1880年

フランス法の流れを汲む法律家、薩埵正邦らによって東京法学社が開校。翌年5月に東京法学校と改称。現在の法政大学。

薩埵正邦らが東京でフランス法を基に法律教育機関を創設し、後の法政大学となった。
1880年、旧幕臣でフランス法研究者の薩埵正邦を中心に東京法学社が開校した。講義では仏民法典をはじめとする欧州法を採用し、法学教育の近代化を図った。翌1881年5月に東京法学校と改称し、さらに教職員やカリキュラムを拡充。明治期の法制度整備に貢献した人材を輩出し、1903年には正式に法政大学へと発展した。今日の日本法学教育の礎を築いた歴史的出来事である。
1880年 薩埵正邦 東京法学校 法政大学
1929年

武蔵高等工科学校(後の武蔵工業大学、現東京都市大学)が開校。

武蔵高等工科学校(現東京都市大学の前身)が開校した日。
1929年9月12日、武蔵高等工科学校が設立され開校しました。 同校は工学教育を担う高等工科学校として、技術者育成を目的にしていました。 後に武蔵工業大学へと発展し、さらに東京都市大学へ改組されるなど教育機関としての歴史を刻んでいます。 当初は限られた規模でしたが、社会の工業化とともに学生数を増やし、技術革新に貢献しました。 現在も首都圏で工学を中心とした教育研究を続けています。
1929年 東京都市大学
1984年

グリコ・森永事件: 森永製菓脅迫事件。「かい人21面相」がグリコに続いて森永製菓にも脅迫状を送る。

「かい人21面相」によるグリコ・森永菓子脅迫事件で森永製菓にも脅迫状が送られました。
1984年9月12日、連続食品企業脅迫事件「グリコ・森永事件」で「かい人21面相」と称する犯人が森永製菓にも脅迫状を送りました。 1970年代後半から続くこの事件は、グリコへの毒物混入や身代金要求に始まり、森永製菓にも同様の危険を及ぼしました。 犯人は新聞やテレビにも一連の声明を出し、不安を煽りながら巨額の法外な要求を続けました。 警察は大規模な捜査網を展開し、企業や国民の安全確保と早期解決を図りましたが、犯人は最終的に特定されませんでした。 この事件は企業犯罪対策や危機管理の在り方に大きな影響を与え、今も未解決のままミステリーとして語り継がれています。
1984年 グリコ・森永事件 森永製菓脅迫事件 森永製菓
1992年

日本全国の公立学校で、毎月第2土曜日を休業日とする月1回の学校週5日制が開始。

日本の公立学校で月1回の土曜休校を導入する週5日制がスタートしました。
1992年9月12日、日本全国の公立小中学校で月1回、第2土曜日を休業日とする学校週5日制が開始されました。それまでの週6日制から変更され、児童生徒や教員の余暇時間が拡大しました。部活動や地域交流、家庭での過ごし方など、放課後活動が多様化しやすくなりました。制度導入にあたってはカリキュラムの再編成や教員採用の見直しなど課題もありましたが、徐々に定着していきました。現在では日本の教育制度に不可欠な要素として評価されています。
1992年 学校週5日制