1666年

ロンドン大火:ロンドン橋近くのパン屋から出火。火災は9月6日まで続き、ロンドンの5分の4が焼失した。

1666年、ロンドン橋付近のパン屋から出火した大火が9月6日まで続き、街の5分の4を焼失しました。
1666年9月2日、ロンドン橋近くのパン屋で発生した火災が強風に煽られて一気に市街地へ広がります。 炎は木造家屋を次々と襲い、数日間燃え続けた結果、中心部の約五分の四が灰燼となりました。 死者数は正確に記録されていませんが、多数の住民が家屋や財産を失ったと伝えられます。 ロンドン市は大規模な再建計画を策定し、防火基準の強化や街路の拡張など都市計画を大きく見直しました。 この大火は近代都市計画の転換点となり、後のロンドンの発展に影響を与えました。
1666年 ロンドン大火 ロンドン橋 9月6日
1806年

スイスのゴールダウで地滑り、457人が死亡。

スイス・ゴールダウで大規模地滑りが発生し、457人が犠牲となった。
1806年9月2日、スイスのシュヴィーツ州ゴールダウ付近で大規模な地滑りが発生しました。 山腹が崩れ、家屋や人々を巻き込み457人が死亡し、数百の家屋が埋没しました。 地滑りの原因は降雨による地盤の緩みと、地質構造によるものと考えられています。 当時の記録によれば、山林が一瞬にして崩落し、一帯は長期間にわたり復旧作業が続けられました。 この災害はスイス史上最多の地滑り被害の一つとされ、後の地質学研究にも影響を与えました。
1806年 スイス
1819年

サン・テルモがホーン岬の南のドレーク海峡で、悪天候により損傷し沈没、644人が世界史史上初となる南極大陸での犠牲者となる。

南極大陸近くでサン・テルモ号が沈没し、644名が犠牲となった。
1819年9月2日、スペインの帆船サン・テルモ号がホーン岬南方のドレーク海峡で悪天候により大破・沈没しました。 乗組員644名は救助されることなく海に没し、この事故は南極大陸周辺での人的被害としては最初の記録とされています。 船はスペイン海軍の補給艦で、当初はアルゼンチン独立運動の支援任務に従事していました。 事故現場付近では後に人骨の発見例も報告され、南極海域の過酷さを物語る史実となっています。 この悲劇は極地探検史における重要な教訓となり、航路の安全確保の必要性を浮き彫りにしました。
1819年 サン・テルモ ホーン岬 ドレーク海峡 南極大陸
1935年

レイバー・デー・ハリケーン(英語版)がフロリダ州ロングキー(英語版)に上陸し400人以上が死亡。

1935年、史上最強クラスのレイバー・デー・ハリケーンがフロリダ州ロングキーに上陸し、400人以上が死亡しました。
1935年9月2日、カテゴリー5のレイバー・デー・ハリケーンがフロリダ州ロングキーに上陸しました。中心気圧は約892ヘクトパスカルと推定され、アメリカ本土に上陸したハリケーンとしては最強クラスでした。猛烈な風と高潮により、島々の家屋や船舶が壊滅的な被害を受け、少なくとも400人以上が死亡しました。救助活動は被害の大きさと道路インフラの寸断で困難を極めました。このハリケーンの教訓はアメリカ合衆国の気象観測体制や避難計画の見直しにつながりました。
1935年 レイバー・デー・ハリケーン 英語版 ロングキー 英語版
1935年

大阪府堅下村(現柏原市)平野集落にあったため池「菱尾池」が前日来の豪雨により決壊。死者9人、重傷5人、軽傷10余人。家屋の全壊6戸、倒壊16戸の被害。

1935年、大阪府堅下村(現柏原市)で菱尾池が豪雨により決壊し、住民に多数の死傷者が出ました。
1935年9月2日、大阪府堅下村(現・柏原市)の平野集落にあったため池「菱尾池」が前日からの豪雨で決壊しました。破堤した水が集落に流れ込み、一気に田畑や家屋を襲い、多数の住民に被害をもたらしました。死者は9人、重傷者5人、軽傷者は10名以上が確認されました。家屋の全壊は6戸、倒壊は16戸に及び、地域は壊滅的な打撃を受けました。この災害は溜め池管理の重要性を再認識させ、以後の治水・防災対策強化の契機となりました。
大阪府 堅下 柏原市 ため池
1978年

カナダのバンクーバーで遊覧飛行中の水上機が海中に墜落。新婚旅行で現地を訪れていた日本人観光客ら9人が死亡。

バンクーバーで遊覧水上機が海中に墜落し、日本人観光客ら9人が死亡した。
1978年9月2日、カナダ・バンクーバーで遊覧飛行中の水上機が原因不明のまま海中に墜落した。機内には新婚旅行で訪れていた日本人観光客らが搭乗しており、9人が死亡した。事故調査では天候や機体整備の状況が検討されたものの、正確な原因は特定されなかった。悲劇は現地と日本双方に衝撃を与え、水上機ツアーの安全基準強化を促すきっかけとなった。
1978年 カナダ バンクーバー 新婚旅行
1992年

ニカラグアでマグニチュード7.7の地震、津波により約180人が死亡。

1992年、ニカラグア西部でM7.7の地震と津波が発生し、多くの犠牲者と甚大な被害をもたらしました。
1992年9月2日、ニカラグア西部を震源とするマグニチュード7.7の大地震が発生しました。沿岸部では津波も観測され、住宅や公共施設が倒壊。約180人が命を落とし、数千人が家を失いました。地震直後には道路や橋が寸断され、救援活動が困難を極めました。国際社会からの緊急支援が派遣され、復旧と再建が進められました。これを契機にニカラグア政府は災害対策の強化と耐震基準の見直しを実施しました。
1992年 ニカラグア マグニチュード
1998年

スイス航空111便墜落事故。

1998年、スイス航空111便が大西洋上で火災により墜落し、乗員乗客229名が犠牲となりました。
スイス航空111便はモントリオール発ジュネーブ行きの旅客便で、1998年9月2日にノバスコシア沖で墜落しました。原因は機内配線から発生した火災とされ、操縦室の視界や通信システムが破壊されました。パイロットは着水を試みましたが大破し、乗員乗客229名全員が死亡しました。検索・救助活動は10日以上にわたり、残骸と遺体が海域各所で発見されました。事故後、航空業界では機内配線の耐火性向上や緊急対応手順の見直しが図られ、安全基準の強化が進められました。
1998年 スイス航空111便墜落事故
2006年

元豪華客船「ステラ・ポラリス号」が潮岬沖にて沈没。

2006年、元豪華客船ステラ・ポラリス号が潮岬沖で沈没しました。
ステラ・ポラリス号はかつて国際航路を運航していた豪華客船で、後に観光クルーズ船として日本沿岸で運航されていました。2006年9月2日、潮岬沖を航行中に荒天と浸水が重なり、船体が沈没しました。事故当時、乗客乗員は近隣の漁船や海上保安庁によって無事救助され、大きな人的被害はありませんでした。沈没後は環境調査が行われ、現在はダイビングスポットとしても知られています。船体の残骸は海中に残り、海洋生物の生息地となっています。
2006年 豪華客船 ステラ・ポラリス号 潮岬
2018年

ブラジル国立博物館で火災が発生し、収蔵物が全焼。

2018年9月2日、リオデジャネイロのブラジル国立博物館で大規模な火災が発生し、収蔵物がほぼ全焼した。
2018年9月2日、ブラジル・リオデジャネイロにあるブラジル国立博物館の主要展示施設で火災が発生し、建物と貴重な収蔵物がほぼ全焼しました。 同博物館は1808年に設立された南米最古級の博物館で、古代エジプトのミイラや先住民文化資料など約2000万点を所蔵していました。 火災の原因には老朽化した電気設備や資金不足による施設管理の脆弱さが指摘されました。 焼失した収蔵物は一部のみが修復可能とされ、文化遺産の喪失は世界中で大きな衝撃を呼びました。 事件後、博物館の再建や保全体制の強化に向けた取り組みが進められています。
2018年 ブラジル国立博物館
2020年

鹿児島県奄美大島沖でニュージーランドから中国へ向かう貨物船が台風接近に伴う波浪の中、救難信号を出した後に沈没。乗員1人救出、43人が行方不明。

2020年9月2日、台風接近による荒波の中、ニュージーランド発中国向けの貨物船が奄美大島沖で沈没し、乗員43人が行方不明となった。
2020年9月2日、鹿児島県奄美大島沖でニュージーランドから中国へ向かっていた貨物船が台風接近による高波の中で救難信号を発した後に沈没しました。 乗員計44人のうち1人が救助されたものの、残る43人が行方不明となり、大規模な海難事故となりました。 事故当時は強風と高波が船体に甚大な影響を及ぼし、迅速な救助活動が困難を極めました。 日本政府や地元海上保安部はヘリコプターや巡視船を動員し捜索を行いましたが、多くの犠牲者が出る結果となりました。 この事故は海難の危険性を再認識させ、船舶の安全対策強化の必要性を浮き彫りにしました。
2020年 鹿児島県 奄美大島 ニュージーランド 中国