81年

ティトゥス

(39 - 81)

ローマ皇帝

ローマ皇帝
父ウェスパシアヌスの後を継ぎ、ローマ帝国第10代皇帝として即位。 ユダヤ戦争を終結させ、コロッセウムの完成を見届けた。
ティトゥスは紀元39年に生まれ、父皇帝ウェスパシアヌスの跡を継いで紀元79年に皇帝に即位した。 彼はユダヤ戦争を指揮し、エルサレム神殿を攻略して戦争を終結させた軍事的手腕で知られる。 また、ローマの象徴であるコロッセウムの完成を見届け、市民からの支持を集めた。 在位期間は短かったものの、災害時の救援や都市改修など慈善事業にも熱心に取り組んだ。 紀元81年に急逝したが、その治世は「民の父」と称えられるほど安定と繁栄をもたらした。
81年 ティトゥス ローマ皇帝 39年
531年

カワード1世

(473 - 531)

サーサーン朝の王

サーサーン朝の王
5世紀末から6世紀初頭にサーサーン朝を統治し、中央集権化と東ローマ帝国との抗争で知られた王。
カワード1世(473–531)はサーサーン朝ペルシアの王として即位し、王権強化のため中央集権化を推進した。 彼はマズダク派の改革を支持し、富の再分配や社会福祉に取り組んだが、一時失脚してのちに復位した。 また、東ローマ帝国との複数回の戦いを通じて国境を守り、サーサーン朝の軍事的優位を維持した。 治世中に法典整備や官僚制度の改革を行い、後世の王権強化に大きな影響を与えた。 531年に逝去したのちも、彼の改革は現代のイラン文化にまで伝えられている。
531年 カワード1世 サーサーン朝 473年
養老4年8月3日

藤原不比等

(659 - 720)

飛鳥時代・奈良時代の廷臣

飛鳥時代・奈良時代の廷臣
飛鳥・奈良時代に藤原氏の基盤を築き、律令制度の整備に貢献した有力廷臣。
藤原不比等(659–720)は、天智・天武朝を経て奈良朝の政界で強大な影響力を持った。 彼は大宝律令・養老律令の編纂に深く関わり、律令国家体制の確立に寄与した。 また、天皇の后や皇族との婚姻を通じて藤原氏の権勢を拡大し、後の摂関政治の礎を築いた。 五経博士として学問を重んじ、漢詩や文章の才能にも秀でた文化人でもあった。 720年の死後も藤原氏は長く政界を支配し、日本中世の政治構造に大きな影響を与えた。
720年 養老 8月3日 藤原不比等 飛鳥時代 奈良時代 659年
1506年

アンドレア・マンテーニャ

(1431 - 1506)

画家

画家
イタリア・ルネサンス期を代表する画家。遠近法を駆使した写実的表現で知られる。
アンドレア・マンテーニャ(1431–1506)はパドヴァで Squarcione に学び、後にゴンザーガ家の宮廷画家となった。 彼は斬新な遠近法の表現や彫刻的な人体描写で画壇に大きな影響を与え、オヴェタリ礼拝堂のフレスコ画が代表作とされる。 マントヴァの夫人の肖像や聖母子像など、写実性と古典的理想が融合した独自の作風を確立した。 生涯を通じて版画制作にも携わり、ヨーロッパ各地にマンテーニャ風の技法が広まった。 1506年に没後も、彼の革新的な描写技法は後世の画家に多大な影響を及ぼした。
1506年 アンドレア・マンテーニャ 画家 1431年
1592年

ミシェル・ド・モンテーニュ

(1533 - 1592)

哲学者、人文主義者

哲学者 人文主義者
フランス・ルネサンス期の思想家であり、随筆文学の創始者として知られる。
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533–1592)は、1580年に『エセー(随想録)』を刊行して随筆文学を創始した。 彼は自己観察と懐疑主義を重視し、人間の本性や社会を洞察する文章で高い評価を得た。 ボルドーの市長を務めつつ学問に勤しみ、古典文献に通じた人文学者としても功績を残した。 モンテーニュのエセーは後世の哲学者や文学者に影響を与え、フランス文学の発展に寄与した。 その温厚な人柄と深い洞察は、現代でも自己省察の書として読み継がれている。
1592年 ミシェル・ド・モンテーニュ 哲学者 人文主義者 1533年
1598年

フェリペ2世

(1527 - 1598)

スペイン国王

スペイン国王
16世紀のスペイン王として広大な帝国を支配し、絶対王政を確立した君主。
フェリペ2世(1527–1598)はハプスブルク朝の王として、スペイン・ネーデルラント・ナポリ・シチリア・植民地を統治した。 カトリック信仰の強化を図り、対プロテスタント政策を推進して宗教改革と対立した。 また、1588年にはイングランド遠征艦隊(無敵艦隊)を派遣したものの敗北し、海上覇権の争奪を象徴した。 行政制度の整備や財政改革に取り組み、領土統治を中央集権化することで強固な王権を築いた。 没後もスペイン黄金時代の繁栄を支えた立役者として知られる。
1598年 フェリペ2世 スペイン 1527年
1632年

レオポルト5世

(1586 - 1632)

前方オーストリア大公

前方オーストリア大公
ハプスブルク家出身のオーストリア大公として、チロル地方の統治にあたった君主。
レオポルト5世(1586–1632)は神聖ローマ帝国ハプスブルク家の一員として生まれ、当初は聖職者として育成された。 しかし後に世俗領主に転じ、父チャールズ2世の死去に伴いチロルとアルトエスターライヒを統治した。 彼は領邦の防衛と行政改革に努め、三十年戦争下でも比較的安定した統治を維持した。 文化面では芸術や学問を保護し、宮廷文化の振興にも貢献した。 1632年の没後、息子フェルディナント・カールが家督を継承し、レオポルトの施策はその後も受け継がれた。
1632年 レオポルト5世 1586年
1735年

フェルディナント・アルブレヒト2世

(1680 - 1735)

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の統治者として領邦政治を支えた君主。
フェルディナント・アルブレヒト2世(1680–1735)はゲータリング家出身の領主として公位を継承した。 彼は領邦の行政改革や財政再建に尽力し、宮廷を通じた文化的振興にも注力した。 また、神聖ローマ帝国内での外交や公的儀礼に参加し、小領邦ながら一定の影響力を保った。 音楽や建築を奨励し、地元教会や宮殿の改修事業を支援した。 1735年に没したのち、公国は息子ルートヴィヒ・フェルディナントが継承した。
1735年 フェルディナント・アルブレヒト2世 1680年
1759年

ジェームズ・ウルフ

(1727 - 1759)

イギリス陸軍の将軍

イギリス陸軍の将軍
将軍として十三年戦争中にケベックを攻略し、新世界戦略を象徴した英雄。
ジェームズ・ウルフ(1727–1759)は若くして仕官し、オーストリア継承戦争などで戦功を重ねた。 七年戦争(北米ではフレンチ・インディアン戦争)においては北米戦線を指揮し、1759年にケベック包囲戦で勝利を収めた。 要塞都市ケベックの戦いで戦死したが、その壮絶な最期はベンジャミン・ウエストの絵画『ケベックの死』で有名になった。 ウルフの勝利はイギリスが北米大陸の主導権を握る転機となった。 25歳という若さで没したが、軍人としての鮮烈な活躍は今も語り継がれている。
1759年 ジェームズ・ウルフ イギリス陸軍 将軍 1727年
1794年

ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアン

(1755 - 1794)

詩人、小説家、寓話作家

詩人 小説家 寓話作家
フランスの詩人・小説家・寓話作家。優美な文体で愛や自然を描いた。
ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアン(1755–1794)はモンペリエ生まれの文学者で、『エステル』や『寓話集』で知られる。 彼はアカデミー・フランセーズ会員として活躍し、友人ヴォルテールとの交流でも名を馳せた。 フロリアンの寓話はイソップ寓話に影響を受けつつ、人間の性格を巧みに風刺する作品が多い。 詩や小説でも愛や哀愁を情感豊かに表現し、18世紀フランス文学の一翼を担った。 フランス革命期を生き抜き、その繊細な文体は後世にも高く評価されている。
1794年 ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアン 英語版 1755年
1808年

サヴェリオ・ベッティネッリ

(1718 - 1808)

イエズス会の作家

イエズス会の作家
イタリア出身のイエズス会士で、古典文学の研究と文学批評を行った作家。
1718年、イタリアのブレシアに生まれ、1740年代にイエズス会に入会して神学と古典文学を修めた。 文学批評や随筆を数多く執筆し、代表作に『イタリア詩人への手紙』などがある。 伝統的な古典研究を重視しつつも、新しい批評視点を取り入れた手法が注目された。 教会史から文学史に至る幅広い分野で活躍し、後世の学術研究に大きな影響を与えた。 1808年に没し、学問と信仰を融合させた独自の研究姿勢を貫いた。
1808年 サヴェリオ・ベッティネッリ 英語版 イエズス会 1718年
天保3年8月19日

鼠小僧

(1797 - 1832)

江戸時代の盗賊

江戸時代の盗賊
江戸時代に活動した伝説的な盗賊で、庶民のヒーローとされる存在。
鼠小僧は1797年頃に生まれ、江戸の町で盗賊として名を馳せた。 裕福な大名屋敷などを襲い、盗んだ金品を貧しい人々に分け与えたという逸話が残る。 貧富の差が激しかった当時、庶民の支持を集め“義賊”として語り継がれている。 1832年、捕縛され死刑または獄死という説があるが、正確な最期の詳細は不明。 日本各地に伝承や講談が残り、今も歌舞伎や小説などで題材にされ続けている。
1832年 天保 8月19日 鼠小僧 江戸時代 盗賊 1797年