寛平5年7月19日

在原行平

(818 - 893)

歌人、公卿

歌人 公卿
平安時代中期の公卿で、優れた和歌を詠んだ歌人。
在原行平(818-893)は平安時代中期の公卿、歌人です。貴族の家に生まれ、宮廷で詠歌の才能を発揮して「古今和歌集」に多くの和歌が収録されました。「伊勢物語」にも登場し、宮廷文化の発展に寄与しました。国司として地方行政にも携わり、政務と文化の両面で活躍しました。晩年は隠棲しつつ和歌を詠み続け、その繊細な歌風は後世に大きな影響を与えました。
893年 寛平 7月19日 在原行平 歌人 公卿 818年
天暦2年8月15日

朱雀天皇

(923 - 952)

第61代天皇

第61代天皇
平安時代の第61代天皇として、幼少で即位し仏教の振興に努めた。
朱雀天皇(923-952)は日本の第61代天皇です。10歳で即位して内裏や神社仏閣の整備を進め、仏教文化を奨励しました。946年に退位して出家し、余生を仏門で過ごしました。父は陽成天皇、弟には村上天皇を持ち、院政を行わず静かに隠退した点が特徴です。治世期間は約16年に及び、平安京の文化的発展に寄与しました。
952年 天暦 8月15日 朱雀天皇 天皇 923年
972年

ヨハネス13世

第133代ローマ教皇

第133代ローマ教皇
10世紀のローマ教皇。神聖ローマ帝国との関係強化や教会改革に尽力。
ヨハネス13世(在位965-972)は第133代ローマ教皇です。神聖ローマ皇帝オットー1世との連携を深め、教皇領の再建や教会改革を推進しました。966年にはイタリア北部を巡歴して教会組織の整備に取り組みました。聖職者の教育や規律回復に努め、ローマ教会の権威向上に貢献しました。972年に没するまで教皇職を務め、欧州の宗教政治に影響を与えました。
972年 ヨハネス13世 ローマ教皇
建武2年8月19日

諏訪頼重

南北朝時代の武将

南北朝時代の武将
南北朝時代の信濃諏訪氏の武将。領国防衛に尽力した。
諏訪頼重(生年不詳-1335)は南北朝時代の武将で、信濃国の諏訪氏を率いた当主です。領地の防衛や城郭の整備に努め、南北両朝の抗争期にも勢力を維持しました。地理的条件を生かした戦略的布陣で知られ、近隣諸勢力との同盟構築にも関与しました。地域統治においても家臣団の結束を図り、諏訪氏繁栄の礎を築きました。詳細な史料は少ないものの、その統率力は後世に語り継がれています。
1335年 建武 8月19日 諏訪頼重 南北朝時代 武将
建武2年8月19日

諏訪時継

南北朝時代の武将

南北朝時代の武将
南北朝時代の諏訪氏の武将。頼重とともに地域防衛を支えた。
諏訪時継(生年不詳-1335)は南北朝時代に信濃国諏訪郡で勢力を誇った武将です。諏訪頼重とともに領国の防衛や城郭管理を担当し、複数勢力が抗争する混乱期に対応しました。戦略的な拠点維持に努め、地方行政にも関与したとされます。家臣団と連携し地域の安定化を図り、諏訪氏の存続に寄与しました。その活動は当時の軍記物にも散見されます。
諏訪時継
正平12年/延文2年閏7月22日

西園寺寧子

(1292 - 1357)

後伏見天皇の女御

後伏見天皇の女御
鎌倉末期から南北朝時代の女御。後伏見天皇の宮廷文化を支えた。
西園寺寧子(1292-1357)は鎌倉時代末から南北朝時代にかけて後伏見天皇の女御として仕えた公家女性です。宮廷の儀式や文化事業に深く関与し、院政期の宮廷文化を支えました。南北朝の動乱期にも宮廷に留まり、教養と品位をもって政務を支えたと伝えられています。後年は出家して法名を称し、仏教に帰依して余生を過ごしたとされます。当時の女房文学や日記資料にもその名が記され、文化的影響がうかがえます。
1357年 正平 延文 7月22日 西園寺寧子 後伏見天皇 女御 1292年
永正8年8月14日

足利義澄

(1481 - 1511)

室町幕府第11代将軍

室町幕府第11代将軍
室町幕府第11代将軍。細川政元の擁立を受けて就任し、内紛の末に退任した。
足利義澄(1481-1511)は室町幕府第11代将軍として1494年に就任しました。細川政元の擁立により権威を回復しましたが、永正の乱など内紛の影響で1508年に退任を余儀なくされました。退任後は京を離れて剃髪し、仏門に入って隠棲生活を送りました。将軍職在任中は細川氏や畠山氏との連携を図り、幕府の安定化に務めました。晩年は史書に隠退者として名を残すのみとなりました。
1511年 永正 8月14日 足利義澄 室町幕府 将軍 1481年
1559年

ガロファロ

(1481 - 1559)

画家

画家
イタリア・ルネサンス期のフェラーラ派画家。鮮やかな色彩と均整のとれた構図が特徴。
ベネヴェント・ティージ(通称ガロファロ、1481-1559)はイタリア・ルネサンス期に活躍したフェラーラ派の画家です。デステ家のパトロンを得て、宮廷向けの宗教画や肖像画を多く制作しました。ジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネの影響を受けた繊細な色彩表現が特徴です。均整のとれた構図と優雅な人物表現で知られ、後世の画家に影響を与えました。彼の作品は現在も世界各地の美術館で高く評価されています。
1559年 ガロファロ 画家 1481年
1581年

ギョーム・ポステル

(1510 - 1581)

東洋学者、文献学者、キリスト教神学者

東洋学者 文献学者 キリスト教神学者
16世紀フランスの東洋学者・文献学者。多言語に精通した博学者。
ギョーム・ポステル(1510-1581)はフランス出身の東洋学者、文献学者、キリスト教神学者です。アラビア語、ヘブライ語、ペルシア語などを自在に操り、オスマン帝国や北アフリカを実地訪問して研究を行いました。パリ大学で教鞭を執り、オリエンタリズムの先駆者として中東文化の紹介に貢献しました。同時に神秘主義やユートピア思想にも傾倒し、多くの著作を残しました。その幅広い博学ぶりはヨーロッパ学術界に大きな影響を与えました。
1581年 ギョーム・ポステル フランス語版 1510年
1585年

ルカ・カンビアーゾ

(1527 - 1585)

画家

画家
16世紀イタリアのマニエリスム画家。ジェノヴァ派を代表し、遠近法と光影表現に優れた作品を残した。
ルカ・カンビアーゾ(1527-1585)はイタリア・ジェノヴァ出身の画家で、マニエリスム期に活躍しました。大胆な遠近法と光影のコントラストを用いた独自の作風を確立し、宗教画や神話画を数多く制作しました。若くしてローマやスペイン宮廷などでも高い評価を受け、その技術はヨーロッパ各地に広まりました。後進の育成にも力を注ぎ、ジェノヴァ派の発展に大きく貢献しました。作品は現在も主要な美術館で鑑賞でき、高い評価を保っています。
1585年 ルカ・カンビアーゾ 1527年
寛永8年8月10日

本多忠政

(1575 - 1631)

姫路藩主

姫路藩主
徳川家康の重臣として知られる戦国時代末期から江戸時代初期の姫路藩主。城の整備や城下町の開発に尽力した大名です。
1575年に生まれ、本多忠政は本多忠勝の二男として武家に育ちました。関ヶ原の戦いに従軍し、戦功をあげた後、1600年に姫路藩主に任じられました。彼は姫路城の大規模な改修を行い、堅牢な天守を築いたことで知られます。また、城下町の整備や治水事業にも力を注ぎ、藩政の基礎を築きました。晩年は家臣団の統率に努め、1631年に没しました。
1631年 寛永 8月10日 本多忠政 姫路藩主 1575年
1683年

ジャン=バティスト・コルベール

(1619 - 1683)

重商主義者、フランス財務総監

重商主義者 フランス財務総監
ルイ14世に仕えたフランスの重商主義者で財務総監。国家財政の立て直しと産業振興に大きく貢献した人物。
1619年に生まれたジャン=バティスト・コルベールは、フランス王ルイ14世の財務総監として財政改革を主導しました。彼は重商主義経済政策『コルベリズム』を策定し、国家の財政基盤強化と国内産業の育成を図りました。新大陸貿易の拡大や国内の製鉄・造船業の振興に努め、徴税制度の整備や租税負担の合理化も実施しました。また、造幣局や王立製糸工場を設立するなど、インフラ整備にも寄与しました。1683年に死去するまで、フランス財政の安定と経済成長を支えた重要人物です。
1683年 ジャン=バティスト・コルベール 重商主義者 フランス 1619年