B.C.30年頃年

聖母マリア

イエス・キリストの母※伝承による日付、修正ユリウス暦採用教会のみ

イエス・キリストの母※伝承による日付 修正ユリウス暦採用教会のみ
イエス・キリストの母として知られ、キリスト教において最も崇敬される存在の一人です。
伝承によると紀元前30年頃に生まれ、ナザレで育ったとされる。ガブリエルの祝詞でイエスを身ごもったとされ、キリスト教の根幹をなす。カトリックや正教会では無原罪の御宿りなど独自の教義が発展した。ヨーロッパからラテンアメリカにかけて広く信仰され、多くの聖母マリア像が制作された。今日でも世界中の信者から祈りの対象とされる。
聖母マリア イエス・キリスト
垂拱元年8月5日

玄宗

(685 - 762)

第6代唐皇帝

第6代唐皇帝
唐朝の第6代皇帝。文化と経済の黄金時代「開元の治」を実現した。
685年に生まれ、701年に即位して長期の治世を開始した。政治改革や財政再建に取り組み、安定した国家運営を実現した。詩人や画家を保護し、文化事業を奨励することで盛唐文化を開花させた。特に「開元の治」と呼ばれる治世は後世に理想として語り継がれる。安史の乱前の平和と繁栄は玄宗の治世の象徴とされる。晩年は寵愛した楊貴妃との関係が政治的混乱を招き、758年に内乱が勃発した。762年に退位し、その後まもなく没した。
685年 垂拱 8月5日 玄宗 皇帝 762年
801年

アンスガル

(801 - 865)

司教

司教
「北欧の使徒」として知られ、デンマークやスウェーデンにキリスト教を伝えた宣教師司教です。
801年頃に生まれ、イングランド出身のベネディクト会修道士として修行した。826年に皇帝ルートヴィヒ賢公の命でデンマークへ派遣され、キリスト教の布教を開始した。ハンブルクに教会を設立し、北欧各地に影響を与えた。831年にハンブルク=ブレーメン司教座が創設され、初代司教に任命された。後にスウェーデンにも布教範囲を拡大し、多くの改宗者を得た。865年に没するまで尽力し、北欧キリスト教化の基盤を築いた。
801年 アンスガル 英語版 司教 865年
828年

アリー・ハーディー

(828 - 868)

第10代イマーム

第10代イマーム
シーア派の第10代イマームとして信徒の指導を担った宗教指導者です。
828年にイラクのカルバラーで誕生したとされる。シーア派イスラムにおいて第10代イマームとして指導的立場にあった。クルアーンやイスナアーシャリーヤ派の伝統に従った教えを広め、信徒の信仰を統一した。政治的混乱の時代にあっても、宗教的権威を保ち続けた。868年に暗殺されたと伝えられる。遺された言行録は後世のシーア派神学に影響を与えた。
828年 アリー・ハーディー イマーム 868年
1157年

リチャード1世(獅子心王)

(1157 - 1199)

イングランド王

イングランド王
中世イングランド王国を率いた勇猛な王として知られる「獅子心王」です。
1157年にプランタジネット朝の国王ヘンリー2世の子として生まれた。1189年にイングランド王に即位し、十字軍遠征を指揮した。英仏間の領土争いにも積極的に関与し、優れた軍事指導力を発揮した。捕虜となった経験も持ち、その交渉術は高く評価される。国内統治よりも戦争外交に重きを置き、王国財政に影響を及ぼした。1199年にフランス遠征中に戦傷が原因で亡くなった。後世に伝説的な英雄王として語り継がれる。
1157年 リチャード1世 イングランド王 1199年
1209年

サンシュ2世

(1209 - 1248)

ポルトガル王

ポルトガル王
13世紀のポルトガル王として国家再建と十字軍遠征を推進した君主です。
1209年にポルトガル王子として生まれ、1248年に王位を継承した。内政では司法制度の整備や財政改革を進め、国家基盤を強化した。レコンキスタの過程でムーア人領土奪還に参加し、軍事的成果を上げた。十字軍遠征にも積極的で、キリスト教世界への貢献を重視した。宮廷文化の発展にも力を注ぎ、宗教芸術を保護した。1248年に短い治世を終えて没した。
1209年 サンシュ2世 ポルトガル王 1248年
1271年

カルロ・マルテッロ・ダンジョ

(1271 - 1295)

ハンガリー王位請求者

ハンガリー王位請求者
ハンガリー王位を請求した貴族で、中世ヨーロッパの王位継承争いに名を馳せました。
1271年にナポリ出身のアンジュー家の一員として生まれた。ハンガリー王アンドラーシュ3世の死後、王位継承権を主張して支持を集めた。国外から軍事支援を得て度々侵攻を試みたが、最終的には王位獲得に失敗した。政略結婚や同盟関係を駆使し、政治的影響力を維持した。1295年に世を去るまで、王位請求者としての地位を捨てなかった。ヨーロッパの複雑な王権史における重要な人物とされる。
1271年 カルロ・マルテッロ・ダンジョ ハンガリー 王位請求者 1295年
1380年

ベルナルディーノ・ダ・シエナ

(1380 - 1444)

司祭、宣教師

司祭 宣教師
イタリア・シエナ出身のフランシスコ会司祭で、熱烈な説教と宣教活動で知られた宗教家です。
1380年にシエナで生まれ、フランシスコ会に入会して司祭となった。イタリア各地で改革運動を唱え、贅沢の排除と貧者への施しを強調した。熱烈な説教は大衆に感銘を与え、信仰回復のきっかけとなった。伝道のために広大な領域を巡り、多くの教会や修道院の再建に尽力した。教皇から親書を受けるなど教会内でも高い評価を得た。1444年に没後、1630年に列聖され、シエナの守護聖人となった。
1380年 ベルナルディーノ・ダ・シエナ 英語版 イタリア語版 司祭 宣教師 1444年
1442年

ジョン・ド・ヴィアー

(1442 - 1513)

第13代オックスフォード伯爵

第13代オックスフォード伯爵
イングランドの第13代オックスフォード伯爵として政治・軍事で活躍した貴族です。
1442年に生まれ、若くして伯爵の称号を継承した。ばら戦争ではランカスター派に与して数度にわたり軍指揮を執った。海軍や騎士団の指導も担い、忠誠心と戦術眼で知られた。エリザベス王朝初期には王廷で重用され、外交任務も果たした。国内統治と軍事活動を両立させ、地域社会の安定に寄与した。1513年に没し、その生涯は貴族政治の典型とされる。
1442年 ジョン・ド・ヴィアー オックスフォード伯爵 1513年
1474年

ルドヴィーコ・アリオスト

(1474 - 1533)

詩人

詩人
イタリア・ルネサンス期の詩人で、叙事詩『狂えるオルランド』で知られる文学者です。
1474年にフェラーラ近郊で生まれ、パドヴァ大学で学んだ。法務官として働きながら詩作に励み、イタリア宮廷で活躍した。代表作『狂えるオルランド』は叙事詩として高く評価され、後世に大きな影響を与えた。風刺や人間心理の描写に優れ、同時代の作家からも賞賛を受けた。文学以外にも版画の収集や文芸論の執筆に関わる多才な人物だった。1533年に没すると、彼を記念するモニュメントが各地に建立された。
1474年 ルドヴィーコ・アリオスト 詩人 1533年
1497年

ヴォルフガング・マスキュラス(Wolfgang Musculus)

(1497 - 1563)

神学者

神学者
16世紀のプロテスタント神学者。聖書注解を通じて宗教改革に貢献した。
1497年に生まれ、16世紀のプロテスタント神学者として活動した。ストラスブールやギーセンで聖書学を教え、ギリシャ語やヘブライ語の原典に基づく詳細な注解を執筆した。彼の著作は改革派神学の発展に大きく貢献し、ヨーロッパ各地の教会や大学で広く読まれた。メランヒトンやカルヴァンとも交流し、その神学的立場は中庸的であった。1563年に逝去し、その業績はその後も高く評価され続けている。
1497年 ヴォルフガング・マスキュラス Wolfgang Musculus 1563年
文亀3年8月18日

島津勝久

(1503 - 1573)

戦国武将

戦国武将
戦国時代の薩摩国の武将。島津氏当主として九州南部で勢力を拡大した。
1503年に薩摩国で生まれる。1526年に島津氏の当主として家督を継承し、領国支配の基盤を確立した。対立する国人衆や隣国大名との戦いを繰り返し、薩摩・大隅の地域統一を進めた。領内の統治や産業振興にも注力し、島津氏の安定した支配体制を築いた。1573年に逝去し、その後の島津氏の飛躍的発展につながる礎を築いた。
1503年 文亀 8月18日 島津勝久 戦国武将 1573年