過密状態でした。
突如として発生した事故は激しい水流や船体のバランス崩壊を招きました。
最終的に死者・行方不明者は29人にのぼり、地域社会に衝撃を与えました。
安全基準や乗船管理の重要性を浮き彫りにした出来事です。
1932年
広島県
音戸町
呉市
1935年
新潟県新発田市で大火。8時間にわたり燃え続け全焼戸数780戸、半焼14戸。
新潟県新発田市で大規模火災が発生し、780戸が全焼した火災災害。
1935年9月13日未明、新発田市で大規模な火災が発生しました。
燃え広がった火は約8時間にわたり鎮火せず、市街地を襲いました。
全焼戸数は780戸、半焼14戸にのぼり多くの住民が家屋を失いました。
住民の避難活動や消火活動が懸命に行われましたが、被害は甚大でした。
後に都市防火対策や消防体制の見直しが進められた契機となりました。
1935年
新潟県
新発田市
1950年
大分県津久見市沖合で定期船が沈没。死者28人。
1950年9月13日、大分県津久見市沖合で定期船が沈没し、28人が犠牲となった海難事故。
1950年9月13日、大分県津久見市沖合で定期船が沈没しました。
当日は荒天により波が高く、船体に損傷が生じたとされています。
乗員乗客合わせて数十名が乗船しており、救命胴衣を装着できずに溺死したケースもありました。
海上保安庁や地元漁船が救助にあたりましたが、犠牲者は28人に上りました。
この事故を契機に船舶の安全基準や救命設備の強化が求められるようになりました。
1950年
大分県
1987年
ゴイアニア被曝事故: ブラジル・ゴイアニア市の廃病院に放置されていた放射線療法用の放射性物質格納容器が盗まれる。250人が被曝し4人が死亡する事故に。
ブラジル・ゴイアニア市で放射線療法用の放射性物質が盗難され、多くの住民が被曝した重大な原子力事故が発生しました。
1987年9月13日、廃病院に放置されていた放射線療法用セシウム137の容器が盗まれ、破損した。
容器は市内のがらくた市などで分解・販売され、住民250人以上が被曝。
被曝による健康被害で最終的に4人が死亡、何百人もの重軽傷者が出た。
汚染された衣服や土壌の除染作業が大規模に実施され、放射性廃棄物の処理が問題となった。
事故を受けてブラジル国内外で放射性物質管理の強化や市民教育の必要性が喚起された。
1987年
ゴイアニア被曝事故
ブラジル
ゴイアニア
放射線療法
放射性物質