慶長元年閏7月13日
近畿地方で大地震(慶長伏見地震)が発生。伏見城の天守が大破する。
近畿地方を襲った慶長伏見地震で、伏見城の天守が大破しました。
当時の都市防災意識に影響を与えた大災害です。
1596年、慶長元年閏7月13日に近畿地方を中心に大地震が発生しました。
史料上「慶長伏見地震」と呼ばれ、伏見城の天守閣が崩壊するほどの激震となりました。
城郭や民家、寺社など広範囲に被害が及び、多数の死傷者が出たと伝えられます。
豊臣政権にとって城の損壊は軍事的・政治的に大きな痛手となりました。
復興には長期を要し、後の建築では耐震性の強化が検討される契機となりました。
1596年
慶長
7月13日
近畿地方
慶長伏見地震
伏見城
天守
1666年
ロンドン大火が鎮火。
1666年のロンドン大火が鎮火し、市街の大半を焼失した惨事が収束しました。
再建への長い道のりが始まった日です。
1666年9月2日に発生したロンドン大火は、乾燥と風に煽られ数日間にわたり市街を焼き尽くしました。
4日後の9月5日、ついに火災は鎮火し、約13,000戸が焼失、数千人が家を失いました。
大火の後、市街再建には石造・煉瓦造の採用や道路拡幅など防火対策が導入されました。
この経験は都市計画や消防制度の発展を促し、近代都市の基礎づくりに影響を与えました。
ロンドンはこの教訓を生かし、復興を遂げてヨーロッパ有数の都市へと再生しました。
1666年
ロンドン大火
1887年
800名が観劇中の英国エクセターの王立劇場の舞台上で火災が発生。死者は約150名と言われており、19世紀の英国史上最悪の火災とされる。
1887年9月5日、英国エクセターの王立劇場で発生した火災で約150名が犠牲となりました。19世紀の英国史上最悪の劇場火災とされています。
1887年9月5日、観客約800名が入場していた英国エクセター王立劇場の舞台上で火災が発生しました。
火災の原因は舞台装置の発火とされ、劇場内に濃煙が広がり避難が混乱しました。
約150名が死亡し、多くは煙による窒息や熱傷が原因と考えられています。
この惨事は19世紀の英国史上最悪の劇場火災とされ、その後の劇場安全基準の見直しにつながりました。
事件を契機に英国では防火対策や避難誘導の強化が進められました。
1887年
エクセター
1929年
富山県新湊町で大火。住宅500余戸が全焼。
1929年9月5日、富山県新湊町で発生した大規模火災で約500戸以上の家屋が焼失しました。
1929年9月5日、富山県新湊町で大規模な町火災が発生し、約500戸以上の住居が焼失しました。
火災は夕刻に発生し、当時の木造家屋密集地帯を瞬く間に飲み込みました。
住民は避難に追われ、多数の財産と生活基盤を失いました。
地方自治体や住民による復興支援が迅速に行われ、町の再建が進められました。
この火災を契機に防火地域の指定や消防設備の強化が図られました。
1929年
富山県
新湊町
1966年
第2宮古島台風により沖縄・宮古島で日本の最大瞬間風速記録・85.3m/sを観測。
第2宮古島台風で宮古島に日本史上最大の瞬間風速85.3m/sを観測しました。
1966年9月5日、台風第2号(宮古島台風)が沖縄県宮古島を直撃し、気象台で最大瞬間風速85.3m/sを観測しました。この記録は日本国内の観測史上最高値として現在も破られていません。猛烈な風と高潮により建物の倒壊や農作物の壊滅的被害が発生し、多くの住民が避難所に移動しました。気象庁はこの台風を機に測器の性能向上や早期警報システムの整備を進め、台風対策の強化を図るきっかけとしました。
1966年
第2宮古島台風
宮古島
1971年
東京都新川の水門が故障して一時的に開放状態となる。折からの高潮、満潮が重なり船堀など新川一帯の約3000戸が床下浸水。
東京・新川の水門故障により高潮と満潮が重なり、約3000戸が床下浸水した。
1971年9月5日、東京都中央区新川の水門が故障して開放状態となりました。同日に発生した高潮と満潮が重なり、船堀地区を含む新川一帯の約3000戸が床下まで浸水しました。住民は突発的な水害に驚き、一時避難を余儀なくされました。都は応急措置として仮設の排水設備を設置し、復旧作業を急ぎました。事件を受けて、水門の点検体制強化や防潮対策の見直しが行われました。
新川
水門
高潮
満潮
船堀
1986年
パンアメリカン航空73便ハイジャック事件。
パンアメリカン航空73便がカラチ空港でハイジャックされ、乗員乗客が人質となりました。
1986年9月5日、パンアメリカン航空73便がインド・ムンバイ発フランクフルト行きの途中、パキスタンのカラチ空港で武装グループにハイジャックされました。犯行組織は運賃支払いの要求などを行い、乗員乗客約380名が長時間にわたり人質とされました。事件は9月6日にパキスタン特殊部隊の突入で終結しましたが、20名以上の死傷者を出す結果となりました。この事件は商業航空機ハイジャック事件としては被害が大きく、国際的な航空保安体制の見直しを促す契機となりました。
パンアメリカン航空73便ハイジャック事件
2004年
紀伊半島南東沖地震が発生。
紀伊半島南東沖でマグニチュード7.4の地震が発生し、津波や建物被害が発生しました。
2004年9月5日午前3時34分ごろ、和歌山県沖の紀伊半島南東沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生しました。紀伊半島沿岸を中心に最大2.5m前後の津波が観測され、漁港や沿岸部で浸水被害が報告されました。倒壊家屋や土砂崩れも各地で発生し、死者29人、負傷者約300人以上の被害が確認されました。気象庁は津波警報を発令し、住民は避難行動をとりました。震災後には防災対策の見直しが進められ、地域防災計画の強化につながりました。
2004年
紀伊半島南東沖地震
2005年
マンダラ航空091便墜落事故が起こる。
2005年9月5日、インドネシアのマンダラ航空091便がメダン近郊で墜落し、多数の死傷者を出した衝撃的な航空事故です。
2005年9月5日、マンダラ航空の国内線091便はジャカルタ発メダン行きとして運航していました。
離陸直後に左エンジンから出火し、燃料系統のトラブルで推力を失った機体は高度を維持できなくなります。
操縦士は緊急降下を試みましたが、コントロールを失ったまま市街地に墜落。
乗客乗員149名のうち100名以上が命を落とし、地上でも多数の負傷者が発生しました。
事故調査報告書では整備不良や操縦判断の問題が指摘され、安全規制の強化が図られました。
2005年
マンダラ航空091便墜落事故
2019年
京浜急行本線神奈川新町第1踏切衝突事故: 京浜急行電鉄神奈川新町第1踏切で 踏切で立ち往生したトラックと青砥発三崎口行き8両編成の下り快特列車が衝突する事故が発生。1両目から3両目が脱線して大きく傾斜した。乗客75名と運転士および車掌が負傷、トラックの運転手は死亡した。
京浜急行神奈川新町第1踏切でトラックと快速特急列車が衝突し、脱線事故が発生しました。
2019年9月5日、朝のラッシュ時に8両編成の下り快特列車が神奈川新町第1踏切を通過中にトラックと衝突。
衝撃で1〜3両目が脱線し大きく傾斜、乗客75名と運転士、車掌が負傷。
踏切に立ち往生したトラックの運転手は即死し、沿線は一時パニックに。
運輸安全委員会は信号機の故障や運転手の判断ミスを調査。
復旧作業と調査の影響で京急本線は長時間運休となりました。
京浜急行本線神奈川新町第1踏切衝突事故
京浜急行電鉄
神奈川新町
青砥
三崎口
快特