1772年

ミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロサ(Mission San Luis Obispo de Tolosa)がカリフォルニア州サンルイスオビスポに設立される。

カリフォルニア州サンルイスオビスポにスペイン伝道所が設立され、地域社会の発展が始まりました。
1772年9月1日、スペイン帝国の伝道拠点としてミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロサが創設されました。 この伝道所はフランシスコ会修道士が先住民へのキリスト教布教と農業技術の伝授を目的に運営しました。 サンルイスオビスポの街はミッションを中心に発展し、後の都市形成に大きく寄与しました。 ぶどう栽培や羊毛生産が行われ、カリフォルニアの農業基盤を築く役割を果たしました。 現在も残る石造りの礼拝堂は建築史的価値が高く、多くの観光客を引きつけています。 この出来事はスペイン植民地支配と文化交流の歴史的象徴となっています。
1772年 ミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロサ Mission San Luis Obispo de Tolosa サンルイスオビスポ
1831年

教皇グレゴリウス16世が教皇書簡「Quod Summis」により大聖グレゴリウス勲章を設立。

教皇グレゴリウス16世が大聖グレゴリウス勲章を制定し、教会貢献者を表彰しました。
1831年9月1日、教皇書簡「Quod Summis」によって大聖グレゴリウス勲章が創設されました。 この勲章は教会への顕著な奉仕や功績を称える名誉勲章です。 受章者には聖職者、信徒、王侯貴族など多彩な人物が含まれました。 勲章のデザインには聖グレゴリウスの肖像と教皇の象徴が施されています。 19世紀のカトリック教会における勲章制度を定着させ、教皇権威の強化に貢献しました。 現在もバチカンによって授与が続けられ、国際的にも高い名誉とされています。
1831年 グレゴリウス16世 大聖グレゴリウス勲章
1911年

平塚らいてうらが文芸雑誌『青鞜』を創刊。創刊号には「元始、女性は太陽であつた」という平塚の宣言が載せられた。

平塚らいてうらが女性解放を掲げる文芸雑誌『青鞜』を創刊し、日本のフェミニズム運動を促進しました。
1911年9月1日、平塚らいてうを中心とした青鞜社が文芸雑誌『青鞜』を創刊しました。 創刊号には『元始、女性は太陽であつた』という宣言が掲載され、女性の自立と解放を強く訴えました。 女性作家や活動家が寄稿し、婚姻制度や教育機会の平等などをテーマに議論が展開されました。 この雑誌は女性の社会進出や参政権獲得運動の旗印となり、多くの読者を魅了しました。 日本の近代的なフェミニズムの出発点として歴史的に重要視されています。
1911年 平塚らいてう 青鞜
1939年

日本で初の興亜奉公日を実施。

1939年、日本で初めて『興亜奉公日』が実施され、勤労奉仕が奨励されました。
『興亜奉公日』は大東亜共栄圏の建設を目指し、国民に勤労奉仕を促す日として制度化されました。 この制度は国家総動員体制の一環で、国民の戦意高揚や労働力確保を目的としていました。 1939年9月1日に初めて実施され、参加者は学生や労働者が産業施設や農村で奉仕活動を行いました。 奉仕活動は道路整備や農作業支援、工場での軽作業など多岐にわたり、プロパガンダ色も強かったとされています。 戦後には廃止され、戦時下の国民動員政策を象徴する取り組みとして歴史に記録されています。
興亜奉公日
1947年

日本で労働省が発足。山川菊栄が婦人少年局長に就任し、日本初の女性局長となる。

1947年、日本で労働省が発足し、山川菊栄が婦人少年局長に就任し日本初の女性局長となりました。
日本の労働省は1947年9月1日の施行により発足し、労働行政の中枢機関として機能を開始しました。 同日、山川菊栄が婦人少年局長に就任し、日本初の女性局長として話題となりました。 山川局長は女性や少年労働者の保護政策や福祉施策の立案に尽力しました。 戦後復興期における労働環境の改善と人権意識の向上に寄与した重要人物です。 労働省は後に厚生労働省へ改組され、現在の日本の労働行政の基礎を築きました。
1947年 労働省 山川菊栄 局長
1983年

テレビ愛知(TVA)が開局(全国で100局目の民放テレビ局)。

1983年9月1日、テレビ愛知(TVA)が開局し、日本全国で100局目の民放テレビ局となりました。
1983年9月1日、愛知県名古屋市を拠点にテレビ愛知(TVA)が開局。 これにより日本の民放テレビ局数は100局に達しました。 地元ニュースやバラエティ、スポーツ中継など多様な番組編成を行い、東海地区の放送メディア環境を一新しました。 TVAは地域密着型の番組制作を強化し、地元企業とのスポンサーシップにも積極的に取り組みました。 開局から数年で視聴率を伸ばし、東海地区で存在感を高めました。
テレビ愛知 テレビ局
1984年

沖縄県のラジオ局・極東放送、社名を「エフエム沖縄」に変更。同日より「FM沖縄」として放送開始。

1984年9月1日、沖縄県のラジオ局・極東放送が社名を『エフエム沖縄』に変更し、FM放送を開始しました。
1984年9月1日、沖縄県那覇市を拠点とするラジオ局・極東放送は社名を『エフエム沖縄』に変更。 同日、周波数FM87.3MHzでの放送を開始し、県内初の本格的FMラジオ局としてスタートしました。 音楽番組や地元情報番組、公開生放送イベントなどを展開し、地元リスナーの支持を集めました。 従来のAM放送に比べ音質が向上し、新たなリスニング文化を沖縄に根付かせました。 現在も沖縄の地域情報発信基地として重要な役割を担っています。
1984年 沖縄県 極東放送 エフエム沖縄
1993年

エフエム九州(現・CROSS FM)開局。

1993年9月1日、エフエム九州が開局し、後にCROSS FMに改称しました。
1993年9月1日、福岡県を中心に放送を開始したエフエム九州は、地域密着型のFMラジオ局としてスタートしました。音楽情報や地域ニュース、リスナー参加型番組を多数展開し、若年層やビジネスパーソンに支持されました。後にCROSS FMへと改称し、放送エリアの拡大やデジタル化に対応。地域の文化や音楽シーンを盛り上げる役割を担い続けています。現在では福岡都市圏で高い聴取率を誇る主要FM局の一つです。
1993年 エフエム九州 CROSS FM
1993年

気象庁は沖縄県、奄美地方以外の梅雨明けを特定せずとした。

1993年9月1日、気象庁が本州・四国・九州の梅雨明けを特定しない異例の発表を行いました。
1993年9月1日、気象庁は沖縄県と奄美地方を除く地域について梅雨明けを公式に発表しないと判断しました。これは全国的に梅雨明けの兆候がはっきりせず、気象衛星や観測データでも明確な梅雨明けの判断基準に達しなかったためです。当時の発表は異例で、農業や観光業、日常生活に影響を与えるため注目を集めました。気象庁はその後も細心の注意を払いながら気象情報を提供し、地域間での気象条件の差異を説明しました。結果的に9月中旬以降に順次梅雨明けが確認されました。
1993年
2017年

創価学会総務会及び創価学会インタナショナル常任理事会・理事会で会憲の制定を議決。

創価学会が会憲を制定し、組織運営の基本規範を明文化しました。
2017年9月1日、創価学会総務会および創価学会インターナショナル常任理事会・理事会は、正式に会憲の制定を議決しました。会憲は、組織の理念や目的、会員の権利義務などを定めた最高規範として位置づけられています。制定により、国内外の関連組織が共通の運営ルールを共有し、一貫した活動方針を確立しました。これにより、組織の透明性と統一性が高まり、国際的な連携強化にも寄与するとされています。
2017年 創価学会 創価学会インタナショナル