1492年

クリストファー・コロンブスが、大西洋横断前の最後の陸地となるカナリア諸島・ラ・ゴメラ島を出港。

1492年、コロンブスの艦隊が大西洋横断に向けて最後の寄港地ラ・ゴメラ島を出発しました。
コロンブスはスペイン女王イザベル1世と国王フェルナンド2世の支援を受け、インド航路を目指して西方へ航海を企図した。 出港前の最終補給地として選ばれたカナリア諸島のラ・ゴメラ島では食糧や水、航海用具の整備が行われた。 1492年9月6日、3隻の船団(サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号)は平穏な大西洋へ漕ぎ出した。 この航海は未知の世界への冒険であり、翌月にはアメリカ大陸との出会いをもたらす歴史的瞬間となった。 コロンブス遠征は後の欧州による新大陸開拓の契機と位置づけられている。
1492年 クリストファー・コロンブス 大西洋 カナリア諸島 ラ・ゴメラ島
1522年

フェルディナンド・マゼラン一行の5隻の船のうち唯一生き残ったビクトリア号がスペインのサンルカール・デ・バラメーダに帰還。人類史上初の世界一周を達成。

1522年、マゼラン探検隊のビクトリア号が生還し、人類史上初の世界周航を成し遂げました。
1519年に西回りで世界を目指したマゼラン艦隊は、過酷な航海と食糧難、戦闘により船団の大半を失った。 1521年にマゼラン自身はフィリピンで戦死し、残された数隻で帰還を目指すこととなる。 1522年9月6日、艦隊唯一の生存船ビクトリア号がサンルカール・デ・バラメーダに戻り、初の世界一周を完了した。 指揮を執ったフアン・セバスティアン・エルカーノの偉業は地球球体説を決定づけ、世界地図の作成に大きく貢献した。 この探検は近世大航海時代の象徴的出来事となり、ヨーロッパの大洋進出を加速させた。
1522年 フェルディナンド・マゼラン ビクトリア号 スペイン 世界一周
1995年

坂本堤弁護士一家殺害事件: 坂本堤一家の遺体捜索を開始。同日中に夫妻、10日に長男の遺体を発見。

坂本堤弁護士一家殺害事件の遺体捜索が本格化した日。
1995年9月6日、行方不明となっていた坂本堤弁護士一家の遺体捜索が本格的に開始され、同日中に夫妻の遺体が発見されました。その後、9月10日には長男の遺体も見つかり、この事件は被害者の司法関係者という立場から大きな衝撃を呼びました。捜査は長期間にわたり進められ、死因や犯行動機を巡る議論が続き、日本社会に深い爪痕を残した未解決事件として知られています。
坂本堤弁護士一家殺害事件 坂本堤