1912年
日本初の映画会社・日本活動写真が設立。
日本初の映画会社・日本活動写真が設立されました。
1912年9月10日、日本活動写真社が東京で設立されました。
同社は日本で初めての民間映画製作会社とされ、活動写真の配給・上映を行いました。
当時の活動写真は短編の風景や実景映像が中心で、多くの市民が映画に触れる機会を得ました。
日本の映画産業はこの設立を契機に発展を始め、後の映画黄金期へとつながっていきます。
日本活動写真はのちに他社と合併し、大日本映画などへと発展しました。
1912年
日本活動写真
1947年
ドイツの作家集団「47年グループ」が初会合を行う。
1947年9月10日、ドイツの若手作家による『47年グループ』が初会合を開催し、戦後文学の新潮流を生み出した。
戦後ドイツ文学の再生を目指し、1947年9月10日に発足した『47年グループ』は、ハンス=ヴェルナー・リヒターらが中心となった作家集団です。
ポール・ツェラン、ギュンター・グラス、インゲボルク・バッハマンなど、後に世界的に評価される作家が参加しました。
彼らは定期的に会合を開き、新作の朗読や批評を通じて相互刺激を図りました。
冷戦下の分断されたドイツにおいて、共通の文学的理想を追求したこの活動は、戦後ドイツ文化の復興に大きく寄与しました。
グループは1950年代初頭まで継続し、その後も各メンバーの活躍が国際的評価を高めました。
1947年
ドイツ
47年グループ
1951年
黒澤明監督の映画『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で日本映画初の金獅子賞を獲得。
1951年9月10日、黒澤明監督の『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で日本映画初の金獅子賞を獲得した。
1951年、三船敏郎や京マチ子ら出演の黒澤明監督作品『羅生門』が第12回ヴェネツィア国際映画祭に出品されました。
同年9月10日、栄えある金獅子賞を日本映画として初めて受賞し、世界に日本映画の存在を強く印象付けました。
この功績は戦後日本映画界の復興を象徴し、海外市場開拓への道を切り開きました。
『羅生門』の革新的な視点やストーリーテリングは国内外の監督にも大きな影響を与えました。
受賞を機に黒澤明は国際的な評価を確立し、その後の作品も世界中で注目されるようになりました。
1951年
黒澤明
羅生門
ヴェネツィア国際映画祭
1981年
ピカソの『ゲルニカ』がニューヨーク近代美術館からスペインに返還される。
1981年9月10日、ピカソの『ゲルニカ』がニューヨーク近代美術館からスペインへ返還された。
『ゲルニカ』はピカソがスペイン内戦を背景に制作した代表的な反戦絵画です。
1939年以降、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されていましたが、民主化後のスペイン復権を象徴して返還が決定されました。
1981年9月10日にMoMAから移送され、マドリードのプラド美術館に収蔵されました。
この返還はスペインの文化遺産回復と国民的和解の象徴として大きく報じられました。
以来『ゲルニカ』はスペインの歴史と記憶を伝える重要な作品として広く公開されています。
1981年
ピカソ
ゲルニカ
ニューヨーク近代美術館
スペイン