1759年

ジェームズ・ウルフ

(1727 - 1759)

イギリス陸軍の将軍

イギリス陸軍の将軍
将軍として十三年戦争中にケベックを攻略し、新世界戦略を象徴した英雄。
ジェームズ・ウルフ(1727–1759)は若くして仕官し、オーストリア継承戦争などで戦功を重ねた。 七年戦争(北米ではフレンチ・インディアン戦争)においては北米戦線を指揮し、1759年にケベック包囲戦で勝利を収めた。 要塞都市ケベックの戦いで戦死したが、その壮絶な最期はベンジャミン・ウエストの絵画『ケベックの死』で有名になった。 ウルフの勝利はイギリスが北米大陸の主導権を握る転機となった。 25歳という若さで没したが、軍人としての鮮烈な活躍は今も語り継がれている。
1759年 ジェームズ・ウルフ イギリス陸軍 将軍 1727年
1847年

ニコラ・ウディノ

(1767 - 1847)

フランス帝国元帥

フランス帝国元帥
フランス革命戦争からナポレオン戦争期に活躍したフランス帝国の元帥。
1767年、フランスに生まれ、フランス革命戦争で軍歴を開始した。 トゥーロン奪還などで活躍し、ナポレオン戦争では将軍として数々の戦役を指揮した。 1806年にマルシャル・ド・フランスに任命され、ワグラムの戦いやロシア遠征に参加。 戦術家として高い評価を受け、その忠誠心と指揮能力で知られた。 ナポレオン失脚後も王政復古期の下で軍務を続け、1847年に没した。
1847年 ニコラ・ウディノ フランス帝国 元帥 1767年
1881年

アンブローズ・バーンサイド

(1824 - 1881)

アメリカ陸軍少将、ロードアイランド州知事

アメリカ陸軍少将 ロードアイランド州知事
アメリカ陸軍の指揮官で、南北戦争で活躍した後、ロードアイランド州知事を務めた。
1824年にアメリカで生まれ、南北戦争ではアメリカ陸軍少将としてフリーダムズ・ファームズなどで指揮を執った。 特徴的な“バーンサイド髭”で知られ、その名はひげのスタイルにも残っている。 戦後はロードアイランド州知事に選ばれ、政治家として州の復興に貢献した。 軍人と政治家、両分野での活動を通じて幅広い評価を得た。 1881年に没し、その多彩な功績は今もアメリカ史の一幕として語り継がれる。
1881年 アンブローズ・バーンサイド アメリカ陸軍 少将 ロードアイランド州知事 1824年
1912年

乃木希典

(1849 - 1912)

日本陸軍の大将

日本陸軍の大将
日露戦争で活躍した日本陸軍の大将。妻とともに殉死した悲劇の軍人。
1849年に生まれ、下級藩士の家から陸軍士官として出仕。 日露戦争では旅順攻囲戦を指揮し、戦略的勝利を収めた。 その冷静沈着な指揮ぶりと人間的な温かさで兵士からの信望が厚かった。 戦後は教育者として陸軍士官学校の校長を務め、後進の育成に努めた。 1912年に明治天皇の崩御に殉じる形で妻とともに自刃し、その忠義は語り継がれる。
1912年 乃木希典 日本陸軍 大将 1849年
1946年

アーモン・ゲート

(1908 - 1946)

ナチス・ドイツの強制収容所所長

ナチス・ドイツの強制収容所所長
ナチス親衛隊員で、強制収容所の所長として残虐行為を行った戦犯。
1908年にオーストリアで生まれ、親衛隊(SS)に入隊。 第二次世界大戦中、クラクフ=プワシュフ収容所の指揮官として多数のユダヤ人を虐殺。 映画『シンドラーのリスト』でも描かれた非人道的行為で悪名高い。 戦後、戦争犯罪で裁かれ、1946年に処刑された。
1946年 アーモン・ゲート ナチス・ドイツ 強制収容所 1908年
1971年

林彪

(1907 - 1971)

中華人民共和国元帥

中華人民共和国元帥
中国共産党の元帥・政治家。文化大革命期に毛沢東の側近として権勢を振るい、1971年の飛行機事故で謎の死を遂げた。
1907年に河南省で生まれ、若くして革命運動に参加。 抗日戦争や国共内戦で軍事的功績を上げ、1955年に中華人民共和国元帥に任命された。 1960年代には文化大革命の先頭に立ち、党中央政治局常務委員として絶大な影響力を獲得。 毛沢東体制下で後継者候補と目されながらも、内部抗争に巻き込まれた。 1971年、クーデター計画(九・一三事件)が露見し、モンゴル上空で飛行機が墜落、謎多き最期を遂げた。 その死は現在も中国政治史の謎の一つとして語り継がれている。
1971年 林彪 中華人民共和国元帥 1907年
1971年

林立果

(1945 - 1971)

林彪の長男

林彪の長男
林彪の長男で、人民解放軍のパイロットとして九・一三事件に関与し、若くして悲劇的な最期を遂げた。
1945年に生まれ、林彪の後継者候補として注目を集めた。 北京高校を経て人民解放軍空軍に入隊し、パイロット訓練を受けた。 父のクーデター計画(九・一三事件)に深く関与し、政治的陰謀の中心人物とされた。 1971年、母親の葉群と共に飛行機で脱出を試みるも、モンゴル上空で墜落事故を起こし死去。 わずか26年の短い生涯は、中国政治史の波乱の一幕として語り継がれている。
林立果 1945年