建仁3年7月24日

仏師運慶・快慶が東大寺金剛力士像の造立を開始。

1203年、運慶と快慶が東大寺の金剛力士像制作を開始しました。
東大寺南大門に安置される金剛力士像は、日本彫刻史における最高傑作の一つとされています。運慶と快慶は鎌倉時代を代表する仏師であり、1203年にこれらの巨像の造立を始めました。彼らは木材の切削技法や写実的表現を駆使し、迫力ある筋肉表現と表情を彫り上げました。その完成は東大寺復興の象徴ともなり、以後の彫刻技術に大きな影響を与えました。
1203年 建仁 7月24日 運慶 快慶 東大寺 金剛力士
1604年

シク教の聖典グル・グラント・サーヒブが黄金寺院に設置される。

1604年、シク教の聖典『グル・グラント・サーヒブ』が黄金寺院に安置されました。
シク教第5代グルのアージャーンによって編纂された『グル・グラント・サーヒブ』は、教義と賛歌を集めた宗教的経典です。1604年9月1日、この経典はパンジャーブ地方の黄金寺院(ハリマンディル・サーヒブ)に正式に設置されました。以後、グル・グラント・サーヒブはシク教徒の礼拝と儀式の中心となり、その神聖性は高く尊ばれています。多くの巡礼者が寺院を訪れ、この聖典の公開朗読を聞くことを慕い求めています。黄金寺院への設置はシク教の教義が体系化される重要な節目でした。
1604年 シク教 グル・グラント・サーヒブ 黄金寺院
1904年

与謝野晶子が『明星』で長詩『君死にたまふことなかれ』を発表。

与謝野晶子が雑誌『明星』で長詩『君死にたまふことなかれ』を発表し、反戦詩の金字塔となりました。
1904年9月1日、与謝野晶子が文芸誌『明星』において長詩『君死にたまふことなかれ』を発表しました。 詩は日露戦争の最中に書かれ、若者を戦場へ送り出すことへの痛切な嘆きと反戦の意志を込めています。 当時の戦争賛美ムードに対して鋭く異を唱え、文学界に大きな衝撃を与えました。 晶子の詩は女性の視点からの戦争批判としても重要視され、後の平和運動に影響を与えました。 日本近代詩の代表作として広く読み継がれ、世代を超えて共感を呼び続けています。
1904年 与謝野晶子 明星
1907年

三越大阪店に百貨店初の美術部「新美術部」が創設される。

三越大阪店に日本初の百貨店美術部『新美術部』が設立され、商業施設内に芸術文化が取り入れられました。
1907年9月1日、三越大阪店に国内初の百貨店内美術部『新美術部』が創設されました。 顧客は美術品を購入・鑑賞できる新たな場を得るとともに、美術文化の普及が図られました。 展示会や講演会が開催され、一般市民の芸術理解を深める機会を提供しました。 商業施設としての百貨店に文化的機能を持たせる試みは、その後の他店にも影響を与えました。 現代のデパートにおけるアートギャラリーの先駆けとして評価されています。
1907年 三越 百貨店
1911年

平塚らいてうらが文芸雑誌『青鞜』を創刊。創刊号には「元始、女性は太陽であつた」という平塚の宣言が載せられた。

平塚らいてうらが女性解放を掲げる文芸雑誌『青鞜』を創刊し、日本のフェミニズム運動を促進しました。
1911年9月1日、平塚らいてうを中心とした青鞜社が文芸雑誌『青鞜』を創刊しました。 創刊号には『元始、女性は太陽であつた』という宣言が掲載され、女性の自立と解放を強く訴えました。 女性作家や活動家が寄稿し、婚姻制度や教育機会の平等などをテーマに議論が展開されました。 この雑誌は女性の社会進出や参政権獲得運動の旗印となり、多くの読者を魅了しました。 日本の近代的なフェミニズムの出発点として歴史的に重要視されています。
1911年 平塚らいてう 青鞜
1923年

フランク・ロイド・ライトの設計による帝国ホテル新館の開館式。祝宴の準備中に関東地震が起こるが建物は無傷。

フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル新館が開館。関東大震災にも耐え抜きました。
1923年9月1日、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル新館が開館しました。特徴的なマヤ文明風装飾や水平ラインを強調したデザインが評価されました。同日に発生した関東大震災においても、免震構造の先駆的技術によりほとんど損傷がなかったことが話題となりました。この建築は日本近代建築史における傑作のひとつとされています。
フランク・ロイド・ライト 帝国ホテル
1927年

宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー『モン・パリ』を上演。

宝塚少女歌劇団が初のレビュー公演『モン・パリ』を上演し、新たな舞台芸術を切り開きました。
1927年9月1日、宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー形式の舞台作品『モン・パリ』を上演しました。レビューは歌・ダンス・芝居を組み合わせたものであり、西洋のエンターテインメントを取り入れた革新的な試みでした。この公演が成功したことで宝塚は全国的に注目を集め、後の華やかなレビュー文化の礎を築きました。以来、宝塚歌劇は独自のスタイルを発展させ、多くの観客を魅了し続けています。
1927年 宝塚少女歌劇団 モン・パリ
1935年

第一回芥川賞・直木賞発表。

第1回芥川賞と直木賞が発表され、日本文学界に新しい才能を顕彰する制度が始まりました。
1935年9月1日、文藝春秋社主催による芥川賞・直木賞の第1回受賞作が発表されました。芥川賞は純文学の新人作家を、直木賞は大衆文学の作家を顕彰する目的で設立されました。第1回受賞者には芥川龍之介にちなむタイトルと直木三十五にちなむタイトルが贈られ、以降日本文学界における最高峰の文学賞として定着しました。才能ある作家の発掘と文学文化の発展に大きく寄与してきました。
1935年 芥川賞 直木賞
1952年

ヘミングウェイの小説『老人と海』の初版が刊行。

ヘミングウェイの代表作『老人と海』が初版として刊行されました。
アーネスト・ヘミングウェイの中期の短編小説で、キューバを舞台に老漁師サンチャゴの奮闘を描いています。1952年に刊行後、文学界で高い評価を受け1953年にピューリッツァー賞を受賞しました。簡潔な文体と象徴性豊かな物語構成が特徴です。人間の孤独や尊厳、自然との闘いをテーマにしており、多くの読者に感動を与えました。今日ではヘミングウェイ作品の中でも最も親しまれる名作の一つとされています。
1952年 ヘミングウェイ 老人と海
1953年

トルコのアンカラにケマル・アタチュルクの棺を安置したアタチュルク廟が完成。

トルコ・アンカラにケマル・アタテュルクの廟が完成し、その棺が安置されました。
初代トルコ大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクを称える廟(アニトカビル)が1953年に完成しました。設計は建築家アドルフ・ボカスとマキアン・セリムが手がけ、モダニズムと古典様式を融合させた壮麗な建物です。廟内にはアタテュルクの棺が安置され、毎年多くの訪問者が献花に訪れます。トルコ共和国の建国者を記念する国民的聖地となっており、国家アイデンティティの象徴とされています。アンカラのランドマークとして観光名所にもなっています。
1953年 トルコ アンカラ ケマル・アタチュルク アタチュルク廟
2013年

宮崎駿の監督引退をスタジオジブリが発表。

2013年9月1日、スタジオジブリが宮崎駿監督の引退を正式発表し、世界中の映画ファンに衝撃を与えた。
2013年9月1日、スタジオジブリは宮崎駿監督の引退を記者会見で公表しました。 宮崎監督は『ナウシカ』『千と千尋の神隠し』など数多くの名作を手がけ、日本アニメ界を牽引してきました。 発表当初はファンやメディアの間で引退の真偽を巡る憶測が飛び交いました。 その後も短編作品の監修や講演活動には関与するなど、完全引退ではないとの見方もあります。 スタジオジブリは新体制での制作体制強化と次世代作家育成に向けた方針を示しました。
2013年 宮崎駿 スタジオジブリ