継体天皇21年8月1日

物部麁鹿火が磐井の乱の平定を命じられる。

継体天皇が物部麁鹿火に磐井の乱の鎮圧を命じた出来事です。
527年、日本の飛鳥時代(継体天皇21年8月1日)に起こった重要な政変です。 東国(現在の九州地方北部)で蜂起した磐井は、当時の中央政権に対する反乱を指揮していました。 反乱の鎮圧を任されたのが物部氏の有力豪族・物部麁鹿火です。 麁鹿火は軍勢を率いて反乱軍を包囲し、戦略的に各地を制圧しました。 これにより中央政権の統制力が再確認され、飛鳥時代の統治体制に大きな影響を与えました。
527年 継体天皇 8月1日 物部麁鹿火 磐井の乱
天平宝字8年

藤原仲麻呂の乱勃発。

764年に藤原仲麻呂が反乱を起こし、天平宝字の政変が始まりました。
764年(天平宝字8年)、奈良時代にあって藤原仲麻呂が朝廷内の権力を掌握しようと反乱を起こしました。 仲麻呂は孝謙天皇の信任を得て政治の実権を握る一方、僧道鏡ら皇后派と対立していました。 天皇の寵愛を失いつつあった仲麻呂は、クーデターを計画して都を制圧しようとしました。 反乱軍は兵を集めて洛陽へ進軍しましたが、道鏡派や天皇側の抵抗を招きました。 最終的に仲麻呂は討たれ、天平宝字の政争は道鏡勢力の勝利に終わりました。 この事件は奈良時代の院政的要素を先取りする政変として知られています。
764年 天平宝字 藤原仲麻呂の乱
1656年

エルビング条約締結。

1656年にプロイセンとスウェーデン王国の間で結ばれたエルビング条約です。
1656年、第二次北方戦争のさなかにプロイセン選帝侯とスウェーデン王国がエルビング条約を締結しました。 条約によりプロイセンはスウェーデンに対し軍事的支援を約束し、相互防衛を図りました。 一方で領土や商業権の取り決めも含まれ、バルト海地域の勢力均衡に影響を与えました。 この条約はプロイセンの主権確立に寄与し、後の国家形成にもつながりました。 ヨーロッパ大陸のパワーバランスに変化をもたらした重要な外交文書です。
1656年 エルビング条約
明治4年7月27日

民部省が大蔵省に吸収。

明治政府の行政改革で民部省が大蔵省に吸収された日です。
1871年9月11日、明治政府の一環として民部省が大蔵省に統合されました。 これにより税制や財政管理の一元化が進み、政府の統治能力が強化されます。 廃藩置県や太政官制改革と並んで行われた重要な制度改革です。 旧来の租税管理部門が再編され、近代国家形成の基盤が築かれました。 この統合は中央集権化をさらに加速させた歴史的な出来事です。
1871年 明治 7月27日 民部省 大蔵省
1945年

GHQが東條英機ら戦犯容疑者39人の逮捕を指令。

1945年9月11日、GHQが東條英機ら39人の戦犯容疑者逮捕を命じ、日本政府に指令を下しました。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、第二次世界大戦の戦犯容疑者として東條英機元首相を含む39名の逮捕を指令しました。この指令はマッカーサー元帥による政府への初の重大命令の一つであり、戦後日本の司法と政治に大きな影響を与えました。東條英機は翌月に逮捕され、極東国際軍事裁判(東京裁判)で起訴されました。GHQの指令は日本国内で大きな反響を呼び、戦後責任問題の議論が本格化しました。逮捕対象には軍高官や官僚、政治家が含まれ、日本の戦後改革と民主化の象徴的出来事となりました。
1945年 GHQ 東條英機 戦犯
1989年

ハンガリーがピクニック事件以降国内に滞在していた東ドイツ国民に対し、この日0時をもって国境を開放。鉄のカーテンが無意味な物となり、ベルリンの壁崩壊へと繋がる。

ハンガリーが東ドイツ国民向けに国境を解放し、鉄のカーテンを事実上消滅させました。 ベルリンの壁崩壊の前触れとなる歴史的瞬間です。
1989年9月11日0時、ハンガリー政府は東ドイツ国民に対して国境を開放し、オーストリアへ自由に移動できる措置を発表しました。 前年に発生したピクニック事件を契機に越境規制が段階的に緩和され、この日ついに全面解除となりました。 約6万人の東ドイツ市民がハンガリー経由で西側へ逃れ、冷戦構造に亀裂が生じました。 この出来事は『鉄のカーテン』を無意味化し、ベルリンの壁崩壊と東欧革命を加速させる転換点となりました。 冷戦終結への道を開く歴史的局面として高く評価されています。
1989年 ハンガリー ピクニック事件 鉄のカーテン ベルリンの壁
1997年

第2次橋本改造内閣が発足。

1997年9月11日、第2次橋本改造内閣が発足し、橋本龍太郎内閣が大幅な閣僚改造を実施しました。
橋本龍太郎首相は初代内閣発足後、政権への支持回復を図るため2度目の改造を断行した。 小渕恵三氏や山崎拓氏など主要閣僚を入れ替え、行政改革や金融不良債権処理が最重要課題とされた。 財政再建に向けた歳出削減や消費税率引き上げなど厳しい施策が協議の中心となりました。 また、行政改革担当大臣の新設など組織改編を通じて政府機能の効率化を目指しました。 改造後の内閣は与党内の世代交代を象徴しつつ、一方で党内の利害調整や派閥バランスも配慮されました。
1997年 第2次橋本改造内閣
2005年

第44回衆議院議員総選挙。郵政民営化を訴えた自由民主党が記録的大勝。

2005年9月11日、第44回衆議院選挙が行われ、郵政民営化を掲げた自民党が大勝しました。
小泉純一郎首相が「郵政民営化」を最大の争点として解散総選挙を実施し、自民党は圧勝しました。 与党は議席数を大幅に増やし、改憲などの重要法案を通す安定基盤を得ました。 民主党や共産党など野党は大敗し、大きな勢力変動が起きました。 郵政民営化法案はその後速やかに国会で成立し、日本の金融・郵便制度に大きな変革をもたらしました。 この結果は「郵政解散」と呼ばれ、政治手法としての強力なリーダーシップの象徴として語り継がれています。
2005年 第44回衆議院議員総選挙 郵政民営化 自由民主党
2008年

蒲島郁夫熊本県知事が川辺川ダム計画の白紙撤回を表明。

熊本県知事の蒲島郁夫氏が、環境保護や住民の反対に配慮し、長年議論されてきた川辺川ダム建設計画の白紙撤回を表明しました。
川辺川ダム計画は昭和期から治水・利水の観点で検討されてきましたが、地元住民や環境保護団体による自然破壊への懸念が根強く、建設の是非が問われてきました。蒲島郁夫知事は地域の声を受け、2008年9月11日に計画の白紙撤回を表明しました。この決定により住民の生活環境保全や阿蘇地域の豊かな自然景観維持が期待される一方、治水対策の代替案策定が課題となりました。県は撤回後、流域全体の防災・減災対策を見直し、新たな地域振興策の検討を進めています。
2008年 蒲島郁夫 熊本県知事 川辺川ダム
2012年

尖閣諸島国有化: 日本政府が、尖閣諸島のうち民間所有の魚釣島及び南小島、北小島の3島を、20億5000万円で購入することを閣議決定した。

日本政府が尖閣諸島の民間所有3島を国有化し、領有権を強化しました。
日本政府は2012年9月11日の閣議決定で、尖閣諸島のうち魚釣島、南小島、北小島の3島を約20億5000万円で購入し国有化を実施しました。これは領有権を巡る日中間の緊張が高まる中での措置で、国内外から大きな注目を集めました。この決定により日本は行政権を強化し、漁業権や上陸規制などを管理下に置くことが可能となりました。一方、中国や台湾政府は強く反発し、領有権問題の先鋭化につながる要因ともなりました。現在も日中間の外交課題として議論が続いています。
2012年 尖閣諸島国有化 日本政府 尖閣諸島 魚釣島 南小島 北小島
2019年

第4次安倍第2次改造内閣が発足。

第4次安倍第2次改造内閣が発足し、新閣僚が顔ぶれを一新しました。
2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣が発足し、主要閣僚の顔ぶれが一新されました。安倍晋三首相は働き方改革や経済再生、外交安保政策を推進するための布陣を整えました。新任の官房長官や外務大臣などを中心に、政策継続と世代交代のバランスが注目されました。この改造は参院選後の支持回復を狙った人事とされ、与党内外からさまざまな評価が寄せられました。閣僚経験者の起用や女性閣僚の増加にも注目が集まりました。
2019年 第4次安倍第2次改造内閣