承和13年8月12日

藤原吉野

(786 - 846)

平安時代の公卿

平安時代の公卿
平安時代中期の公卿。 藤原北家の一員として朝廷で重職を務めた。
藤原吉野(786年 - 846年)は、平安時代中期の有力公卿。 桓武天皇の孫にあたり、政治家として朝廷で重職を務めた。 藤原北家の出身で、他の有力貴族と並んで権勢を振るった。 官位は右大納言にまで昇り、朝廷の政策決定にも深く関与した。 また、勅撰漢詩や文章にも造詣が深く、文化面でも活躍したと伝えられる。
846年 承和 8月12日 藤原吉野 平安時代 公卿 786年
954年

ルイ4世

(920 - 954)

西フランク王

西フランク王
10世紀の西フランク王。 若年で即位し、国内の有力貴族との権力闘争を続けた。
ルイ4世(920年頃 - 954年)は西フランク王(在位936年 - 954年)。 カロリング朝末期の君主として若くして即位し、王権強化を図った。 在位中はノルマン人の侵攻や貴族の反乱と対峙し、領土防衛に尽力した。 しかし度重なる内紛と外敵の圧力により、王権基盤は脆弱だった。 954年に戦闘で戦死し、その死は国内の混乱を一層深めた。
954年 ルイ4世 西フランク王 920年
久安元年8月22日

藤原璋子

(1101 - 1145)

鳥羽天皇の中宮

鳥羽天皇の中宮
平安時代後期の中宮(皇后)。 鳥羽天皇の中宮として院政期の政治に影響を与えた。
藤原璋子(1101年 - 1145年)は平安時代後期の皇族女性で、鳥羽天皇の中宮を務めた。 藤原北家の出身で、摂関家として強大な権威を背景に抱えていた。 院政期の複雑な権力構造の中で、宮廷の中心人物として振る舞った。 美貌と教養を兼ね備え、和歌や漢詩にも優れていたと伝えられる。 没後は賢徳院の法号で尊崇された。
1145年 久安 8月22日 藤原璋子 鳥羽天皇 中宮 1101年
1167年

マティルダ

(1102 - 1167)

神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃

神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃
神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の皇后。 イングランド王ウィリアム1世の孫娘にあたる。
マティルダ(1102年 - 1167年)はイングランド王ヘンリー1世の長女で、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃となった。 1114年に帝国へ嫁ぎ、皇后(ローマ王妃)として宮廷で重要な役割を果たした。 婚姻は政治的同盟を意図しており、神聖ローマ帝国とイングランド王室の関係強化に寄与した。 1130年に夫の死去後はフランスやイングランドへ帰還し、王位継承問題を見守った。 キリスト教文化の保護者としても知られ、修道院への寄進を行った。
1167年 マティルダ 神聖ローマ皇帝 ハインリヒ5世 1102年
徳治3年8月25日

後二条天皇

(1285 - 1308)

第94代天皇

第94代天皇
鎌倉時代末期の第94代天皇。 在位中は幕府との関係調整に苦慮した。
後二条天皇(1285年 - 1308年)は鎌倉時代末期の第94代天皇(在位1301年 - 1308年)。 幼くして即位し、院政勢力と幕府の狭間で難しい立場に置かれた。 朝廷の儀式や政策を執り行いながら、幕府との緊張緩和に努めた。 しかし体調を崩して若くして崩御し、政局に大きな影響を及ぼした。 没後は伝仁と称えられ、その治世の短さが歴史に刻まれた。
1308年 徳治 8月25日 後二条天皇 天皇 1285年
1382年

ラヨシュ1世

(1326 - 1382)

ハンガリー王

ハンガリー王
ハンガリー王として中世中央ヨーロッパを統治した強国君主。 ポーランド王も兼ねた広範な統治で知られる。
ラヨシュ1世(1326年 - 1382年)はアンジュー朝出身のハンガリー王(在位1342年 - 1382年)で、ポーランド王も兼ねた。 1351年には人民法典を発布し、封建社会の制度を整備した。 軍事面ではオスマン帝国やボヘミア王国との戦いを指揮し、その武威を示した。 宮廷には芸術家や学者を集め、文化振興にも力を入れた。 その治世は「大王」の名で後世に語り継がれている。
1382年 ラヨシュ1世 ハンガリー王 1326年
応永25年8月10日

斯波義重

(1371 - 1418)

室町時代の守護大名

室町時代の守護大名
室町時代の守護大名。 美濃国を拠点に勢力を誇った。
斯波義重(1371年 - 1418年)は室町時代の守護大名で、美濃国(現在の岐阜県)を中心に領地を治めた。 地侍や国人との協力関係を構築し、領内の治安維持に努めた。 また、城郭整備や地方行政にも着手し、治世の安定化を図った。 将来的な戦乱に備えて軍備を整え、戦国時代前夜の備えを強化した。 没後、斯波氏の勢力は後継者に引き継がれ、長く続いた。
1418年 応永 8月10日 斯波義重 室町時代 守護大名 1371年
1419年

ジャン1世

(1371 - 1419)

ブルゴーニュ公

ブルゴーニュ公
フランス内戦期のブルゴーニュ公。 権謀術数を駆使して勢力を拡大した。
ジャン1世(1371年 - 1419年)はブルゴーニュ公(在位1404年 - 1419年)で、フランス内戦(百年戦争)期に権勢を振るった。 息子シャルルを含む摂政としてフランス王シャルル6世の政治を掌握した。 1407年のアルトワ伯ルイ暗殺事件など政敵排除の手腕は冷酷とも評された。 1419年に暗殺され、その死はブルゴーニュ派とオルレアン派の対立を深刻化させた。 彼の死後、ブルゴーニュ公国はさらなる動乱期へ突入した。
1419年 ジャン1世 ブルゴーニュ公 1371年
1482年

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ

(1422 - 1482)

コンドッティエーレの隊長、ウルビーノ君主

コンドッティエーレの隊長 ウルビーノ君主
ルネサンス期の傭兵隊長(コンドッティエーレ)兼ウルビーノ公。 文化と軍事両面で著名。
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(1422年 - 1482年)はルネサンス期の傭兵隊長(コンドッティエーレ)として名高い。 1450年にウルビーノ公に任じられ、領国の統治と文化振興に力を注いだ。 軍事面では類稀な戦術眼を発揮し、イタリア戦争で勝利を収めた。 その宮廷には著名な学者や芸術家が集い、芸術の黄金時代を築いた。 フェデリーコ自身も数学や美術に造詣が深く、知識人君主として知られる。
1482年 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ コンドッティエーレ ウルビーノ 1422年
1547年

ピエール・ルイージ・ファルネーゼ

(1503 - 1547)

パルマ公

パルマ公
ローマ教皇の庶子で初代パルマ公。 領国の建設と軍事に尽力した。
ピエール・ルイージ・ファルネーゼ(1503年 - 1547年)はローマ教皇パウルス3世の庶長子。 1539年に初代パルマ公に叙せられ、領国の統治にあたった。 要塞都市の建設や行政改革を推進し、領国の安定化を図った。 教皇庁内で政治的影響力を保持し、外交交渉にも関与した。 また軍事指導者としてパパ軍団を率い、中部イタリアの防衛を担った。
1547年 ピエール・ルイージ・ファルネーゼ パルマ公 1503年
天正元年8月14日

斎藤龍興

(1548 - 1573)

美濃国の戦国大名

美濃国の戦国大名
戦国時代の美濃国を治めた若き武将。織田信長との戦いで家督を失った。
1548年、美濃国の斎藤氏に生まれる。 1561年に家督を継ぎ、3代目当主となる。 1567年の織田信長の美濃侵攻で長良川の戦いに敗北し、領国を失う。 以後、各地を転々としたのち出家し、1573年に没した。 短い生涯ながら戦国時代の激動を体現した武将である。
1573年 天正 8月14日 斎藤龍興 美濃国 戦国大名 1548年
1607年

ルッツァスコ・ルッツァスキ

(1545 - 1607)

作曲家

作曲家
ルネサンス期イタリアの作曲家。エステ家宮廷でマドリガーレを多く手掛けた。
1545年頃、イタリアで生まれる。 フェラーラのエステ家宮廷に仕え、歌唱技術を駆使したマドリガーレを作曲。 繊細なテクスチュアと大胆な和声進行が特徴とされる。 宮廷の音楽革新に貢献し、後世の室内声楽作品に影響を与えた。 1607年に没し、イタリア・ルネサンス音楽の重要人物として評価される。
1607年 ルッツァスコ・ルッツァスキ 作曲家 1545年