イエス・キリストの母※伝承による日付、修正ユリウス暦採用教会のみ
イエス・キリストの母※伝承による日付
修正ユリウス暦採用教会のみ
イエス・キリストの母として知られ、キリスト教において最も崇敬される存在の一人です。
伝承によると紀元前30年頃に生まれ、ナザレで育ったとされる。ガブリエルの祝詞でイエスを身ごもったとされ、キリスト教の根幹をなす。カトリックや正教会では無原罪の御宿りなど独自の教義が発展した。ヨーロッパからラテンアメリカにかけて広く信仰され、多くの聖母マリア像が制作された。今日でも世界中の信者から祈りの対象とされる。
聖母マリア
イエス・キリスト
司教
司教
「北欧の使徒」として知られ、デンマークやスウェーデンにキリスト教を伝えた宣教師司教です。
801年頃に生まれ、イングランド出身のベネディクト会修道士として修行した。826年に皇帝ルートヴィヒ賢公の命でデンマークへ派遣され、キリスト教の布教を開始した。ハンブルクに教会を設立し、北欧各地に影響を与えた。831年にハンブルク=ブレーメン司教座が創設され、初代司教に任命された。後にスウェーデンにも布教範囲を拡大し、多くの改宗者を得た。865年に没するまで尽力し、北欧キリスト教化の基盤を築いた。
801年
アンスガル
英語版
司教
865年
第10代イマーム
第10代イマーム
シーア派の第10代イマームとして信徒の指導を担った宗教指導者です。
828年にイラクのカルバラーで誕生したとされる。シーア派イスラムにおいて第10代イマームとして指導的立場にあった。クルアーンやイスナアーシャリーヤ派の伝統に従った教えを広め、信徒の信仰を統一した。政治的混乱の時代にあっても、宗教的権威を保ち続けた。868年に暗殺されたと伝えられる。遺された言行録は後世のシーア派神学に影響を与えた。
828年
アリー・ハーディー
イマーム
868年
司祭、宣教師
司祭
宣教師
イタリア・シエナ出身のフランシスコ会司祭で、熱烈な説教と宣教活動で知られた宗教家です。
1380年にシエナで生まれ、フランシスコ会に入会して司祭となった。イタリア各地で改革運動を唱え、贅沢の排除と貧者への施しを強調した。熱烈な説教は大衆に感銘を与え、信仰回復のきっかけとなった。伝道のために広大な領域を巡り、多くの教会や修道院の再建に尽力した。教皇から親書を受けるなど教会内でも高い評価を得た。1444年に没後、1630年に列聖され、シエナの守護聖人となった。
1380年
ベルナルディーノ・ダ・シエナ
英語版
イタリア語版
司祭
宣教師
1444年
神学者
神学者
16世紀のプロテスタント神学者。聖書注解を通じて宗教改革に貢献した。
1497年に生まれ、16世紀のプロテスタント神学者として活動した。ストラスブールやギーセンで聖書学を教え、ギリシャ語やヘブライ語の原典に基づく詳細な注解を執筆した。彼の著作は改革派神学の発展に大きく貢献し、ヨーロッパ各地の教会や大学で広く読まれた。メランヒトンやカルヴァンとも交流し、その神学的立場は中庸的であった。1563年に逝去し、その業績はその後も高く評価され続けている。
1497年
ヴォルフガング・マスキュラス
Wolfgang Musculus
1563年
イエズス会を創設した7人のうちの1人
イエズス会を創設した7人のうちの1人
イエズス会創設メンバーの一人。スペイン出身の神学者・伝道者。
1515年にスペインで生まれ、パリ大学で神学を学んだ後、イグナティウス・デ・ロヨラらとともにイエズス会を結成。教皇パウルス3世の承認を得て、カトリック改革やヨーロッパ各地での伝道活動に尽力した。著作には神学論文や聖書注解があり、その学識は当時高く評価された。後年はドイツやイギリスでも布教を行い、1585年に亡くなるまでイエズス会の発展に寄与した。
1515年
アルフォンソ・サルメロン
イエズス会
1585年
カトリック教会聖アウグスチノ修道会の修道女
カトリック教会聖アウグスチノ修道会の修道女
カトリック教会アウグスチノ修道会の修道女で、神秘家として知られる。
1774年にドイツで生まれる。
若くして修道生活に入り、アウグスチノ修道会に所属。
神秘的な幻視とスティグマータで多くの信徒の関心を集めた。
彼女の幻視は聖書の物語を題材とし、多数の書簡や伝記に記録された。
2004年にヨハネ・パウロ2世によって列福され、その生涯は現在も研究対象となっている。
1774年
アンナ・カタリナ・エンメリック
カトリック教会
聖アウグスチノ修道会
修道女
1824年
カトリック司祭
カトリック司祭
フランスのカトリック司祭で、古代メソアメリカ文明研究の先駆者。
1814年にフランスで生まれ、司祭としての活動と研究を並行。
メキシコやグアテマラで古代マヤ文明の碑文や遺跡を調査。
多くの写本を収集・翻刻し、中南米の歴史をヨーロッパに紹介した。
著書『ユカタンの卜占書』などで考古学と民族学に大きな足跡を残す。
1874年に没し、南北アメリカ研究の礎を築いた。
1814年
シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール
カトリック
司祭
1874年
コンスタンディヌーポリ総主教
コンスタンディヌーポリ総主教
コンスタンティノープル総主教(第269代)として東方正教会を率いた。
エキュメニカルな対話推進者として知られる。
ディミトリオス1世(Dimitrios I)は1914年9月8日生まれのギリシャ正教会指導者。
1972年から1991年までコンスタンティノープル総主教を務め、東方正教会の精神的中心として活動。
冷戦下においても宗教間・国家間の対話を推進し、教会の国際的地位向上に尽力。
文化遺産保護や教育事業にも関与し、教区外での社会貢献活動を展開した。
1991年に地位を退き、同年死去した。
1914年
ディミトリオス1世
コンスタンディヌーポリ総主教
1991年