1666年
前日よりのロンドン大火で王立取引所(英語版)が全焼。
ロンドン大火の延焼で王立取引所が全焼しました。
1666年9月3日、ロンドン大火が続く中、シティ中心部にあった王立取引所(Royal Exchange)が焼失した。
交易と金融の中心地として1565年に創設された建物は、当時の経済活動の象徴であった。
火災は一夜にして交易所の設備を消失させ、市場機能に大きな打撃を与えた。
その後、建物は再建され、クリストファー・レンらが設計に携わるなど復興が図られた。
大火はロンドンの都市計画見直しと防火対策強化の契機ともなった。
ロンドン大火
王立取引所
英語版
1878年
プリンセス・アリスがテムズ川で貨物船バイウェル・キャッスルと衝突したのち沈没。
1878年9月3日、テムズ川で旅客船プリンセス・アリスが貨物船と衝突し沈没しました。
プリンセス・アリス号はロンドン近郊で旅客を運航していた蒸気船です。
1878年9月3日夜、同船は貨物船バイウェル・キャッスル号と衝突し船体が大破しました。
船は数分で沈没し、多くの乗客が川に投じられました。
救助活動は難航し、死者・行方不明者は1000人以上に上ったと伝えられています。
この事故は当時の船舶安全規則の不備を浮き彫りにし、規制強化の契機となりました。
現在も英国史上最大級の水難事故の一つとして記憶されています。
1878年
プリンセス・アリス
テムズ川
1925年
飛行船のシェナンドーがオハイオ州で暴風雨に遭い2つに裂けて墜落。
飛行船シェナンドー号がオハイオ州上空で暴風雨に遭い、二つに裂けて墜落した。
1925年9月3日、米国オハイオ州上空を飛行していた飛行船シェナンドー号が暴風雨に巻き込まれた。
激しい風圧により機体は二つに裂け、乗員は緊急脱出を余儀なくされた。
地上への墜落地点には大きな被害痕が残り、飛行船の空中事故の危険性が改めて示された。
当時、飛行船は長距離輸送や観光飛行の手段として注目されていたが、安全性への懸念が高まった。
事故調査では設計上の脆弱性や気象予測の限界が指摘され、後の飛行船開発に影響を与えた。
1925年
飛行船
シェナンドー
オハイオ州
1950年
ジェーン台風が上陸し、近畿地方を中心に大被害をもたらす。
1950年のジェーン台風が近畿地方を直撃し、広範囲で大規模な被害を引き起こしました。
ジェーン台風は強い勢力を維持したまま近畿地方に上陸し、激しい暴風雨をもたらしました。
河川の氾濫や土砂災害が各地で発生し、多数の家屋や農地が被害を受けました。
交通網も寸断され、復旧には長い時間を要しました。
当時の防災体制では対応が追いつかず、住民の避難や救助活動が大きな課題となりました。
この台風被害を契機に、気象情報の迅速な提供や防災計画の見直しが進められました。
1950年
ジェーン台風
近畿地方
1950年
信濃川発電所第7号トンネル建設現場で落盤。作業員45人死亡。
信濃川発電所トンネル工事で落盤事故が発生し、多くの作業員が命を落としました。
信濃川発電所の第7号トンネル建設現場で大規模な落盤事故が発生し、作業員45人が犠牲となりました。
この事故は地質調査の不十分さや施工方法の問題が背景にあったとされます。
現場では即時の救助活動が行われましたが、惨事の大きさから多くの命を救えませんでした。
事故後、トンネル工事における安全基準や監督体制の強化が急務とされました。
この出来事は高度経済成長期のインフラ整備に伴う労働安全の課題を浮き彫りにしました。
信濃川発電所
1952年
広島県呉市警固屋通で解体中の魚雷が爆発。死者7人、重軽傷者5人、家屋全半壊23戸。魚雷は密引揚げされたものであった。
呉市で解体作業中の魚雷が爆発し、周辺住民や作業員に大きな被害をもたらしました。
広島県呉市の警固屋通で、密引き揚げされた魚雷を解体中に原因不明の爆発が発生しました。
この事故で作業員や近隣住民合わせて7人が即死し、5人が重軽傷を負いました。
爆発の衝撃で周囲の家屋23戸が全半壊し、地域住民の生活が一変しました。
戦後の漂着・密引きされた機雷や魚雷の処理作業は危険を伴い、安全管理の課題を浮き彫りにしました。
この事故を受けて、海軍や自治体による機雷処理方法の見直しが進められました。
1952年
広島県
呉市
魚雷
1962年
鹿児島県奄美大島で海上自衛隊の哨戒機が住宅地に墜落。乗員12人、住民1人が死亡、家屋31棟が全焼。輸血用血液を輸送中の事故。
奄美大島で哨戒機が住宅地に墜落し、乗員や住民に多数の死傷者を出しました。
海上自衛隊の哨戒機が奄美大島上空で何らかの原因により制御を失い、住宅地に墜落しました。
輸血用の血液を輸送中だったこともあり、緊急性を伴う任務中の事故とされます。
墜落により乗員12人と住民1人が死亡し、31棟の家屋が全焼しました。
事故調査では機体トラブルや気象条件などが検証され、再発防止策が検討されました。
この惨事は離島地域での航空機運用と住民保護のあり方を問い直す契機となりました。
1962年
鹿児島県
奄美大島
海上自衛隊
哨戒機
輸血
1978年
漁船2隻が歯舞諸島沖合でシケのため沈没。死者・行方不明者17人、7人救助。
1978年9月3日、歯舞諸島沖合で荒天により漁船2隻が遭難し、17人が死亡または行方不明となりました。
1978年9月3日、歯舞諸島沖合で漁船2隻が秋の荒天に巻き込まれ沈没しました。遭難した乗組員24人のうち7人が救助されましたが、17人が死亡または行方不明となりました。日本の海上保安庁や地元漁協による捜索救助活動が行われました。この事故は沿岸漁業の安全対策強化を巡る議論を呼び、漁船の耐航性や緊急通信体制の見直しが進められました。
1978年
漁船
歯舞諸島
1984年
東京国立近代美術館フィルムセンターの収蔵庫で火災が起き、保存していた映画フィルム330作品が焼失。
東京国立近代美術館フィルムセンターの収蔵庫で火災が発生し、330本の映画フィルムが焼失した。
1984年9月3日、東京国立近代美術館フィルムセンター地下収蔵庫で火災が発生した。火元はフィルム保管庫の劣化した化学薬品とされ、消火活動も難航した結果、約330作品のオリジナルネガやプリントが損失した。焼失したフィルムには戦前の貴重な記録映画や海外名作の原版が含まれ、日本の映画アーカイブにとって大きな痛手となった。この事故を契機にフィルム保存技術の見直しが進み、防火対策や温湿度管理の強化が図られた。以後、国内外の文化施設で資料保存の重要性が再認識され、保存体制の整備が急務とされた。
1984年
東京国立近代美術館
火災
1989年
ヴァリグ・ブラジル航空254便墜落事故。死者13名。
ヴァリグ・ブラジル航空254便が墜落し、乗員乗客13名が死亡する航空事故が発生した。
1989年9月3日、ヴァリグ・ブラジル航空254便(通称RG254便)が飛行中に航路を逸脱し、燃料不足に陥ってジャングル地帯に墜落した。乗員乗客のうち13名が死亡し、残る者も負傷して救出活動が行われた。墜落現場は密林であったため捜索は困難を極め、発見までに数日を要した。事故後、航空機の航法教育や機長と副操縦士のコミュニケーション改善策が国際的に見直される契機となった。
ヴァリグ・ブラジル航空254便墜落事故
1989年
クバーナ航空9646便墜落事故。死者150名。
クバーナ航空9646便が墜落し、150名の乗客乗員が死亡した。
1989年9月3日、クバーナ航空9646便がキューバ・ハバナ近郊で墜落し、乗客乗員150名全員が死亡した。墜落時は悪天候の中での着陸アプローチと伝えられ、機体の制御喪失が一因とみられる。事故はキューバ史上最悪の犠牲者数を出した航空事故となり、国内外で大きな衝撃を与えた。捜索・救難活動は悪天候に阻まれ、現場の回収には時間を要した。これを契機にクバーナ航空は安全管理体制を強化し、アプローチ手順の見直しが行われた。
クバーナ航空9646便墜落事故
1993年
台風13号が鹿児島県薩摩半島に上陸。死者48名。
台風13号が鹿児島県薩摩半島に上陸し、48名が死亡する大きな被害をもたらした。
1993年9月3日、台風第13号が鹿児島県薩摩半島に上陸し、最大瞬間風速60m/sを超える暴風雨をもたらした。強風と高潮により沿岸部では家屋倒壊や浸水被害が多発し、土砂災害も相次いだ。警報が発令されたものの避難の遅れや情報不足から48名の尊い命が失われた。交通網も寸断され、鉄道や道路は長期間にわたり復旧を要した。この被害を受けて地元自治体では防災体制の強化や避難路整備が急務となり、住民への防災教育も徹底された。
1993年
台風13号
鹿児島県
薩摩半島