1896年

陸羽地震、M7.2、死者210人。

東北地方を襲ったマグニチュード7.2の陸羽地震が発生し、多数の犠牲者を出した。
1896年8月31日未明、宮城県沖を震源とするマグニチュード7.2の陸羽地震が発生し、東北地方に甚大な被害をもたらした。強い揺れにより家屋倒壊や地滑りが各地で発生し、およそ210人が犠牲となった。津波は確認されなかったものの、交通インフラや通信網にも大きな打撃を与えた。被災地では救援活動や復興に長い時間を要し、日本の防災対策強化の契機となった。
1896年 陸羽地震
1949年

キティ台風が関東地方に上陸。死者135人、行方不明25人。

台風キティが関東地方に上陸し、大規模な被害をもたらしました。
1949年8月31日、台風キティが関東地方に上陸し、猛烈な暴風雨により河川の氾濫や土砂災害が各地で発生しました。住宅や道路が寸断され、復旧には多大な時間と労力がかかりました。死者135人、行方不明25人という大惨事となり、戦後復興期の防災体制の脆弱さが露呈しました。この災害を契機に河川改修や防災対策の強化が進められ、後の防災政策に大きな影響を与えました。
1949年 キティ台風
1986年

アエロメヒコ航空498便空中衝突事故発生。

1986年8月31日、アエロメヒコ航空498便がアメリカ・カリフォルニア州上空で小型機と空中衝突する大惨事が発生しました。
アエロメヒコ498便はロサンゼルス発メキシコシティ行きの旅客便(ダグラスDC-9型機)でした。カリフォルニア州オレンジ郡上空で小型機パイパー・チェロキーと衝突し、両機とも墜落しました。498便の乗員乗客64名、チェロキー搭乗者2名の計66名が犠牲となり、地上にも被害が出ました。事故調査では管制混雑や無線連絡の不備が指摘され、その後航空交通管制システムの改善が進められました。米国内での空中衝突防止システム(TCAS)導入を促進する契機となった歴史的事故です。
1986年 アエロメヒコ航空498便空中衝突事故
1986年

客船アドミラル・ナヒーモフが大型貨物船「ピョートル・ワセフ」(Pyotr Vasev、1万8604トン)と衝突し沈没する。

1986年8月31日、ソ連の客船アドミラル・ナヒーモフが貨物船ピョートル・ワセフと衝突し沈没しました。
アドミラル・ナヒーモフは黒海を航行する大型旅客船で、同日夜に貨物船ピョートル・ワセフと航路上で衝突しました。衝撃により船体后部から浸水が始まり、短時間で船は大きく傾斜して沈没しました。乗客・乗員の正確な数は不明ですが、多数の犠牲者が出たとされ、沿岸警備隊や地元の救助隊が出動しました。事故原因は航行指示の誤認や通信トラブルが背景とされ、ソ連当局は海難防止策と船舶航行の安全管理強化を図ることとなりました。海難救助体制の見直しを迫る悲劇的事故でした。
アドミラル・ナヒーモフ
1987年

タイ航空365便墜落事故。

1987年8月31日、タイ航空の365便がエンジントラブルにより墜落し、多くの犠牲者が出ました。
タイ航空365便はバンコク発ソウル行きのボーイング737-200型機でした。離陸後に左エンジンが炎上し、機体制御を失ってインド洋上に墜落しました。搭乗していた乗員乗客113名全員が死亡し、現地当局は整備不備や排気管の疲労破損を事故原因に挙げました。この事故を受けて航空会社各社はエンジン点検と保守管理を強化し、国際的にも安全基準の見直しが進められました。航空機事故防止に向けた警鐘として後世に語り継がれています。
1987年 タイ航空365便墜落事故
1988年

デルタ航空1141便墜落事故。

1988年8月31日、デルタ航空1141便が離陸直後に墜落し、乗員乗客合わせて14名が死亡、76名が負傷しました。
デルタ航空1141便は1988年8月31日、ダラス・フォートワース国際空港を離陸直後に墜落しました。 当該機はダグラスDC-9-31型機で、乗員乗客108名を搭乗していました。 調査の結果、離陸前のフラップ・スラット設定不備および警報装置の誤作動が事故の主因と判明しました。 機体は滑走路を逸脱して炎上し、乗員3名と乗客11名の計14名が死亡、76名が負傷しました。 この事故を受け、離陸前点検手順と警報システムの改善が航空業界全体で進められました。
デルタ航空1141便墜落事故
1997年

ダイアナ元イギリス皇太子妃が交通事故で死去。

1997年8月31日、ダイアナ元皇太子妃がパリ近郊で自動車事故に巻き込まれ亡くなりました。王室の“国民のプリンセス”として世界中で愛された彼女の突然の死は大きな衝撃を与えました。
ダイアナ妃はチャールズ皇太子の元妻であり、慈善活動や人権擁護で知られていました。事故はパリのトンネル内で発生し、運転手の急追跡から高速で車が衝突したとされています。事故現場には多数のパパラッチがいたと報じられ、その影響も議論されました。彼女の死去は世界中で大規模な追悼を呼び、王室の在り方やメディアとの関係に関する議論を生みました。現在も彼女の功績や人生は多くの人々の記憶に残っています。
1997年 ダイアナ イギリス 交通事故
1999年

LAPA 3142便離陸失敗事故。

1999年8月31日、アルゼンチンのLAPA航空3142便がブエノスアイレスで離陸に失敗し墜落・炎上しました。多数の死傷者が出た大規模事故です。
LAPA 3142便はブエノスアイレスのホルヘ・ニューベリー空港を離陸する際、昇降舵の設定ミスにより十分な揚力が得られず走行路上で速度を維持できませんでした。滑走路をオーバーランし、滑走路終端の防護柵を突き破って住宅地に突入して炎上しました。事故調査では航空会社と操縦士の整備・手順ミスが原因と認定されました。乗員乗客63人のうち多数が犠牲となり、アルゼンチン国内の航空安全規制強化へつながりました。
LAPA 3142便離陸失敗事故