ユリウス暦8月26日
サイマー運河が開通。
1856年9月7日(ユリウス暦8月26日)、フィンランドのサイマー湖とバルト海を結ぶサイマー運河が開通し、水路交通が飛躍的に発展した。
サイマー運河(Saimaa Canal)はフィンランド南東部のサイマー湖とヴィボルグ湾を結ぶ全長約43kmの運河です。建設は1845年に開始され、ロシア帝国の支援を受けて進められました。1856年9月7日(ユリウス暦8月26日)に正式に開通し、木材や貨物の輸送効率が大幅に向上しました。開通によってサイマー湖地域の林業資源がバルト海経由で欧州各地へ輸出され、地域経済の発展に寄与しました。現在も観光航路として利用されています。
1856年
ユリウス暦
8月26日
サイマー運河
1907年
当時最大の旅客船であったルシタニア号が就航。
1907年9月7日、当時世界最大級の客船ルシタニア号が英国で進水し、定期航路に就航した。
ルシタニア号は英国キュナード社が建造した豪華客船で、全長約236m、排水量3万トンを超えました。1907年9月7日にリバプールで進水し、同年南北大西洋航路で定期運航を開始しました。第一次世界大戦前には多くの乗客に利用されましたが、1915年にドイツ潜水艦の攻撃で沈没し、多大な犠牲者を出しました。
1907年
旅客船
ルシタニア号
1977年
アメリカとパナマが、1999年末にパナマ運河と運河地帯をアメリカからパナマに返還する条約(新パナマ運河条約)に調印。
1977年、アメリカとパナマがパナマ運河の段階的返還を定めた新パナマ運河条約に調印。
1977年9月7日、アメリカとパナマ両国は新パナマ運河条約に調印しました。
この条約は旧1903年条約を廃止し、運河と運河地帯を1999年末までにパナマに返還する内容です。
返還後の運河管理はパナマ運河庁が担い、運営収益もパナマに帰属。
当時のカーター大統領とトリホス・ヒメネス大統領が署名し、
米州における主権問題の象徴的転換点となりました。
返還は2000年末に無事実施され、パナマの経済と国際的地位に大きく寄与しました。
1977年
パナマ
1999年
パナマ運河
運河地帯
新パナマ運河条約
1988年
オリエント・エクスプレス '88が始発駅のフランス・リヨン駅を出発。
1988年9月7日、豪華寝台列車オリエント・エクスプレス '88号がフランス・リヨン駅を出発しました。
オリエント・エクスプレス '88号は歴史ある豪華寝台列車オリエント・エクスプレスの特別運行版です。1988年夏に企画されたこの列車はパリとイスタンブールを結ぶルートで運行され、伝統的な車両内装やサービスを提供しました。9月7日のリヨン駅発車はシーズン後半のハイライトとなり、多くの旅行愛好家を魅了しました。列車は途中で美しいフランス南部の景観を楽しむことができ、当時の豪華列車文化を象徴しています。現在も記憶に残る名列車として、多くの鉄道ファンに語り継がれています。
1988年
オリエント・エクスプレス '88
フランス
リヨン駅
2009年
サモアで、自動車の通行区分が右側通行から左側通行に変更。
2009年9月7日、サモアで自動車の通行方式が右側通行から左側通行に切り替えられました。
サモア政府は自国民のほとんどがニュージーランド製車両に慣れていることを理由に、2009年9月7日に通行方向を右側から左側に切り替えました。切り替えは未明に行われ、主要道路には新しい路面標示や標識が設置されました。一般市民には事前に広報が行われ、多くのドライバーが混乱を避けるために注意深く運転しました。切り替え当日は軽微な交通混乱が見られたものの、大きな事故は発生しませんでした。この政策変更はサモアの歴史的な交通制度改革として注目を集めました。
2009年
サモア
自動車
通行区分